No.1430  2015.01.13
『二河白道と人間』の著者の註釈―東岸の人(3)

無相庵のはしがき
今回の二河白道の註釈文中に、『三定死(さんじょうし)』と『大死一番(だいしいちばん)』と云う言葉が出て参ります。勿論、どちらの『死』も、著者(善導大師は、いわゆる〝肉体の死〟も意識したものだと私は思いますが、 多くの解説本では、〝自我の死〟を想定しているものとされています。何れにせよ、私たちが仏法に救いを求めて、真剣に励みますと、励めば励むほどに、救われようのない自分に立ち尽くさざるを得ないのだ思われます。 また、そう云うことでなければ、特に他力浄土門に踏み入った者は、救われないのだと思います。それが、〝このまま仏道を歩み続けても救われそうに無いと思い、また、仏道を諦めて普通の人々の生活に戻っても救われそうにないと思い、 かと言って、立ち往生していてもどうにもならない〟と云う〝三定死〟状態なのだと思います。そこで、他力浄土門では、お釈迦様の「必ず救われる!安心して、この白道を進みなさい」と云う声で、〝大死一番〟お釈迦様のお声で意を決して、 前に進めるのだと思います。

勿論、2500年前に亡くなられたお釈迦様の声が聞こえるはずは有りません。この善導大師を含む七高僧が遺された論や註釈書、そして、この善導大師の二河白道図が書かれてある散善義等の書物に依って、 親鸞聖人や七高僧、そして多くの先師の存在自体がお釈迦様の声を聞こえさせたと云うことではないかと思います。そして同時に、阿弥陀仏の本願に勇気付けられたのだと思います。

『二河白道と人間』からの抜粋転載ー

浄土教の教学において「三定死(さんじょうし)」という文字は古来甚だ有名な言葉になっております。三定死とは、今この進まんとして進むを得ず迴(かえ)らんとして迴ること能(あた)わず、 住(とどま)らんとして亦(また)とどまることの出来ぬ旅人の内景(こころ)を語る文字である。およそ人間の存在のありかたは、進むか、退くか、住(とどま)るか、この三種の様態よりほかに無い筈である。 すすむと死、かえるも死、とどまるも死、これが三定死と名づけられる所以(ゆえん)であります。人間というものはそこまで追い詰められねば、大死一番(だいしいちばん)して新しい世界に更生することが出来ないものであろうか。

勇猛精進の菩薩大士はただ進むを知って退くを知らぬであろう。たとい退くように見えても、住る相を現ずることがあっても、それはかれらにとってはまた一つの「精進」の姿態にほかならないものかと思われる。 二河白道の旅人は自力聖道の大士(ひと)ではなくして、現前刹那の水波の一沫(ひとしぶき)も、一筋の火烟(かえん)をも、どうすることも出来にくい凡夫である。

この「凡愚低下の罪人」に許されたる唯一つの道は、恐らく合掌帰命の一筋みちであるであろう。しかし彼は何れに向って合掌せんとする。帰命の対象は何れにありや。 合掌し帰命せんとする旅人のこころの奥深くへ働きかけ給(たも)う絶対無限の本願力のおよびかけが無かったならば、旅人の合掌は単なる空華(くうげ)となり終るでありましょう。 東岸の「人」のお声が大きな役割を持つ所以はそこにあります。

ゲーテの『ファウスト』は、「霊界に入る門は閉じられず、閉じたるはただ汝の眼のみ」と言っております。これは本当でありましょう。しかしながら、閉じたる眼が見開かれただけでは人間の救いは成就せられないのは、これも間違いないことである。 二河比喩の旅人は、今ハッキリと眼を見開いている。眼開けばこそ忽然として火と水との大河を見たのであります。そうして「この河は南北に邊畔(ほとり)を見ず、中間に一つの白道を見るも極めて是れ狭小なり。 二つの岸相去ること近しと雖も何に由ってか行くべき。今日定めて死せんこと疑わず・・・」と絶望の声をあげている。旅人は痛いほど自己の現実を見、現実に即した自己の前景を見ております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1429  2015.01.06
『二河白道と人間』の著者の註釈―東岸の人(2)

無相庵のはしがき
いよいよ世間の2015年が始動致しました。私も今日(6日)から、会社の仕事を開始致しました。この3月8日には満70歳になりますし、色々と病を抱えておりますので、そろそろ〝死に支度〟を整えておく責任があります。会社経営をしている以上、 会社の継続、ビジネスの継続に付いて、取引先企業に不安感を抱かせてはなりません。そこで、先ずは、後継者の存在を公にする為に、会社の登記簿に長男、長女を後継者として登録しました。 金融機関は勿論、取引先企業にも随時紹介も含めて知らしめて行く考えです。 そして、何よりも事業が存続するためには倒産の怖れの無い財務体質にしておかねばなりませんので、思い切って、有望と思われる新しいビジネスを始めることに致しました。 新しいビジネスと申しましても、15年前から取り組んでいる連続気泡多孔体(一般にはスポンジとか軽石のような、沢山の孔が開いた材料)に関するものです。これまでと大きく質の異なる商売に手出しする訳ではございません。

弊社の技術は、これから数年~数十年、否もっと遠い将来までも、世の中に新しい商品が生れる時には必要になる可能性が高い機能性に優れた材料だと考えており、その弊社の技術を世の中(世界も視野に入れて)の津々浦々に知らしめておく事が、 目先の収益を上げる事に血眼になるよりも大切だと考えました。今年から、その方法を試行錯誤しつつ開発したいと考えております。勿論、そうすることで、当面は苦しくとも、自ずから経営も安定し継続出来るものと期待しています。

一方、この無相庵サイト継続も、仏教に苦悩からの解放を求める方々のために、牽いては人間社会の平穏・平和のためになると考えており、私自身も心の裡で葛藤しつつ人間の心の真実と向き合いながら、生きている限り続けさせて頂きます。

この年始のテレビ番組で、原爆や災害で苦しむ人々が少しでも少なくなるように、被災者やそのご家族が作成された詩の朗読活動を続けられている吉永小百合さんと、 そして、脳梗塞により生死の境を数日彷徨われ、結果としては右半身に障害が残り、現在なお、懸命のリハビリで、快復に努めておられる、曾てプロ野球界のヒーローだった長嶋茂雄さんのインタビュー番組を視聴致しました。 吉永さんは、私と同じ1945年3月(13日)生れ、再来月満70歳になられます。自分と同じ70歳の女性が人々の幸せの為にボランティア活動をされている姿に大いに触発されました。 また、長嶋さんは、1936年2月20日生れ、来月は満79歳になられます。 情報では私と同じ心房細動(脳梗塞を起こし易い)からの発症であり、他人事とは思えませんでした。また、あのスーパースターのアスリートが言語障害と歩行困難と闘っている(普通なら他の人に見られたくない)姿を公開され、 何とか走れるようになりたいのだと、決して諦める事をしない強い意思力には感動させられました。私は「自分は未だ、脳梗塞にはなっていないのだから、あらゆる治療に取り組み心房細動を治す努力をしないと恥ずかしい」と、思った次第であります。

今年は、仕事とこの無相庵サイトの存続に命をかけて頑張ります。無相庵に付きましては、今年は原則として水曜日と日曜日にコラム更新をさせて頂こうと考えております。どうか、今年も宜しくお願い申し上げます。

『二河白道と人間』からの抜粋転載ー

一体群賊とは何だ、と叫び出したいほどにお話はもつれて来ました。しかし、もう少し忍んでこの「群賊」の正体を見詰めてみると、さきに旅人が無人の広野を急いだ時には、群賊は悪獣と一つになってこの旅人を常識的に官能生活につなぎとめようとした。

今や旅人が水火二河の中間の「白道」の上にすすみ入ろうとすると、群賊は思想的に激しく旅人に波動して来るのである。旅人が白道を眼前にみるということは、単なる常識的の生活に安住することが出来ないからである。
翻って思えばわれわれも亦官能の誘惑を恐れながら、脱し切ることが出来ないで悩んでいる。歓楽極まって哀情多き事実を痛いほど身に覚えながら、それでいてそれらの誘惑を退けることが出来ないのである。 こういう弱い人間が他力の大道を求める心に向わんとする時、官能の誘惑は形をかえて思想的にこの人を粉砕せんとする。

曰く、道を求めるとはそもそも何ぞや。汝の眼前に見ている白道とは、汝のご都合から生み出した幻影に過ぎないではないか。汝が無人の広野だと高言するこの世界の美しさを見よ。月が照り、花が笑い、虫がうたい、鳥が啼く。 あるがままの世界をあるがままに眺めて、刹那刹那の人生を流れのままに生きるほかに何がある。人生百歳に満たず、何が故に千載の憂いを懐くや。幻影を遂(お)うて苦しむ愚を捨てて自主奔放に思うままに今日一日を生きて行け・・・。

こうして群賊は一方に悪獣毒蟲(どくちゅう)の襲来に安価な基礎づけすると伴に、一方には後に白道上の旅人を退転せしめんとする準備を、ひそかにととのえつつあるように見える。 二河白道の作者善導大師が「群賊」に内外二様の意味をもたせておられる過程に、こういう一つの情景をわたしは見たいと思うのであります。

ありように言えば、我々の日常生活は常に悪獣に追われ、毒蟲に刺されている生活であります。ただ追われているとも思わず、刺されていても痛みを感じないほどに馴れているから、悪獣とも毒蟲とも思わないのである。 もしわれわれにして悪獣を悪獣と知り毒蟲を毒蟲と感じはじめるや否や、悪獣毒蟲がいかに執念く(しうねく;執念深く)われらの道念を打ち砕かんと迫るかに驚かざるを得ないのであります。

酒毒の恐ろしさを身にしみて感じる人は、いよいよ緑酒の誘惑に迫られ、異性の誘引を恐るるものは異性の魅力に悩まれる。 道を求める古来の人が、山林にかくれ、人寰(じんかん;人間世界、世の中)を遠ざかったこころをわたしは時どき憶(おも)うことがある。 かれらは弱きが故に山に逃れのではなくして、本当に自己の道念を大切に育てんがために山林にかくれたのである。

「坐禅せば四条五条の橋の上ゆききのひとを深山木(みやまぎ;奥深い山に生えている木)に見て」というむかしの歌もあるけれど、四条五条の橋の上に、簪光扇影(しんこうせんえい;簪は〝かんざし〟のこと。)の動くところに、 往来の人を深山木に見て禅定に入るということは、恐らくひとつの空念に過ぎないであろう。 二河白道に現れる「旅人」は入山学道の勇猛の大士ではなく、凡俗の生活を脱し切ることの出来がたい凡人であります。凡人の生活そのものの上に開かれる道を得ようと藻掻(もが)いているあわれな存在である。 道を得んがためには何よりもまず悪獣毒蟲より脱れたいと彼は思う。しかも脱れんとして更にますます悪獣と毒蟲 との襲来を感ずるほかない凡人であります。

今これを清涼寺の図像に見ると、純白の巨象、漆黒の豺狼(ざいろう、豺は山犬のこと)、猛りくるう獅子や虎などの悪獣は南の方の火炎の岸より遂(お)い迫り、波浪の岸からは黒白幾條の悪蛇がこの旅人をさして疾走している。 悪獣は陽性であるから南より来り、悪蛇は陰性にして北より迫る。こういう表現上の用意もあるように、わたしには思われる。貪欲の水の岸に悪蛇がうねり、瞋恚の火の岸には悪獣がおどる。 悪獣と毒蟲とは今、白道を前に見る旅人に、最後の暴威を逞(たくま)しくしているように見られるのであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1428  2015.01.02
年頭のご挨拶とコラム更新

●無相庵の年頭ご挨拶
皆様、明けましておめでとうございます。
昨年、私は6月に脳内出血、12月には心房細動と云う、命の存続に不安を抱かされる心臓と脳の病を発症しご心配をお掛け致しました。再来月満70歳になる身でありますので、身体の彼方此方に老化が始まっていることを自覚しながら、 仕事と仏法を私なりに世の中の為になるように、励みたいと考えております。また、年初め最初のコラム更新として、年末に『いのちってなんだろう』(株式会社佼成出版社版) と云う本の中に、人類の今後の在り方に関して成程と思う考え方を見付けましたので、その『人間は本当に偉いのか?』を抜粋転載しご紹介させて頂こうと思います。

●人間は本当に偉いのか?
以下の発言は、高橋卓志という神宮寺ご住職(1948年、長野県松本市の神宮寺という臨済宗のお寺に生れられ、龍谷大学大学院でインド史学専攻)のものです。

この世に戦争は絶えません。戦争は人間が起こすものです。戦争はたくさんの人びとを死に追いやります。強制的にいのちをうばいます。それによって悲しみの底につき落とされた家族はいったいどれほどいたことでしょう。

ぼくはお寺の住職ですから、お盆には各家にお参りにうかがい、お仏壇に向ってお経をあげます。多くの家のお仏壇には、戦争で亡くなった方々の位牌があります。その方々は、ひとくくりに戦没者といわれますが、それぞれがいのちをもった人間でした。 そして戦争という不条理な体制の中で、もっと生きたかった、という思いを持ちながら、亡くなっていった方々ばかりです。戦争には悲しみがあふれます。ではなぜ人間は、このようなぼうだいな悲しみを生み出す戦争をするのでしょうか。

イギリスの作家、ウィリアム・ゴールディングはその著書『後継者たち』で、「ネアンデールタール人」をほろぼす「新しい人」たちの姿を描いています。お人よしで優しく、定住生活をしないネアンデールタール人を、狡猾で、疑い深く、嫉妬心が旺盛で、 戦闘的な「新しい人」たちが滅ぼすという物語です。前人類といわれるネアンデールタール人は、その日に必要なだけの食糧を獲り、足りるだけのもので生活するのですが、それに対して定住することで、自分の土地や財をもった新しい人たち (新人類=たとえばクロマニョン人)は、その財を守るため、あるいは増やすため、侵略や略奪という残虐な行為を始めます。新しい人間には、そこで「残虐性」というものが加わってしまったのです。

残虐性は人間の本能としての、「欲」を満たすための性格といえます。
ということは、ネアンデールタール人には見られなかった残虐性が新しい人間には備わっていて、それを本能としてDNA(染色体遺伝子)にすりこまれたのだろう、という察しがつきます。 DNAは、生命体の設計図をつかさどる物質です。これによって私たちは先祖からさまざまな情報を伝えられるとともに、容易なことではそのDNAの呪縛からのがれられない、という生命体を受け継ぎます。そしてそれをまた、未来に伝承していくのです。

作家、ウイリアム・ゴールディングは『後継者たち』の中で、次のように私たちに答えをせまっています。「現代を生きるあなたたち人間は、いったい誰の後継者であるのか?」と。つまり「あなたのDNAは、おひとよしで優しいネアンデールタール人なのか、 ずるくて残虐な新しい人=クロマニョン人なのか?」と。

ぼくはネアンデールタール人でありたいと思っています。争いも起こさず、他人をうらやむこともない、おだやかな共同生活を続けられるネアンデールタール人にあこがれます。できるなら、ぼくのDNAはネアンデールタール人のものであってほしい、と。 しかし、歴史はぼくらの先祖を新人類と位置付けています。つまり、ぼくらはあの残虐で嫉妬心が強く、相手をとことん疑ってかかるクロマニョン人のDNAを受け継いでいる、ということです。

第二次世界大戦では、ナチスが六百万人のユダヤ人を虐殺しました。1970年代のカンボジアでは、ポルポトによって、二百万人以上が殺されました。 また、新大陸を発見したコロンブスは、西洋では大冒険家の称号を得ていますが、アメリカ大陸の先住民にとっては、恐怖の侵略者でした。コロンブスが大陸に来たことによって何千万人の先住民は死んでいったのです。

そればかりではありません。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンやイラクへの侵攻、そしてさまざまな地域で勃発する民族紛争は、あくまでも人間の内なる残虐性ゆえの所業であるといわざるを得ません。 残虐性を内にもった人類の闇はどこまで続くのでしょうか。

しかし、ウィリアム・ゴールデンは、その残虐性の闇に一筋の光明を与えています。
それはネアンデールタール人たちを征服したクロマニョン人の女性と、洞窟に残された一人の赤ちゃんとの出遇いです。もちろんこれはネアンデールタール人の赤ちゃんであり、母性に動かされたクロマニョン人の女性がその子を抱き上げたところから、 その光明ははじまります。近い将来、必ず両者の間で混血が始まる、ということです。クロマニョン人の残虐性をもったDNAの闇に、ネアンデールタール人の一筋の光明としてのDNAが加わるということなのです。

戦争を回避するもの、それはネアンデールタール人のDNAであり、仏教ではこれを「智慧」と名づけています。人間はたしかに残虐性をもったみにくい動物です。しかし、その中にわずか一筋だけかもしれないのですが、智慧という光が宿っているのです。 そして智慧はたしかに不条理や不公平、悲しみや苦しみ、痛みやうずきを解決する手立てとなる、と思うのです。それはあなたの中にも宿っているのです。

あなたは残虐性と智慧のどちらを使って生きていくのですか?

●無相庵の感想
 私たち現代人であるホモサピエンス・サピエンスの直接の先祖は、ネアンデールタール人(20万年前に現れ、2万年前に絶滅したとされる)ではないそうです。 でも、2万年前以降に存在した人間の中には、争いを好まない人びとも多く居ます。私たち現代人ま中にも、争いを好まない人と疑い深くて攻撃的な人が混在しています。 今、世界を牛耳っている指導者の多くは疑い深く、嫉妬心が旺盛で、戦闘的な「新しい人」たちが目立ち、解決手段を武力に頼りがちですから、世界から戦争が無くなりません。 戦争の犠牲者は私たち一般庶民です。一般庶民の私たちの中の多くのDNAには、ネアンデールタール人のDNAも組み込まれているはずです。 争いを避け、穏やかに生活する習性を育み、良いDNAのみを未来の人類に伝承していく努力をしていきたい思いました。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

 

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No.1427  2014.12.29
『二河白道と人間』の著者の註釈―東岸の人(1)

無相庵のはしがき
『二河白道と人間』は藤秀翠師が、嵯峨の清凉寺(しょうりょうじ)に秘蔵せられている二河白道図を見られて、善導大師のお心に自身を重ねられながら、実に詳細に註釈されたご著書であります。 これからのコラムで、その一部を抜粋転載させて頂こうと思います。私は幼い時から『二河白道』と云う文言は存じておりましたが、何も分かっていなかった事は勿論のことですが、ここまで深い意味があったとは、この度初めて知りました。 これを知らずして、親鸞仏法を語ることがあってはならないとまで思った次第であります。
出来ましたら、無相庵読者様ご自身が中古本をお求めになって、全内容を直接ご覧頂けれは幸いであります。今回から掲載させて頂く二河白道絵図(クリックしますと拡大します)は、その嵯峨の清凉寺(しょうりょうじ)に秘蔵せられている二河白道図でございます。 その由緒ある二河白道絵図の検索に手間取り、今日になったことをお詫び致します。
今年も無相庵コラムご愛読有難うございました。来年も宜しくお願い申し上げます。皆様、よいお年を!

『二河白道と人間』からの抜粋転載ー
わたしは曾(かつ)て嵯峨の清凉寺(しょうりょうじ)に秘蔵せられている二河比喩(にかわひゆ)の画図(がと;絵画の事)を拝見して、いろいろ感じたことがあります。 この図はずいぶん古代に制作せられた大作であると聞きましたが、芸術的の見地から見ても大変すぐれたものか、と、その時わたしは感じました。それだけに世上に見る二河白道の図とは異なるところが多いようである。

一般に二河の画においては、まず眼につくのは、水火二河の彼岸にお立ちになって「旅人」を呼びたもう阿弥陀如来と、こちらの東岸の空に紫雲の上に立ちたもう釈迦如来のお姿であり、 中間の白道四五寸の上を白衣を着た亡者【もうじゃ;死んだ人。また、死んでなお成仏できずに冥途(めいど)をさまよっている魂】のように見える旅人が、一心に前かがみに合掌してすすむ姿が描かれてあります。 こういう絵図を見つけているわたしには、この清凉寺の二河比喩の図は、一つの驚きでさえあったのであります。

何よりも先ず白道を行く「旅人」は地上の世界を遊離した亡者であってはなりません。旅人は最も生々しい現実世界の「人」である。渾身の血を躍らして真実の世界を求める人間のすがたでなければなりません。 すなわち二河比喩の作者に即していえば、「旅人」は作者善導その人であり、われわれ個々のものに即していえば、われわれ一人一人の生きた姿であるべきである。 無明長夜の闇の底に永い眠りを貪っていたものが、忽然として目覚める時に、いかなる人でも否応なしに眼前に見ねばならない火の河水の河であり、中間の白道であります。

今われわれの当面の問題とするところは、白衣を着て白道の上に立っている人ではなくして、(それには後の場面において触れることにして)、白道に入らんとして入ることに躊(ためろ)うている旅人のこころであります。 清凉寺の図は、入らんとして入ることに躊(ためろ)い悩める旅人の心をよく表現(あらわ)しているように見えました。

旅人は白道のこなたに両手を前に向かって拡げて、足を踏み開いております。彼はまだ合掌していないのである(真実に合掌することが出来れば彼は広野を行く旅人でなくして、白道上の行者であるべき筈である)。 彼は、片足は白道近く前へふみ出し、片足はうしろに残って動きがたいありさまに見える。旅人のうしろ数歩のところに一人の巨(おお)きな男が片手をさしのべて、旅人を呼びとめているようである。 それは西岸上の、右のお手を揚げて旅人を招きたもう弥陀尊の尊容と奇しき対照をなしている。普通の図においてはこの弥陀尊と対照的に立たせられるのは東岸の釈迦尊であるが、この図においては釈迦世尊のおすがたはどこにも見えないのであります。

さて、旅人をうしろより呼びとめる巨な男の更にうしろのところに群賊がいる。この巨な男も、もとより群賊の一人であると思われるが、少なくとも形の上においては群賊たることを示しておらない。 彼らは手を揚げて旅人に道の険悪なことを諭し、旅人をうしろに退(ひか)しめようてするものである。しかるにこの巨な男のうしろの方に群れている人びと、明らかに群賊の相を現わしている。

かれら自身はみづから「賊」たることを意識してはいないと解すべきであるが、かれらの手にせる刀杖弓箭(とうじょうきゅうせい)は、明らかに群賊の動きを語っている。 その中の一人は強弓を引きしぼつて旅人を射んと身がまえている。もし旅人が巨人のすすめを退けたならば、たちまち箭は弓弦を離れるであろう。 今もし旅人が白道上の人となるならばこの毒箭(どくや)をさけることが出来るであろうが、白道を前にして躊躇逡巡するならば、恐らく彼は群賊の箭(や;矢)の前の犠牲となり終わるでありましょう。

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No.1426  2014.12.25
『二河白道』に学ぶこと

二河白道の西岸は、『生命(しょうみょう)』の世界、東岸は『活命(かつみょう)』の世界と考えてもいいのではないかと思います。また、金治勇師に『見える世界、見えない世界』と云うご著書がありますが、 西岸を『見えない世界』、東岸を『見える世界』と言ってもいいと思います。今の私たちに見える世界は、見えない世界に支えられて在る世界だと申します。 今の私たちに見えている世界は、46億年前の地球の歴史が在ってのものです(150億年前の宇宙の誕生まで遡るものでもあります)。 金治勇師のお考えは、過去は、私たちの眼には見えませんから、見えない世界が在って、現在の私たちの世界が眼前に在ると云う考え方だと思われます。西岸は〝いのちのいのちの世界〟、それは私たちには見えない世界です。 見えない世界ですが、感じられる世界(感応道交の世界)だと金治勇師は申されています。

多分、「お蔭様」と云う言葉も、〝見えない世界〟を考えてのものだと思います。二河白道の教えは、善導大師が、見える世界から見えない世界へ還る道を私たちに見える様に遺された尊い絵図ではないかと思います。 そして、その白道は、決して〝た易い道〟では無いと云うことを示されているのだと思います。そしてその狭い白道を阿弥陀仏の本願を信じて、一心に念仏を称えて進んで来なさいと云うことだと思います。
親鸞聖人が、『親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。 たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。 』と言われたと云う歎異抄第二章のお言葉が思い出されます。

併しながら、阿弥陀仏の本願を信じることはなかなか出来ることでは有りません。何故信じることが出来ないかと申しますと、私たちは自分の考えと自分の力を信じているからです。 別の言い方をするならば、自分とはどう云うものかが全く分かっていないからだと思います。 私は、30歳前後の頃、当時協和発酵工業会長であられた加藤弁三郎師に「念仏を素直に称えられませんが、如何したものでしょうか?」とお尋ねしたことがございましたが、そのご返事は「貴方が賢き想いを具していらっしゃるからです」でした。 しかし、その意味が私にはなかなか分かりませんでした。

あれから約40年経った極最近、少し、その意味が分かるかも知れないと思うようになりました。 それは、何事も思い通りにならない自分の状況が目の前、或は心の中で起こることの原因が、世の中の所為でもなく、他人の所為でも無い、どうやら愚かに関わらず愚かと思えない自分に在る事に気付き始めたからではないかと考えております。 でも、未だ未だ不徹底であることは間違い有りません。でも、自分が問題児になったことで、途中河に落っこちて元々(駄目元)だから、善導大師の仰せに従って、二河白道を渡り始めようかと云う気になったようです。 最近流行の「ありのままでいい」と云う感じでしょうか。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1425  2014.12.20
『二河白道』本文の紹介

藤秀璻師のご著書『二河白道と人間』(百華苑刊、昭和55年8月20日初刷)に掲載されている『二河白道』本文を紹介致します。見慣れない漢字や熟語が沢山あり、私が読めなかった漢字・熟語には勝手ながら〝ふりがな〟を付けました。 ご了承願います。

二河白道は、中国の善導大師(613-681)が撰述した『仏説観無量寿経』の注釈書である『観無量寿経疏』(かんむりょうじゅきょうしょ)の第4巻の『散善義』に記され、浄土門では余りにも有名な教えです。 『観無量寿経疏』は、『観経疏』とも呼ばれ、それまでの浄土教の教学者の『仏説観無量寿経』の解釈を一新した書ですが、『観経疏』は、中国では広く流布することは無かったそうです。 しかし日本において、浄土宗の開祖法然上人がこの書に着目し、主著『選択本願念仏集』に「偏依善導」(偏に善導一師に依る)と記して、善導とその主著である『観経疏』を重用し、教学の根幹としているそうです。 そして浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人も、『教行信証』「行巻」の巻末にある『正信念仏偈』の中で「善導独明仏正意」(善導、独り仏の正意を明かす)と讃歎しています。

私は、若い頃から『二河白道』のことは知っていましたが、作り話的に思えて、親しむ事が出来ませんでした。しかし、今はとても深い教えであり、また仏教にとって非常に大事な教えだと考えるようになりました。
そして、聖徳太子(574年- 622年)が、もし、善導大師よりも遅く生まれられ、『二河白道』の教えに触れていたなら、日本の仏教史も、政治を含めた歴史も大きく変わっていただろうに、と残念に思っています。

先ずは、二河白道の絵図を見ながら本文を読み解いて頂きたいと思います。

一切の往生人等(とう)に白(もう)さく、今更に行者のために一(いち)の譬喩(ひゆ)を説きて信心を守護し、も って外邪(げじゃ)異見(いけん)の難を防がん。何者が是なるや。譬えば人ありて西に向いて行かんと欲するに百千 の里ならん。忽然(こつぜん;突然に同じ)として中路(ちゅうろ)に二つの河あるを見る。一つには是れ火の河、南 にあり。二つには是れ水の河、北にあり。二河おのおの闊(ひろ)さ百歩(ひゃくぶ;70~80m位)、おのおの深 くして底なく、南北に邊(ほとり)なし。正(まさ)しく水火の中間(ちうげん)に一(いち)の白道あり、闊(ひろ)さ四五 寸(寸=3.3㎝)ばかりなるべし。この道東の岸より西の岸にいたるに亦長さ百歩、その水の波浪交り過ぎて道を濕 (うるお)し、その火焔(くわえん)亦(また)來(きた)って道を焼く。水火相交りて常にして休息(くそく)する こと無(な)けん。この人既に空曠(くうこう;広々とした)の迥(はるか)なるところに至るに更に人物(にんもつ) なく、多く群賊(ぐんぞく)悪獣(あくじゅう)あってこの人の単獨(たんどく)なるを見て、競い來って殺さんと欲 (ほっ)す。この人死を怖れて直ちに走りて西に向うに忽然としてこの大河を見る。即ち自ら念言(ねんごん)すらく、 この河は南北に邊畔(へんぱん)を見ず、中間(ちゅうげん)に一の白道を見るも極めて是れ狭小なり、二つの岸相 (あい)去ること近しと雖(いえど)も何に由(よ)ってか行くべき。今日(こうにち)定めて死せんこと疑わず。正 しく到り迴(かえ)らんと欲すれば群賊悪獣漸漸(ぜんぜん;徐々に)に來(きた)り逼(せ;迫ること)む 。正しく南北に避け走らんと欲(ほっ)すれば悪獣毒蟲(どくちゅう)競い來(きた)って我に向(むこ)う。正しく西に向い て道を尋ねて去(ゆか)んと欲すれば、復(また)恐らくはこの水火の二河に堕(だ)せんことをと。時に當(あた) って惶怖(おうふ;恐れおののくこと)すること復(また)言うべからず。即ち自ら思念すらく、我(われ)今迴(か え)らば亦(また)死せん。住(とどま)らば亦死せん、去(ゆ)かば亦死せん。一種として死を免れずば、我寧ろこ の道を尋ねて前に向(むか)いて去(ゆ)かん、既にこの道あり、必ず應(まさ)に度(ど)すべしと。この念を作( な)す時、東の岸に忽ち人の勧むる聲を聞く、仁者(なんじ)但(ただ)決定(けつじょう)してこの道を尋ねて行( ゆ)け、必ず死の難(なん)無(な)けん、もし住(とどま)らば即ち死せんと。また西の岸の上に人あって喚(よぼ )うて言(いわ)く、汝一心正念にして直ちに來たれ、我能(よ)く汝を護らん、衆(すべ)て水火の難に堕せんこと を畏(おそ)れざれと。この人既にここに遣(つかわ)しかしこに喚(よぼ)うを聞きて、即ち自ら正しく身心に當っ て決定して、道を尋ねて直ちに進んで疑怯退心(ぎこたいしん;疑ったり、恐れたりして、しりごみする心)を生ぜず 。或は行くこと一分(いちぶん)二分(にぶん)するに、東岸の群賊等喚(よ)んで、言わく、仁者(なんじ)迴(か え)り來(きた)れ、この道険悪なり、過ぐること得じ、必ず死せんこと疑わず、我等衆(す)べて悪心あって相(あ い)向(むこ)うこと無しと。この人喚(よ)ぶ聲を聞くと雖も亦迴(かえ)り顧(み)ず、一心に直ちに進んで道を 念じて行けば、須臾(しゅゆ;一瞬のこと)にして即ち西の岸に到りて、永(なが)く諸難を離れ、善友相見て慶樂( きょうらく)すること已むこと無からんが如し。(『散善義』)

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No.1424  2014.12.15
「生命(しょうみょう)」「活命(かつみょう)」と『二河白道』

前回のコラムで、『二河白道』の絵と『二河白道』の説明サイトをご紹介しましたが、 旅人(煩悩具足の私たち凡夫;真実を求める衆生)を待つ阿弥陀如来が描かれている西岸(彼岸、西方浄土)と、旅人に西岸を目指せと説く釈迦如来が描かれている東岸(此岸、娑婆世界)に付いて、 私は、西岸は「生命(しょうみょう)」の世界、東岸は「活命(かつみょう)」の世界と考えました。

また、西岸は〝色即是空〟の寂滅涅槃の世界、東岸は〝空即是色〟の十方微塵(じっぽうみじん)の中の、私たちが住む娑婆世界と考えました。その東岸には群賊・悪獣が居り、旅人に襲い掛かります。 その群賊・悪獣とは、本能・欲望に訴える商業宣伝とか、隙(すき)あらば財産や命を奪う強盗、殺人鬼、そして私たちの心や身を傷め付ける自然災害など等、私たちを苦悩させるあらゆる実在を表現しているものであります。
そして、燃え盛る炎の河は、私たちに怒りや恨みを生ましめる煩悩を表わし、荒れ狂う水の河は、私たちの貪りと云う煩悩を表わしたもので、西岸を目指して白道を進もうとする旅人を惑わせるものであります。 しかし、東岸に引き返しますと、群賊・悪獣が待ち構えていますから、引き返す気にはなれません。

その悩める旅人の耳に聞こえて来るのは、阿弥陀仏の「我を信じて、我が名を称えながら真っ直ぐに突き進んで来なさい」と云う呼び声(召喚の声)です。
その、「呼び声のまま進めばよい」と云うのが、『二河白道』の教えだと思います。

私は、この『二河白道』の絵を見る時、白井成允先生の次の歌が思い浮かびます。

            ―招喚の声―
      業風吹いて止まざれども
      唯聞く弥陀招喚の声
      声は西方より来りて
      身をめぐり髄に徹る
      慶ばしきかな
      身は娑婆にありつつも
      既に浄土の光耀を蒙る
      あはれあはれ十方の同胞
      同じく声を聞いて
      皆倶に一処に会せん
      南無阿弥陀佛

『東岸に居ながら、西岸の風光を味わえる』。これが、親鸞聖人が考えられた、私たちが生きているうちに救われる境地、いわゆる『正定聚の位』ではないかと、私は考えました。 東岸、即ち「活命(かつみょう)」の世界である娑婆に在っては、煩悩を消し去ることは到底出来ない訳でありますが、この世では、美しい花も、輝く星も、山々も、河も、海など美しい景色を楽しむことが出来ます。 善知識と言われる信心の人々とも出遇うことが出来ます。

「色即是空」の風光を仏教に学ぶことによって、この「活命(かつみょう)」の世界が、まさに「空即是色、花盛り」だと受け取れるようになるのではないかと考えました。 しかし、正直なところ、私は喜び勇んで、西岸に参りたいとは思えません。多分この心境は頭脳が働いている間は変わらないのではないかと思います。 それ程、私は我が肉体と心に執着しています。でも、白井成允先生が詩を読まれた時のお気持ちにはなれそうな気がしております。 浄土を求める気持ちはそんなに強くはありませんが、自分の心の奥底に棲(す)む群賊・悪獣と別れたい気持ちで一杯ですから・・・。

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No.1423  2014.12.12
「生命(しょうみょう)」「活命(かつみょう)」から気付かされたこと

私は前回のコラムで、「私の生活を『生』と『活』に分け、我が煩悩を『活』の部分では必然的に生じるものであると認識出来ることに依り肯定出来そうだからです。」と申しました。しかし、その後も、色々と思索致しました。 結果として、『二河白道』の教えにその答えを見付けることに至りました。

『二河白道』の教えは、『ここが浄土の南無阿弥陀仏ー浄土についてー』の〝人間生活の二河白道〟と、 それに続く〝東岸(活の世界)から西岸(生の世界)へ――私自身を問う――〟に述べられています。
お読みになられたなら、お分かりになると思いますが、『二河白道』と云う言葉を初めて見られたお方は、インターネットサイトに見付けた『二河白道』をご覧頂きたいと思います。

私が思いましたのは、私自身の生活に於ける「生命(しょうみょう)」と「活命(かつみょう)」の割合を1:9位だと考えていましたが、実はそれは思い違い、認識違いであり、事実は1:99、否、これも身贔屓(みびいき)過ぎると考え直しました。 自己弁護致しますと、生活を例えば、午前中は「生命(しょうみょう)」の生活、午後から「活命(かつみょう)」の生活だときっちりと分けられるのならべつですが、「活命(かつみょう)」の生活の所どころで、 「これでは仏教徒とは言えないな!」と反省する瞬間があり、これを「生命(しょうみょう)」の生活だと考えてしまい、「生命(しょうみょう)」の生活の時間を過大評価してしまったのだと考えました。

そして、この身贔屓(みびいき)自体が、煩悩具足の為せる業だと考えるべきなのですね。
私は、『二河白道』の図の、東岸に在って、四六時中「活命(かつみょう)」の生活を免れられずに居る訳です。 そんな私に出来る事は一つ、活命の東岸から阿弥陀仏が招いている西岸に至れる細い細い(幅10㎝の)『白道』に足を踏み入れる決心を固めることです。
否、活命の生活の四苦八苦の事実と真摯に向き合い、聞こえて来る阿弥陀仏の呼び声に従うだけだと思いました。 そして、阿弥陀仏の呼び声に従って東岸を目指せないのは、随分な身贔屓に依り、我が身の愚かさ、我が身が煩悩具足、煩悩熾盛振りに気付いていない証拠だと思いました。

親鸞聖人は、ご自分を称して、『誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし』とか、 『小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき』、『悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる』と嘆いておられます。 私は、親鸞聖人ともあろう人が、そんな事は無いはずだ。随分と謙遜されて言われているのだと思っていましたが、それは受け取り方が間違っていて、親鸞聖人はご自分の心の奥底を凝視されて感じたそのままを発言されたものだったと思います。 これを仏様の光りに照らされると言うのだと思います。

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No.1422  2014.12.06
禅の悟りとは平気で死んで行くこと?平気で生きて行くこと?

正岡子規師【(まさおか しき、1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)俳人、歌人、新聞記者】が、死の直前、「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」 と書き残しているらしいことを、私は40歳頃に聞き知り、感銘を受けたことを記憶しています。

しかしそれは、「平気で死んで行けるようになりたい」と云う願望を持っていた私が、「自分が死ぬ」事に対する抵抗感が強かった故に、「平気で生きることなら、自分にも出来そう」に思えたからでは無かったかと振り返っています。
それから30年近く経った今、平気で死んで行くことも、平気で生きて行くことも出来ないままの私であることに、少々焦りを感じています。

そんな中、コラムNO.1419でご紹介した『ここが浄土の南無阿弥陀仏ー浄土についてー』の「往生とはどういうことか」の章に書かれている 【『生活』を『生』と『活』に分けて考える】仏教の考え方を知りました。 その内容をお読みになられていない方の為に、以下に抜粋・転載させて頂きます。

『我々の人間生活、――仏教では、人間生活を「活」と「生」とに分けて「活命(かつみょう)」と「生命(しょうみょう)」という。食べて生きていくのを「活命」という。これを「この世の生き方」という。 この世に幸せをもとめて、あるいは政治、経済をはじめ、教育、家庭にいたるまで、いろいろと問題がある。それを適当に解決しながら、この世を幸せに過ごしていこうというのが「活」の世界である。 だから、子供は子供なりに、大人は大人なりにいろいろの生きざまがある。若い時はきれいでありたいと願うし、年を取ってくると健康でありたいと願う。そういう生き方を「活」というのである。

 「生」というのは、私の生きている意味、生まれた意義、何のためにこの世に生まれたのだろう、――このまんま死んでよいのか、というのが「生」の問題。この「生」の問題を往生の問題、往生の一大事とか後生の一大事という。 浄土真宗が目標とし解決したいと願っているのは、まずこの「生」の問題である。「生」の問題の解決を往生浄土という。このことが明確になるところから本当の人生は始まるのである。

 「生」に対して「活」というのは、この世の生き方であって、いわゆる健康とか、政治経済をもう少しよくする方法とか、あるいは家庭をうまくやっていく方法とか、その他たくさんたくさん生き方がある。
しかし、それができたら人間はこれで満足といえるのかというと、そうはならない。私は何のために生まれたのだろうとか、どうやって生きていくことが本当なのだろうというようなことが明確にならないと、何か空しいのではなかろうか。 よくわかったことですけれども、だんだん年をとってくると、最後は家内と二人きりになる。私も子供は四人いるけれども、三人は遠くへ行って、近いところにいるのは一人だけである。
子供の教育が大事といって育ててきたが、こうなってみると、私の人生は一体何だったんだろうなと考えるようになる。年を取ると、何かポカンと穴があいたような思いの人が多いのではないか。 いろいろなことをやってきた、けれども、それらは全て「活」のことばかり、この世のことで一生懸命だった。「活」だけでは、人生に本当に満足することはできない。 これを超え離れていく。そこに往生がある。それが本当の人生の充実である。』

ー以上で抜粋・転載終わります

そこで私はこの仏教の『生活』を『生』と『活』に分け、私たちの『命』を『生命(しょうみょう)』と『活命(かつみょう)』に分ける考え方を取り入れて考察することに依って、少しではありますが、 平気で生きられない自分を吹っ切ることが出来そうな気がしております。
それは平気で生きると云うことを私は、我が煩悩に苦しめられることなく生きることだと考えており、それが、私の生活を『生』と『活』に分け、我が煩悩を『活』の部分では必然的に生じるものであると認識出来ることに依り肯定出来そうだからです。

私は、より良く生きたい強い気持ちを持っている一方、日常生活に於いて実につまらないことで腹立たしくなり、怒りの炎を燃やすことがあります。特に、世の中のルールを守らない者のお陰で私が多大な迷惑を蒙った時などの怒りに、 自分自身の自我の強さに情けなくなる程です。それだけではなく、ビジネスを含む人間関係に於きましても、私が『正しい』と考える道から外れる行為や発言に出会いますと、思わず〝むっ〟としてしまいます。そう云う自分を後では反省は致します。 しかし反省はするものの、決して直らない自分に、またまた落胆すると云う繰り返しでありますから、煩悩に苦しめられている自分を何とか救いたかった訳であります。 ですから、我が煩悩を『活』の部分でのものと限定出来ることで救われそうに考えた次第です。

私は『活命(かつみょう)』を、「食べる為に生きる」私たちの動物的生活だと考えます。それは、煩悩と煩悩、本能と本能がぶつかり合う世界です。また、個別多の世界で、「個々の命と命がお互いに生きる為に食べ合う」弱肉強食の世界であり、 「何の為に生きるのか」「自己とは何か」を問う『生命(しょうみょう)』の生活、つまり、宗教的生活とは全く異なる世界だと考えます。
少し長くなりましたので、次回のコラムにて考察を続けさせて頂きます。

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No.1421  2014.11.26
花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ

花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ これは、金子大栄【かねこ だいえい、1881年〈明治14年〉5月3日 - 1976年〈昭和51年〉10月20日】と云う浄土真宗の学者(東洋大学教授、大谷大学教授、広島大学教授歴任)であり僧侶だった方の歌です。

この歌は、眼に見える身体と魂は別物だと云う立場のものだと思われる方もいらっしゃるかも知れません。でも、多分、それは金子大栄師がこの歌を詠まれた心の裡とは異なるのではないかと思います。 一方、身体が消滅すれば、意識とか心(精神)を有する器官である脳も同時に消滅するので、身体も心も共に無くなる、つまり私たちの一切が消滅すると云う立場の方もいらっしゃるでしょう。
私自身は、これまで、その一切が消失すると云う立場でしたが、全てが消失してしまうと云う考え方を全面的に受け容れられずにいました。

しかし、最近、浄土とか、自分の死に付いて考え出してからは、身体が消失すれば精神、心、意識も消失すると考える方が、科学的思考だと思うようになりました。 そして、金子大栄師の、『花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ』と云う歌の、『散らない花』の花と、『死なない人』の人とは、〝いのち〟の事を言っているのだと考えるようになり、納得しつつあります。 つまり、私たちは死ねば、精神とか意識とか心が存在すると考えている脳を含む身体の一切全てが生滅する。しかし、私たち生き物は、私たちの身体とは別に、働きとして実在する〝いのち〟と共に実在しており、身体が自然に還ると同時に、 〝いのち〟も、〝いのちの世界〟に還り、身体も〝いのち〟も輪廻すると考えられるのではないかと考察し始めているところです。

この『花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ』をご著書『やさしい宗教入門―いのちと光』で紹介されている金治勇師(聖徳太子のご研究、井上善右衛門先生と深き親交有り;1908年~1996年?)は、 『いのちの〝いのち〟』と云う表現で、私たち個々の命は、身体が無くなっても、その命の源としての〝いのちの世界〟と言っても良い、『いのちの〝いのち〟』に還るのだと次の様に申されています。
『それは丁度、海水と波に譬えることができましょう。海面上に現れる大波、小波、無数の波は、底深くたたえられた海水から出て、海水に帰るのです。しかも、波そのものもまた海水であって、海水を離れて波があるのではありません。 波は生滅変化しても、海水はもとのままであります。このように、個々のいのちを波とみればどうでしょう。』

身体も、焼けば水と炭酸ガスになって、形は無くなりますが、原子や分子、或は原子、電子などの素粒子として、地球上、或は大気圏、或は宇宙空間に還ります。 そして〝いのち〟も、宇宙中に遍満する働きとしての〝いのち〟に還るのだと考える方が、科学的ではないかと考察しています。〝いのち〟は、働きであるが故に、私たちの感覚では捉えられません。 風は眼には見えないけれど、樹木や木々の葉っぱが揺れるのを見て働きとしての風の存在を知ることが出来るように、〝いのち〟も、動植物の動きや無常を観て、はじめて〝いのち〟を感じられるのだと思います。

私は、今も、死にたくは有りません。自分と云うものが一切無くなってしまう事をどうしても受け容れられません。多分、身体が無くなるまで、つまり意識が在るうちは、自己中心的であり続けると思いますので、死ぬまで、死にたくないだろうと考えています。 でも、新しい身体と〝いのち〟に生まれ変わって、この世に還って来ると云う事に思い至れば、何となく、生死を超えれそうな気が致します。

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