No.1300  2013.06.10
末法の世

仏教には末法思想があります。お釈迦様の立教以来千年(500年とする説もある)の時代を正法(しょうぼう)、次の千年を像法(ぞうぼう)、その後一万年を末法の三時に分けて、 末法においては仏法が正しく行われなくなるとする考え方ですが、日本では平安時代の後期1052年(平等院創建の年)を末法元年と云うこともあります。

今年は末法961年です。末法は1万年ですからまだまだ続くと云うことになりますが、本当に人類はこれからも生き残ることが出来るでしょうか?そう思わざるを得ない今日の世 界情勢ではないかと思います。私の存じ上げている仏法上の先生、故米沢英雄師も高史明師も、現代の経済一辺倒の世界政治のリーダーに危惧を抱いて居られます。

もともと地球は人類だけのものではありません。全ての生き物が共存共生する場であります。数億年掛かって、出来上がった地下資源を人類は勝手し放題にしています。アメリカの シェールガスにしても、石油・石炭と同じく太古の生物が変化したものです。にも拘わらず、地下資源を我が物にしようと、領土・領海の所有をめぐって争っているのが人類です。こ の数世紀で獲得した科学技術で以って、地球を征服した、宇宙までも征服し得ると思い上がっているのが現代の人類です。
そして、それを大慈悲心で見守っているのが仏様です。仏様と申しますと抵抗があるのでしたら、〝サムシング・グレイト〟です。この宇宙を動かしている大いなる働きです。 現代の科学技術は確かに大したものです。他の天体にまでロケットを飛ばし、その星から星を構成している成分を持ち帰ることだって出来るようになりました。iPS細胞とかで、人 間の細胞から人工的に人間を産み出す事も出来るかも知れません。「もう我々人類は科学技術で何でも出来ると思っている。」と言われても真っ向否定は出来ない程です。

しかし、それほど甘いものでは無いと思います。薬には副作用や後遺症が有りますように、良いと思ってしたことが思わぬ結果を招くのは歴史が示しています。水俣病やアスベスト 公害、サリドマイド薬禍等が端的な例です。また、今もなお福島県民を放射線禍で苦しめている2年前の原発事故は、本当は仏様からの「ノー」と云う意思表示と受け止めるべきか も知れません。

私たち大人は、赤ちゃんや幼児、或は青少年を見守っています。大人の見守りで、赤ちゃんは食べ物を食べられ、排尿便を処理して貰えて衛生的に育つことが出来ます。交通の激し い道路近くの公園で遊びに興じる幼児達は、間違えば死に至る交通事故からも守られて大きくなることが出来ます。青少年も、事故や事件に巻き込まれて危険な目に遇う事から守られ、 やがて配偶者と出会って家庭を持つに至ります。しかし彼らはその大人達の見守りのお蔭で一日一日の命があり、成長出来ていることには気付いておりません。それは家庭で飼われ ているペットも同じでしょう。彼らは自由に行動出来たら直ぐに交通事故の被害に遭います。だから窮屈な檻に入れられているのです。しかしペット達はそのお蔭を知る由もありま せん。

それは、親達の見守りの中で成長し今や一人前だと思っている私たち達大人にも、そして人類全体にも言えることだと思います。人類産みの親、〝いのち〟の産みの親、地球産みの親、 宇宙産みの親のお蔭で今日一日の命が守られているのです。
そして、やがて大地震と大津波が来ることを知らずに、そして大竜巻に巻き込まれることも知らずに、アベノミクスだ、円高だ、株の乱高下だとお金稼ぎに一喜一憂する私たちを心 配そうに見守って居られるのが、私たちの産みの親である仏様なのです。仏様は、度々人類に鉄槌を振り下ろして注意喚起をして下さるのですが、思い上がった人類は、仏様の心配を よそに奈落の底に堕ちて行っているのではないかと・・・。

人類の把握しているこの世に関する知識は、人間と比較した時の蟻さんの知識よりも狭いものだと思います。それを忘れて、自分で何でも出来ると思い違いをして突っ走っているの が、末法の世を生き続けている私たち現代人であることに気付きたいものです。

末法の世と云う考え方は、仏様が私たちを案じて前以て現代人に用意して下さった止むに止まれぬサジェッションだと私は思います。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1299  2013.06.06
仏法に期待することは

前回のコラム「仏法に期待することは?」に対する私なりに考察した結果を申し述べます。
前回のコラムの末尾を、「私たちは、悟りを求めたい、苦悩を苦悩と感じない様になりたい、活き活きと生活を送りたいと思い、それを仏法に期待して法話を聴き、坐禅を続けるのではないでしょうか。なのに、 仏道の先輩、先師達は、挙(こぞ)って、念仏に利益は無い、何かを求めて坐禅をしても無所得だと申されます。 どう云うことでしょうか?それなら、病気が治る、お金持ちになれる、人間関係が良くなると云う倫理団体や、新しい仏教団体の方が、分かり易く、近道なのでしょうか?」と結びました。

仏法を求める心を『菩提心(ぼだいしん)』と申します。実に尊い心ですが、仏法を求める人は極めて少ないと思われます。正月元旦に神社にお参りする人は数千万人とも言われますが、これは商売繁盛とか家 内安全を願う心からの行動ですので、菩提心から出た行動ではなく、仏法的に申しますと、我欲・自己愛から出たものだと云うことになりましょう。

でも、『菩提心』も根っこには煩悩があると云うことに、仏道を歩む中に、法話を聴き進む中に目覚める時が来るのだと思われます。その瞬間を『廻心(えしん)』と云うのだと思いますが、でも、それで、自 己中心的な思考が変わると云うのでは無く、自己中心の自分に深く深く気付くと云うことで、煩悩が無くなる訳でも無く、所謂〝悟り〟が開ける訳でも無いと思います。

今年の1月に亡くなられた禅僧であり且つ念仏者でもあられた西川玄苔師が、「坐禅をして煩悩が無くなる訳では無い。むしろ自分の煩悩がはっきりと見えて来るのだ」と仰っておられました。また、「煩悩が全く無くなっ てしまったら、仏さんに用は無くなる」とも仰っておられました。それは別に、煩悩を肯定されているのではありません。また、煩悩を持つ身に甘んじておられる訳でもありません。煩悩があるからこそ仏法に 遇い得た事に気付けて、縁に依って人間に生れて来た自己、縁の中で生かされている自己、縁に依って死を迎えるであろう自己に目覚められたのだと思います。

仏法が縁を説く宗教であると知識としてご存知の方は居られると思いますが、その場合、自分の周りで起こる現象や人間関係に縁と云う考え方で視ることは出来ても、自分自身の存在や人間関係、更には自分自 身の心の中で生じる事柄を縁に依って起こっているとはなかなか自覚出来ないものであります。

縁起の道理を心身で受け止められたならば、念仏に利益が無いことも、坐禅が無所得であることも当たり前のことであり、何かを求めて仏道を歩むことは無くなると云うことではないかと思います。ただ念仏し て、ただ坐るだけが仏道だと言われる所以(ゆえん)ではないかと思います。

それでも、私たちは生きている限り、やはりお金は欲しいし、健康でありたいし、良い人間関係に恵まれたいと思い、あれやこれやと頭に浮かんで来ます。それはそれで良いとは申しませんが、自然なことです。 そんな気持ちが起こらない様に努力する必要は無く、結果は縁に任せて、自分の出来ることを日々淡々とこなしていくことに徹することだとして、多くの先師が歩まれたのだと私は思っております。

仏法に期待することは勿論幸せでありますが、その幸せとは、仏法の『縁起の道理』を知識としてでは無く、自分自身を含めてあらゆることが縁に依って生じていることを心身で以って検証し体得すれば、これも縁に依ってではありますが、活き活 きとした日々に恵まれることだと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1298  2013.06.03
仏法に期待することは?

この無相庵を継続的にお訪ね下さっている方々は仏法に何かを求めて来られたのだと思っています。私は殆ど物心も付かない頃から仏法に慣れ親しんで参りましたので、いわゆる動機は持っていません。 気が付けば、仏壇の前で朝夕、母の背中を見ながらお経を上げていましたから・・・。

でも、物心がついて、多少自分の将来を考えるようになった頃、それは多分二十歳前後でしょうか、より良い人生を送りたい、苦しみや悩みの無い幸せな生活と人生を願うようになった頃、漠然と、その為 に仏教があるのではないか、母はその為に仏法を聴く会を主宰し、毎日お経を上げ、毎晩、法話会で収録した法話テープを聴いているのだろうと思っていました。

しかし、歎異抄の第十章に、「念仏には無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆえに」と云う親鸞聖人の言葉が引用されています。高史明師の現代意訳に依りますと、「念仏は人間の知恵では意 味づけることのできない真実です。人間は阿弥陀仏の智慧を称えることも、説くことも、思い計ることもできないのですから」と云うことです。また、禅の方でも、道元禅師は禅修行の為に中国へ行って分かっ たことは、「眼横鼻直」(がんのうびちょく)」でした。つまり、「眼は横にならんでおり、鼻は縦に付いている(垂直だ)」と云う誰でも知っている常識的なことが分かったと言います。そしてその道元禅師 の曹洞宗で有名な沢木興道師は、坐禅は「無所得」だと云います。「坐禅は何かを求めてやるものではない」と仰るのです。
つまり、念仏も坐禅も我々が求める意義は何も無いと云うことになります。

私たちは、悟りたい、苦悩を苦悩と感じない様になりたい、活き活きと生活を送りたいと思い、それを仏法に期待して法話を聴き、坐禅を続けるのではないでしょうか。にも拘らず、仏道の先輩、先師達 は、挙(こぞ)って、念仏に利益(りやく)は無い、また、何かを求めて坐禅をしても無所得だと申されます。

どう云うことでしょうか?それなら、病気が治る、お金持ちになれる、人間関係が良くなると云う倫理団体や、新しい仏教団体の方が、分かり易く、近道なのでしょうか?

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1297  2013.05.30
法蔵菩薩の誓願と民主主義

法蔵菩薩の誓願は、「衆生全てを救わなければ自分は仏にはならない」と云うものです。一人のオチコボレも認めないと云う徹底的な誓いです。法蔵菩薩は確かに実在者では有りませんが、 仏教の根本思想は、一人の例外も無く救われねばならないと云うものです。

それに比べますと、現代民主主義(議会制民主主義)は物事が多数決で決められるので、少数派の考え・希望は切り捨てられ、どうしても、社会的弱者が生じる仕組みである上に、 世界を治める国際連合が、第二次世界大戦の勝利国であり、且つ大量破壊兵器である核兵器を大量に保持する5ヶ国の常任理事国に依って重要事項が決められる体制になっている以上、現 代の人類社会が弱者に厳しいものであることは論を待たない(常任理事国の一か国でも反対すれば決まらないと云う決まりは民主主義の多数決でも無いのである)。

核兵器を保有する国が世界をリードする限り、その強者に対等の立場で渡り合いたいとインドやパキスタン、イスラエルが核兵器保有国になって来たのは必然であるし、イランや北朝鮮が核保 有へ必死の努力をすることもまた必然だと思う(橋下氏の言葉を借りれば、必然だけれども容認は出来ないのだが・・・)。

このような弱者を生んでしまう現代人類の有り方が間違っている事にいずれは気付かされる時が来るはずである(6500万年前には恐竜時代が終わった〝いのち〟の歴史がある)。私は昭和 20年3月生まれであるから、民主主義絶対の戦後教育を受けて育ったのであるから、民主主義は正義と思って来たが、仏教を学び、仏教の眼差しで最近の世界情勢を見ていると、共産主義国 家は独裁主義国家であるから論外であるが、アメリカ民主主義は独善的正義であり、弱者容認の政治手法であり、人類に決して平和と安全・安心を齎さないと思うようになった。

多数決は智慧の無い安易でリスクの大きい政治手法だと思う。どうすれば良いかの具体策は提案出来ないが、多数決は何かを変えたい、何かを早く決めたいと云う変化を求めるものだと思 う。変化させて来たから、人類は幸せを失って来たのかも知れないのである。決められない政治も良いのではないかとも思うのである。
アベノミクスで幸せになるのか?円安と株高が弱者に幸せを齎せるのか?憲法96条を改正し、弱者を救えるのか?国民の一人残らず幸せになる国家を目指して、国民一人一人が頭を冷や したいものである。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1296  2013.05.27
続―共に心を同じくして

前回のコラムで、佐野明弘師の『共に育つ』への寄稿文を抜粋転載致しました。佐野師は、共に心を同じくすると云うことは、他の人の喜びを自分の喜びとして共にしたり、 他の人の悲しみを我が悲しみとして共にすることではないと仰っていると思います。
共に心を同じくすると云うことは、他の人の喜びを共に喜べず、他の人の悲しみを共に悲しめない人間であることの悲しさを共にすることでは無いかと考えられたのだと思われます。

これには抵抗を感じられる方もあろうかと思います。「いや、知人友人の死に遭遇した時は、涙が出るし、知り合いが何か快挙を成し遂げた時は、自分が成し遂げたような気持ちにな って、一緒に喜べる」と言われるかも知れません。でも、その喜びや悲しみは心から出たものではないと考えたいものです。残念ながら、自分の喜び悲しみであれば少なくとも数日は持続 しますが、他人事になりますと翌日に持ち越さないのではないかと思います。
たとえば、私たちは北朝鮮に依る拉致被害者の家族の悲しみや悔しさや憤りを理解は出来ても、残念ながら当事者のものとはかなりの差があります。

佐野師は、そう云う私たち人間の性(さが)とか業(ごう)を共に背負っていると云う共通認識を持つことなら出来るではないかと考えられたのだと思います。

皆さんは、2001年(平成13年)6月8日に起きた大阪教育大学附属池田小学校での児童殺害事件をご記憶の事と思います。犯人の宅間守死刑囚は、死刑確定から約1年後の 2004年9月14日に死刑執行されたのですが、今月、宅間守死刑囚の精神鑑定に当った精神科医が「宅間守精神鑑定書」を出版したが、彼は、「自分の命は何十万人の命よりも重たい。た った8人位の殺人で死刑になるのは納得出来ない」と述べたと云う。「何と云う事を言うのか、死刑になって当然だ」と思うのでありますが、私自身は、突き詰めれば他人の何十万人の命 よりも私の命の方が大事なのであります。日本で自殺者が年間3万人を超え続けていた時、私はそれ程心の痛みを覚えませんでした。アメリカが広島長崎に原爆を落とし、30万人の命が 奪われたことを知っても、アメリカに怒りを感じたり、核兵器反対運動に参加したりはしませんでした。



たまたま育った環境、受け継いだ遺伝子の違いで、私は殺人を犯してはいないけれども、宅間守とは異次元の人間ではないと思います。また一方、亡くなった7名の児童とそのご両親方と同 じ気持ちで悲しみや、宅間守死刑囚への憎しみや憤りを持ち得ない人間でもあることにも思いを致さねばなりません。

そして、そう云う私たちの一人一人を観て、神様にしても、仏様にしても、悲しみの涙を堪えて見守って居られるのであろうと思うのです。仏様から観ればそう云う同じ立場の私たちは共に心を同じくした いものであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ

追記:
今日5月27日は、私たち夫婦の42回目の結婚記念日です。妻が両親と過ごした21年間の丁度2倍の年月を共にしたことになる日であります。
周りには私の息子を含めて沢山の離婚した夫婦、離婚予備軍の夫婦が居ます。そんな中、離婚しそうにはない夫婦で42年目を迎えたことを、ただただ運が良かったと私は思っています。勿論、今日も妻に 結婚記念日プレゼントを密かに買い求めていると云う努力はしていますが、これも運良くそのような関係が築けられたと云うことであり、他力以外なにものでもないと思うべきだと自誡しております。 そして、50回目の結婚記念日を迎えられたらなぁーと思っております。


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No.1295  2013.05.23
共に心を同じくして

前回、前々回でご紹介した野嶋諭氏の寄稿文の後に、佐野明弘氏と云う加賀市のお坊様の、これまた親鸞聖人の心を深く読み解かれたと思われる寄稿文があります。題名は『ただ「悲」のなかに』ですが、 その末尾を転載させて頂こうと思います。

この抜粋転載させて頂く中に『共同心(ぐどうしん)』と云う言葉が有ります。これは、親鸞聖人が書かれた『教行信証』の中にある、一般には『正信偈』と云いまして、親鸞門徒が朝夕に読経されている ものですが、その中にあります。「共に心を同じくして」と云うこの『共同心(ぐどうしん)』は、歎異抄の第9条に、親鸞聖人が唯円房と同じ心を持たれていることが表現されていますが、これが『共同 心(ぐどうしん)』だと思います。

その会話とは、「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜(ゆやくかんき)のこころおろそかにしてそうろうこと、またいそぎ浄土にまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろう やらん」と、もうしいれそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり・・・」です。これは親鸞聖人が弟子を導く為に、弟子と目線を同じにすると云った教育テクニッ クから出た言葉ではないと思います。おそらくは、親鸞聖人が唯円房と同じ心境だと云うことではなく、阿弥陀仏の眼からは、親鸞も唯円も同じだと観られていると云う親鸞聖人の至られた一如平等の信心 だと佐藤師は覚られたと思います。親鸞聖人は常に阿弥陀仏の眼と心を鏡とされていたのだと思います。

では、抜粋転載ですー

これまでにどれだけの人が夫婦や親子として生活を共にし、人生を終えていったであろう。いろんな国で、どれほどの家族があったことか。それぞれさまざまな問題を抱え、悩んだり喜んだり、そうして無 数の家庭が終えていった。どの家庭も一つとして同じものがない。しかしどの家庭にも変わらずあるのは、本当に共にありたい、通じ合っていたいという一つのことではないだろうか。

人はいろいろ悲しい目に遇ったり、寂しい思いになったりする。しかし人の本当の悲しみは、それが一人でしか悲しめないということだ。なかなか共に悲しむということができず、それで苦しむ。
親鸞聖人の書かれた『正信偈』のなかにも「共同心(ぐどうしん)」という言葉がある。共に同じ心にして、それが人が救われていく唯一の道だという。悲しみがなくなることが救いなのではなく、哀しみ が分かり合えることが救いになる。だからほんの少しでも分かってもらえれば、それだけでもうやっていける。問題の内容を分かってもらうことよりも、むしろ悲しみを、どんなにつらいかを分かってもら うこと、それが救いになる。ところが、これが難しい、ほとんど不可能だ。

だいたい自分のことをほんとう分かってくれる人が、この世に一人でもいるだろうか。またこの人のことならと、本当にその人のことを分かってあげられる人が独りでもいるだろうか。考えてみれば、そんな ことすらが成り立っていない。独生独死、独来独去――本質的に人は孤独なのだ。人は理性をもって人となり人となったが故に、本質的に孤独の存在となった。人であることがすなわち、共同心という唯一の 救いの道を失っている。
それでもなお、通じ合って生きたい。共にありたいと欲して止まない。これは人間の止む無き要求である。本質的に孤独な人間が、根本的に共にありたいと要求して止まない。これは全く不条理だ。

人の悲しみはそれが深ければ深いほど、どれほど慰められても勇気づけられても同情されても、アンタには私の気持ちは分からん、という形で悲しみが閉じていく。
しかし実はこの誰にも分からんということにこそが、かえって本当に共にあるということ、通じ合うということを表わしている。この世のつながりがみな偽物ではないか、そらごとではないか、本当には通じ合 えていないではないかということが、かえって本当のつながりを表わしているのだ。

共にある、通じ合えているときが、共にあるのではない。それは自分勝手な思いだ。共にありたい、通じ合いたい、それは人間の希望に過ぎない。むしろ全く通じ合えない寂しさと孤独の涙の上にこそ、共にあ るという深い意味があるように感じる。人間の思いや考え、それはいかに深いといっても浅いものだ。私も人生を楽・喜び・満足をもってうけとめようとしてきた。しかしそういう苦から楽へ、楽から苦へとい う六道輪廻の生死の世界は、とどまるところがない。とれほど生活形態が変わっても、その先に救いはなく、苦楽を廻る生死のなかを一歩も出ない。人は死ぬまでの間の幸せしか考えられず、生死を出るという ことが発想出来ないのだ。そんな私に真の共なる世界はない。そのないという悲しみさえが偽りだ。

しかしその時こそが、人間が涙を取り戻すときなのです。苦楽、生死を問題にしていた人間の価値観が滅んで、共にあるいのちの深さ、厳粛さにおいていのちそのものを感じる。これは人間個人の思いや考えで はなく、むしろそれを破るものだ。そこで初めて共なるせかいの本当の深さ、その大悲の限りない深さに触れるのです。

私の日々においてそのことに気づくのは、折りにふれて時々だ。折りとは苦悩のときや仏語に触れるときなど。それは丁度小さな子が、母と公園に行って砂遊びをしているうち、遊びに夢中になって母のことを 忘れてしまう。しかしふと、「あれっ、お母さんは?」と振り向くと、母がニコニコこちらを見ている。その眼差しにずっと見守られていたことを知って、安心し、また遊び出すといったようなものでしょうか。

―抜粋転載終わり

続きは、次回コラムにさせて頂きます。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1294  2013.05.20
贈与の海に浮かぶ私たち

前回のコラムで、野嶋諭氏の東日本大震災体験記とも云うべき『大震災、そこから来たもの、去ったもの』から抜粋し、私たちが夢幻の現実生活を生きていることと、 そのことにさえ気付かずに日常生活に取り紛れているのではないかと反省を込めて記した積りですが、無相庵読者方はどのように受け止められたでしょうか?

実は、私が野嶋諭氏に共感を覚えましたのは、抜粋した文章の次に書かれていた箇所にありました。
それは下記の通りです。そして、その中に表題の〝贈与の海〟と云う表現がありました。この表現は恐らく野嶋氏オリジナルのものと思われますが浄土真宗的に言い 換えますと『他力の海』、更には『本願海』とも申せましょう。

『大震災、そこから来たもの、去ったもの』からの抜粋―

見渡す限り破壊され何もかも無用の長物になった時、一番役に立たないものは「私」であり、「私のもの」であった。その最たるものは通貨である。モノがなくなれば 、通貨は不能に陥る。しかしモノが戻ると、不能だった通貨が自他を切り離す刃(やいば)となり、関係をいびつに変形する燃料となる。大津波と比較にならないほど 広大な範囲で、絶え間なく循環し、際限なく世界を変容させていく。

                        (中略)

私とは全てのものが適切に揃い、わずかな変化を理解し操作することが許された環境の中でだけ、環境を忘れていられる。そこで自由や幸福を求め、素晴らしい人生だ った、あるいはこんな娑婆はがまんできないと言い張れるのである。すべてが調えられ与えられてしか、在ることができない、贈与の海に浮かぶ〝無〟に等しい私であ る真実が、瓦礫の中であらわになる。

無力なものが、すべてを在らしめているものに対して腹を立てることの無意味さを、大地震と大津波という異常な現象によって、有無をいわせず知らされる。知らされ ると、何がどうあろうと腹が立たなくなるのである。

―抜粋終わり

私が共感を覚えたのは、人類が通貨を考え出し利用し出したことで、文化は発展し、物の調達が効率よく自由になったものの、それが貧富の格差を増大させ、やがて人 間同士の殺し合い、土地の奪い合いが地球各地域で頻発し出し、今日の末法とでも云うべき人間社会を現出させることになったのだと私も考えて来たからです。

私たちは、確かに全てを与えられて生かされています。そして、それにさえ気付くことなく、何かを獲得しようと日々あくせくと生活をしております。大震災や大津波 や、想定外の出来事に遭遇する事に依って、野嶋氏と同じく、自分が『贈与の海』に浮かぶ存在だったことに目覚めるのでありますが、時間が経ってまた現実生活に戻 りますと、やはりお金無くしては生きて居られません。また、通貨の無かった3000年~3500年前に時計を歴史を巻き戻すことは現実的ではありません。

野嶋氏も、「今、私の住まいからは仮設住宅が見え、階段を下ると解体を待つ家屋や原野となった街並みが見えるが、あの津波の圧倒的暴力性は、表面から見事に剥ぎ 取られている。信じられないことであるが、その作業なしに私たちは生きられないことを認めざるを得ない。(中略)しかし、この本末転倒した生活が、震災体験から 問われているはずである。それに気付くために、日常生活という水面から、身体全体で深い底へもぐる訓練を日々行わなければならない。」と、言わば、東日本大震災 を恩寵的試練と受け取って変わらねばならない、そうでなければ、生き残った意味が無い、犠牲になられた多くの人々にも申し訳ない、と云う深いお気持ちではないか と思います。

そして、野嶋氏は「誰しもがいずれ死を迎える生にあって、唯一無二の震災体験で味わった絶望と感動を、生活の中で呼び覚ましていくことが、寺に願われた役割で あろうと思いたい。何度も繰り返されながら、第二義以下にされてしまう震災の恐怖にある真実を継承することが、未来の子々孫々から切望されている。私はあの時と つながる今を、ただ生きて、ただ念ぜられている」と結ばれている。

ここまで書いて来まして、表題の『贈与の海に浮かぶ私たち』ではないなと思いました。浮かんではいなくて、溺れているんだなと・・・。親鸞聖人のお言葉をお借り すると、『贈与の海』で貪(むさぼ)りの心で溺れ、怒りと愚痴の心でのた打ち回っている煩悩具足の罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫ではないかと。親鸞聖人は、それを慚 愧され、念仏一つで『感謝の海』に、そして『本願海』に浮かばれた人だったのではないかと考えました。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1293  2013.05.16
夢幻(ゆめまぼろし)の現実生活

前回のコラムで、高史明師のお言葉、「念仏を称えて、阿弥陀様にお任せするしかない。」を紹介致しましたが、私たちにはなかなかピンと来ないお言葉です。 それは多分、私たちが生きている現実生活に取り紛れているからではないかと思います。
アベノミクスで円安になったとか、株が5年4ヶ月ぶりに15000円台を回復したとか、北朝鮮がミサイル発射を取止めたとか、否、未だ警戒は必要だとか、 米中韓の連繋が強まり、日本は孤立しつつあるとか、自分の〝いのち〟に具体的直接的に関係しないフワフワとした情報に取り紛れて、私たちは〝いのち〟の 真実を忘れ果て、惰性で生きているからではないかと思うのです。

高史明師のお言葉を我が身に引き寄せるために、あるお坊さんの東日本大震災の体験記をご紹介致します。
それは、『共に育つー第14号』(新潟県五泉市、櫛谷宗則氏編集発行)と云う冊子に寄稿されている体験記です。そのお坊さんとは、釜石市にある宝樹寺と 云う浄土真宗のお寺の野嶋諭(のじまさとし)副住職さん(39歳)です。
私たちは津波の恐ろしさをテレビで〝高みの見物〟をしていましたが、現実に大地震に揺らされ、津波に巻き込まれて命が無造作に奪われて行く恐ろしさを間 近で眼で見、自分の死さえ現実になる寸前と云う体験をされた方の実況的報告はショック以外の何物でもありません。私は、その寄稿文を読み、私たちの日常 生活は、効率とか便利とか、損だとか得だとかに振り回され、〝いのち〟の真実を忘れた生活は、正に夢幻(ゆめまぼろし)の現実生活なのだと思った次第で す。皆さまはどう感じられるでしょうか。下記に寄稿文を抜粋してご紹介致します。

東日本大震災の体験記(抜粋)―

2011年3月11日
小学校へ通う娘と息子は、学期末のため、普段より早い午後一時半に家に帰ってきた。小二の息子はいつも通り玄関にランドセルをほうり投げて、どこへ行く かも言わずに飛び出していく、小四の娘も部屋にランドセルを置いて、幼稚園の園庭で遊ぶと言って出ていった。京都から釜石へ移住して11ヶ月と7日目、 何度も繰り返してきた日常だ。

私は家の二階で2才の次男と遊んでいた。ぼんやりと、思い悩むこともなく、日本特有の葬式仏教を生業とするつまらぬ坊主の日常である。
そこへ、突如、ものすごい揺れが始まった。驚いてすぐに子供を抱き、立ち上がって外を見た。私はどうすべきか決めなければならない自分を強く意識してい た。家は恐ろしい軋(きし)みをたてて大きく揺れ、外でも、やはり音をたて大きく揺れていた。墓石がジャンプしたように見えた。地底から大鬼が地表を棍 棒で叩きつけているように。

地球の深呼吸にあわせて家が大きく揺れ、私は足元すぐそばに「死線」が近寄ってくるのが見えた。それを飛び越えることに全身が集中する。目は外を、耳で 背後を、身体と皮膚感覚は戦場で殺し合う兵士のように過剰に次の動作を準備していた。同時に、どうしようもない状況であることを理解し、完璧な諦観を受 け入れた自分を経験した。この状況は私の生と意思をすべて呑み込んで、「死」という現実へと私を連れて行く。そうなれば子供の命が救いたくても、私は子 供に手の届かないところへ離れていく。
やがて揺れが止み、家にいた五人で外へ出た。この家は危険だ、いつ潰れてもおかしくない。それがみんなの共通認識だった。私と妻と次男と老婆の住職は、 高台に向かって歩きだした。沢山の人達も高台を目指して歩いていた。

そして、津波が来た。黒い煙を捲き上げ、地鳴りを響かせて、来た。「津波が来た、逃げろ!」と誰かが叫んだ。その時すでに呑み込まれていた人も大勢いた。 私はたまたまそこには含まれていなかった。その津波の先端には自動車と木柱の塊りと判別不能の黒い塊りが見えた。それは呑み込んだ一部を吐き棄て、それら に何の未練も後悔も残さず引いていき、しばらくしてまた、何の躊躇も無く別の塊りを運んで来た。それはすでに、たくさんの人間の死を胃袋に収めていた。そ れはわれわれを殺そうとしている。人間的な小さな悪意や恨み嫉妬といった感情的な波風でなく、断固とした極めて純粋な、圧倒的な悪であった。われわれを分 け隔てなく、触れたものすべてを呑み込んで絶対的な力に服従させる。比較や判断を一切許さない、誰も見たことのない太古からの生物であった。

(中略)

震災に依って市役所、鉄道、店舗、学校、水道、ガス、電話と、あらゆるものが止まってしまったために、子どもの頃から当然のサイクルだと思っていた一週間 という区切りや、朝昼夜という循環が吹き飛んだ。仕事をし収入を得なければならないという規律も、見事に圧殺された。するとそれらは皆、誰かによって加工 され押し着せられた「ものさし」であり、各人が現代という空間に生きるために受け入れた、私自身の願いではない別の何かである。その前提を無自覚に共有し ながら、様々な規律規則という思い込みを遵守し、労働し、収入を得るという仮想生活を営んでいたように思えてきた。異常な状況によって、無自覚だった自我 の仮の姿が、現実の感覚の前にあらわになったのだ。

本来、時々刻々に、解放された本能、五官と直感力によって動き回り、それ以外使える能力は何一つなかったことを知らされる。宇宙誕生から連綿とつながり、 私が本来の私となった動物的ともいえる自覚があり、感動的な日々だったと感じる。

しかしそれも長くは続かない。五月から徐々に仮設住宅が建ち始め、七月末には避難所となっていた公民館や学校、体育館から人がいなくなり、本来の使用目的 に戻った時、私もまた役割(故郷富山県からの援助物資の調達と配給)を失い、ありありと感じられた生命の手応えと使命感が消えた。私はまた以前通り、周囲 から異常だと思われない程度に普通の人間らしい皮を被り、それと引き換えに広大なつながりから手を離した。そうせざるを得なかった。だから、震災前後で自 分が変わったところを思い返しても、見付からない。数か月間、今とは違う自分があっただけである。

例えれば、生と死を往来する列車に強引に乗せられ、数か月後、知らない間に列車から降ろされて、今度は生死を覆い隠した列車に乗せられている。だから余計 に落ち着きが悪い。この車中ではips細胞も開発され、臨床化が進められている。クラウド(インターネット上でデータの保存・提供等をするサービス)も日 増しに成長している。私の愚かな脳ミソでは理解の範囲をはるかに超えている。私はこんな選択肢を必要とはしない。この複雑さそのものが、倒錯から出発して いるのではないか。それは本来の関係性から遊離した、実感のない「私のような誰か」から出発し、仮想空間から本来の実在空間に触手を伸ばし、関係性を全く 無視していいところだけ操作している。

―抜粋紹介終わり

私が今日のコラムの表題を「夢幻の現実生活」とした訳がお分かり頂けたでしょうか。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1292  2013.05.134
GW明けてコラム復活致します。

今年程多忙なGWは過去に経験したことはありません。正確には4月15日頃からGWを挟み今日も多忙を極めており、正直なところ疲れも貯まっております。妻に働きに出て貰っておりますから、 掃除・洗濯以外の主婦業は全て私が担当しており、そして、株式会社プリンス技研で働いているのは私一人ですから、社長業から経理担当者、開発技術者、製造作業者その他一切企業が必要と する役割を担っていますから、一度に仕事が押し寄せることになりますと、パンク状態になるのは致し方ありません。

こんな中ですが、夜眠りに入る時には、やはり仏教書を読みます。GW中は主として高史明師の『現代によみがえる歎異抄』を読んでいました。未だ読み終わっておりませんが、師の歎異抄の 読み解きぶりの深さと云いますか、親鸞聖人の教えを歎異抄作者の唯円坊以上に体得されているのではないかとさえ思えて、大変感銘を受けております。
そして、現在の人間社会を末法の世として、人類の歩みそのものが根本的に仏の智慧の世界から余りにも離れている事を嘆いて居られることに、大きな共感を覚えているところでもあります。 世の中の賢い人達は、嘆きと共に是正の具体策が無ければ単なる愚痴だと言われるでしょうが、高史明師は、「念仏を称えて、阿弥陀様にお任せするしかない。」と仰っています。

お任せすると云う事は、言葉を換えると〝あきらめる〟とも捉えられますが、〝あきらめる〟は〝諦(あきら)める〟であり、『諦』は、元々は「つまびらか」と云う意味で、「真理」を表わ す漢字であり、決して「なるようになれ、あきらめた!」と云う意味ではありません。

親鸞聖人の生きておられた平安末期から鎌倉時代も、戦乱と飢饉・火災に庶民が右往左往させられた時代であります。正に末法の世の様相でした。その時代に、親鸞聖人は、「念仏を称えて、 阿弥陀様にお任せするしかない。」と説き、200年後に蓮如上人が親鸞聖人の教えを受け継ぎ、やはり戦乱で苦しめられている庶民に念仏をひろめられたのです。

庶民に取りましては現代も同じ状況ではないでしょうか。ただ、「念仏を称えて、阿弥陀様にお任せするしかない。」と云う教えは、知識人の現代人には理解不可能なものではないでしょうか。 でも、高史明師は、それが問題だと仰っておられます。

高史明師は43歳の時に長男の岡真史君(12歳)が自死すると云う悲しい目に遇われました。それ以後、81歳の現在に至るまでの38年間、歎異抄と共に自己を見詰められた方です。実は、 私の母大谷政子も31歳の時、小学校入学直後の4月15日に8歳の長女を亡くし(その時の母政子は、3歳の次女と生後5ヶ月の三女をお手伝いさんに任せて教職に就いていました)、自分 の生き方を恥じ後悔し、それから仏法と共に生き、垂水見真会と云う仏法を聴く会を主宰することになりました。その長女を亡くしたことが、どんなにショックだったかは、最近見付けた垂水 見真会の蔵書の中の一冊『聖典』の裏表紙に、昭和56年4月15日の日付で、その聖典を個人から垂水見真会に寄贈した事を記していることで知りました。



それで私は、母の仏法への思いを 知る為に、高史明師の一番最近の著書を買い求めたのでした。

次回では、高史明師の嘆きの内容と、「念仏を称えて、阿弥陀様にお任せするしかない。」ことに付いて、申し述べたいと考えております。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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No.1291  2013.04.29
無相庵もGW

今年の GW、無相庵も休ませて頂きます。
2月半ばから、マリーンスポーツ用向け耳栓の生産が今日まで毎日土・日も無く続いて少々疲れ気味で、それに、GW中に一家4人連れ家族が二組、一泊する予定で、 その準備があり、持て成しに専念しようと思います。
皆さまも、楽しいGWをお過ごし為さって下さい。

帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま


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