No.1270 2013.02.014
続―お念仏に付いてお念仏に付きまして、どうしても語っておきたいお話があります。この無相庵コラムのNO.652(2006年11月27日)『歎異鈔に還ってー第九章』の「●あとがき」でも申し上げているお話です。
私の母が最も敬愛していた故井上善右衛門先生(1908年~1998年)の、そのまたお師匠の白井成允先生(1888年~1973年)がお念仏に対する考え方に、否、真の親鸞仏法に目覚められた時のお話ですが、 これは井上善右衛門先生が『恩師の思い出』と云うご法話を為さった中で語られたことです。
白井成允先生は東大哲学科を卒業されましたが、お師匠は浄土真宗の『聖典』を編集された島地大等師です。晩年広島大学名誉教授として親鸞仏法の流布に努められた学者であり念仏者です。井上善右衛門先生のお話に依りますと、白井成允先生は昭和2年には今のソウル市にあった京城大学の教授として外地勤務されていた時、それまで念仏を喜んで称えられていたのだと思いますが、奥様が病に伏せられたり 、その他色々な苦難に遇われてからの念仏にどうも喜びが感じられない、これはどうしたことかと、京城(現在のソウル市)より遥々、九州の臼杵祖山師を訪ねられて質問されたそうです。
それに対する祖山師の返答は「私の念仏は砂を噛むような念仏です」と言うもので、それを聞かれた白井先生は全てを理解され、祖山師に御礼を申し上げて帰途につかれたそうであります。私たちは、とかく念仏を称えることに何かを期待し、ついつい幻想を抱いてしまうものでありますが、それは他力の念仏ではなく、自力の念仏だと言うことだと思います。祖山師の短いお言葉をお聞きになられて直ぐにそ こに気付かれた白井成允先生は、苦しい境遇にありながらも、恐らくは晴々とした心持で京城へと帰られたものと思います。
親鸞仏法の信に目覚めれば、常に生きている有難さを実感し念仏も心から歓喜と共に称えられると思ってしまうのですが、実はそうではないと云うことを臼杵祖山師が、「私の念仏は砂を噛むような念仏だ」と仰って白井 成允先生に示されたのだと思います。ただ、臼杵祖山師のもう一言が大切です。それは「しかし白井さん。お念仏は有難いですなぁー」と云う一言です。
このお言葉のお心を私などが解説出来ませんが想像するに、「なむあみだぶつ」は法然上人も親鸞聖人も称えられていたお念仏である事に、何とも言えない心の安らぎと励ましを感じられたのではないかと想像します。
実際、親鸞聖人は「一人居て喜ばは二人と思うべし、 二人居て喜ばは三人と思うべし、 その一人は親鸞なり。」と言い遺されていますが、「一人居て念仏する時は二人と思うべし、 二人居て念仏する時は三人と思うべし、 その一人は親鸞なり。」と云うことでも有りましょう。 白井成允先生は奥様に先立れ、後添いの奥様も病に伏せられたり、また先生が大いに期待していた東大在学中の優秀なご長男があの戦争でのシベリア抑留中に亡くなると云う苦難に遭遇されました。しかしながら、それらを 念仏一つで乗り越えられたと井上善右衛門先生が共感を以って語られていたのが、印象深いです。帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1269 2013.02.12
お念仏について中国との関係が冷え込んでおり、日本国民は「なんてヒドイ国なのか」と眉をひそめさせられていますが、もともと中国はそんな国ではなく、『李下に冠を正さず』、『過ちを改めざるこれを過ちという』等と 云う諺を持つ教養高い国柄でしたし、お釈迦様の教えを念仏の教え、他力の教えまで進化(?)させた精神文化の卓越した尊敬すべき国でした。
日本も中国を先生として、中国の〝おかげ〟で世界に誇っても良い精神文化、伝統文化を築き上げて来れたのでありますが、この約70年あまりの間に、中国は共産主義の、日本は資本主義の悪い面ばかりが目立つ ようになり、今日の憂うべき状況を招いたのではないかと思います。有り得ないことではありますが、中国は善導大師を、そして日本は親鸞聖人を思い起こし、他力の念仏に依って、理解し合えないものかと思っております。
念仏は〝仏を念ずる〟ことであります。すなわち他力を念じ、中国も日本も互いの〝おかげ〟で今日が有る事を念ずることが大切であります。
〝念ずる〟とは「常に心にとめて思う」ことでありますが、心にとめて思うにはやはり念仏すなわち「なむあみだぶつ」と口に出し自分の耳で聞く行為が伴うことが必要ではないかと思います。そうすれば更に心に とめることになるからであります。斯く言う私はなかなか口に出して「なむあみだぶつ」と言えませんでした。今でも、人に聞こえるようなところでは申しませんが、口に出し自分の耳で念仏を聞く事が大切だと思い努力しております。
念仏は努力して称えるものではないと言う方もいらっしゃると思います。偉い先生方は「正しい信心があれば、念仏が伴うはずだ。念仏の無い信も無いし、信の無い念仏も無い」とまで言われる方もあります。 私も、そうなんだろうとは思いますが、この念仏が自然に口から出るようになるのもまた他力に依るのだと屁理屈をこねまして、私は出来得る限り念仏を称えるよう努力したいと思っています。それに、「なむあみだぶつ」は、おかげさまと思ったときは勿論ですが、自分の愚かさ、自分の煩悩の深さに気付かされたときとか、腹立ちを感じたとき、そして少し俗っぽいですが、願い事を他力にお任せしつつ期 待するときにも、遠慮せずに「なむあみだぶつ」と明るく称えようと思っております。そして、今ではもう居ない母に呼びかける〝おかあさん〟の代わりにも「なむあみだぶつ」と呼びかけてもいいのじゃないかと思 っております。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1268 2013.02.07
信心(しんじん)について女子柔道ナショナルチームの監督辞任記者会見で、監督は「一方的な信頼関係だった」と反省の言葉を語っていました。「私は選手を信頼していたが、選手からは信頼されていなかったことに私は今初めて気付きました」 と云う意味なのだと私は受け取りました。そして何か違和感を覚えました。一方的な信頼関係ってあるのだろうかと・・・。
同時に、親鸞仏法の『信心(しんじん)』が思い浮かんできました。『信心』と云う言葉は禅宗での『悟り』とほぼ同じだと私は思っています。『信心』は「信じる心」ですが、それでは何を信じるのかと言いますと、それは仏教の場合は仏様です。仏教の仏様はキリスト教の 神様とは少し違って、自分をこの世に送り出し、そして今も生かし続けてくれている、人間の想像を超えた働き(親鸞仏法では他力と言います)を尊称して仏様と言います。従いまして、その仏様の〝おかげ 〟で自分が今在ると信じるのが、本願他力の教えの『信心』だと思います。
そして、親鸞仏法の信心は仏さま(阿弥陀仏)と私の信頼関係だと考えてみました。仏様は、私を生み出した〝母親〟みたいなものですから、私がどんな悪いことをしても(どんな悪人でも)子の私を〝信じ て〟くれています。仏様は私を見捨てることは決してありません。なかなか仏様の想いや願いに気付かない私ですが、色々な経験をし、色々と勉強もしている中に、仏様の願い(信頼する心)が通じて、私は 仏様の〝おかげ〟で今日が在ることに思い至り、『おかげさま』と仏様を信じるようになるのだと思います。長い長い時間を掛けて、しかし揺るぎない信頼関係が成立するのだと思います。
それが、親鸞聖人が辿り歩かれた仏道であり、私たちに説き遺された本願他力の教えではないかと私は思います。
私は誰に強制されること無く、仏法が常に私の道標(みちしるべ)となっています。それは、仏様が私を信頼する想い(これを本願と言うのでしょう)が非常に強いからであり、やがて私は仏様との信頼関係 に至るのだと信じています。
親鸞仏法には一方通行の信頼関係はないと思い至った次第であります。帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
追記 考えて見ますと一方的な信頼関係は無いとは言えないのかも知れません。仏様と私の関係に於いても有り得ます。仏様の想い(本願)を知らないままにこの世を去る人も居られるからです。それに、親子でも文字通り親不孝者がいます。
No.1267 2013.02.04
(続)おかげさまー本当にだいじなものは 隠れて見えない前回のコラムで、私たちが無数の『おかげさま』で生かされ、毎日の生活が出来ていることはお分かり頂けたものと思います。しかしながら私自身、その『おかげさま』を頭では分かりますが、 正直なところ心の底から〝おかげさま〟と思えていないように思います。せいぜい何か問題にぶち当たった時に、「いやいや、おかげさまで、こうして生かされていることに感謝しなければ・・ ・」と自分に言い聞かす程度と云うのが正直なところです。
本当に〝おかげさま〟と思えるようになるのは、お金が頼りにならないこと、地位や名誉も頼りにならないこと、そして自分が最も頼りにならないことに目覚めた瞬間、そんな自分を見捨てず に働き続けている〝おかげさま〟を心の底から拝めるのではないかと思います。
でも、一方で私は、四六時中〝おかげさま〟を拝むことは現実的ではないとも思っています。私たちには生活があります。色々な人々との人間関係があります。助け合う関係もありますが、損 得関係もあり、相性もあります。煩悩に火が点くことも避けられないからです。ただ、一旦〝おかげさま〟の事に目覚めますと、煩悩が燃え盛る前に水をかけて貰える、(表現は悪いですが) 「駆け込み寺」に身を寄せることが出来るのではないかと思っています。
その〝駆け込み寺〟はちょうど幼児にとってのお母さんみたいなものです。幼児が一人歩き出来るようになり、公園などでお母さんから離れて遊ぶようになっても、お母さんの姿が見えるから 安心して遊び回ります。そして転んだり何かトラブルがありますと、お母さんの元に走り寄り抱かれて安心します。そして、お母さんが居ることが分かっているからまた安心して遊びます。
〝おかげさま〟や仏様を「駆け込み寺」と言うのは如何かと思いますが、本当は、私たちは元々「駆け込み寺」の中に居て、既に守られていると云うのが、仏法の考え方なのだとお聞きしています。
帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
No.1266 2013.01.31
おかげさまー本当にだいじなものは 隠れて見えない入学試験に合格した子供さんがいるお母さんに向かって、「いい学校に合格されたそうですね。おめでとうございます」と声をかけますと、「おかげさまで」と答えが返って来ます。 このように私たち日本人は何気なく「おかげさまで」とか「おかげです」と云う感謝の言葉を使っています。 このときの〝おかげ〟は〝御蔭〟で、今では〝恩恵〟とか〝力ぞえ〟と云う意味を表す熟語になっていますが、本来は「陰口(かげぐち)」とか「物陰(ものかげ)」「陰に日向(ひなた)に」に使われている『蔭』 であり〝隠れて見えないものごと〟と云う意味なのです。
冒頭のお母さんが、「おかげさまで」と云うことは、「うちの子は頑張りました。でもこれまで教えて頂いた学校の先生方や、塾の先生方を始めとして皆様のご指導ご鞭撻の〝おかげ〟です」と云うことなのでしようが 、この時の〝おかげさま〟は合格した子供にもお母さんにも見えないもの、あるいは気が付けないものすべてに〝おかげさま〟と感謝しておりますと言って欲しいものであります。
つまり、たとえば入学試験を受けに行くことが出来たのは、普段は忘れてしまっている〝いのち〟を護ってくれている太陽や空気や水の〝おかげ〟ですし、心臓を動かし、呼吸させてくれている何かしら見えない働き (仏教では仏とか如来と言います)の〝おかげ〟です。また、入学試験会場に行けたのは電車が動いている〝おかげ〟です。電車を安全に運転してくれる運転手さんの〝おかげ〟です。もっと遡りますと、電車を発 明してくれた人々の〝おかげ〟です。それに入学したいと思った大学があると云うのも、大学を運営してくれる全ての人々の〝おかげ〟なんですね。
ずっとずっと過去を遡ればもう無数・無限のものや人々の〝おかげ〟としか言えません。それを、昔から日本人は『おかげさま』と感謝する心を表して来たのです。多分、欧米の英語やドイツ語、フランス語などには、〝おかげさま〟にぴったりの単語は無いと思います。
竹内まりやさんが作曲し、2009年のNHKの朝ドラ『だんだん』の中で茉奈佳奈が歌った『いのちの歌』の中にある歌詞「本当にだいじなものは 隠れて見えない」も、「おかげさま」の〝いのち〟を歌 ったものだと思います。
また実は親鸞聖人の〝なむあみだぶつ〟は『おかげさま』と云うことですし、〝おかげ〟は、〝他力〟のことでもあります。
いのちの歌生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
いつかは誰でも この星にさよならを
する時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
No.1265 2013.01.28
憲法改正に付いて考える一昨年からJT生命誌研究館の中村桂子館長(1936年生まれですから、私よりも9歳年上のお姉さん)のファンになり、ホームページを訪ねて『中村桂子のちょっと一言』と、読者の投稿に対する館長の丁寧な感想に魅入っています。 才女に有りがちな上から目線ではない、謙虚な人柄ですが、それでいて社会の有り方に憂いを持たれて堂々と提言もされるところに魅かれています。
その中村館長さんが12月の『ちょっと一言』で憲法改正に付いて述べて居られ、初めて私の考え方と異なる見解を持たれているように思いましたので先週末に下記の内容を投稿致しました。
投稿するに至ったのは、反対したいのではなく、憲法改正止む無しと考えている私の考え方の背景と中村館長の考え方の背景を知りたいと云うことですので、中村館長の考え方の背景を十分に知ってからと思い、今年の1月の年頭のご挨拶 (中日新聞に書かれたコラムー〝今、戦争を考える〟を含む)を読み、そして文中で紹介されている参考書籍も勉強した上で、投稿した積りです。私の投稿内容(実際の投稿文は制限文字数がありますので半分にしました)―
私はNHKの教育テレビ『こころの時代』(2011年10月23日)で中村桂子館長を存じ上げました。それから生命誌研究所のホームページを拝見させて頂くようになり、中村館長に親近感と尊敬の念を抱いている一ファンでございます。
さて、昨年12月の『中村桂子のちょっと一言・・・なぜかあまり話題にならない憲法改正』に関しまして、中村館長は〝戦争と平和と護憲〟に関して未だ考え方の整理がついていないと中日新聞のコラムに書かれておりますことを前提にお尋 ねしたいことがございます。
私も同じく整理がついているわけではありません。ただ、私の周り(親族、友人知人)には、私と同様「そろそろ自分の国は自分で守る普通の国になり、本当の意味での主権国家になるべきだ」と云う考え方の者が多く、中村館長の『護憲だと か平和だとかいう言葉は手垢のついたスローガンのようで、誤解される危険ありです。でも、21世紀の世界を考えた時、日本が「戦争をしない」という憲法を武器にして世界の中での存在感を出すことが大事だと思うのです。それにはまず“ 戦争をするのが普通の国だ”などと言わない決意が必要です。』と云う部分、特に〝日本が「戦争をしない」という憲法を武器にして世界の中での存在感を出すことが大事だ〟と云う部分に、心の奥底で共感しつつも、主義主張・政治体制が異 なる隣国と接する島国日本の現実を見据える時、以下の理由と〝いのち〟に関する考え方から、私はもとより全国民が一致して賛同出来るものでもないと推察しております。
理由は二つです。一つは日本国憲法が(解釈上ではありますが)戦争をしないと云う憲法ではなくなっている事です。二つには敗戦後からこれまでの68年間戦争に巻き込まれなかったのは日本国憲法のお蔭ではなく、圧倒的な軍事力を持ち、先 制武力行使をも辞さない米国との日米同盟が国境を接する国々への抑止力になって来たからだと云う考え方でございます。
私も勿論戦争を好むものではありません。だからこそ近隣国が我が国に武力行使しないような抑止力を構築すべきだと云う考え方をしています。ただ、その抑止力とは、日本が尊敬され信頼されるよう、日本が何を大切にする国家であるか(日本 のアイデンティティー、私は、アニメEVAの中の言葉を借り、思いやりと察し、そしてお蔭さまの心だと・・・)を諸外国に知って貰う不断の外交(コミュニケーション)努力と経済・技術支援・文化交流、人的交流を基本とし、その一方で揺 るぎない日米同盟関係を柱とした防衛力を併せ持つことが必要だと考えています。それが、しなやかに、したたかに、つややかに国家国民を護る国の有り方だと思っております。
一方で私は、地球上に今在る〝いのち〟は38億年間、様々な困難を乗り越えてきた〝いのち〟であることを中村館長の『生命誌』から学ばせて頂きましたが、〝いのち〟の世界は、個々の〝いのち〟が他の〝いのち〟を犠牲にする事無くして生き られない残酷な世界であることも事実だと思っています。戦争は避けなければなりませんが、〝いのち〟の歴史は戦闘の歴史でもあると思うのです。個々の〝いのち〟は抑止力と攻撃力と環境適応力で始めて〝いのち〟を長らえられているのでは ないかと考察しています。
ご批判を頂ければ有難く存じます。―投稿内容紹介終わり
今回のアルジェリアのテロで日本企業(日揮)の従業員が亡くなった事件、そし12年前のアメリカで起きた9.11のテロも、抑止力だけで完全には防ぐことは出来ません。テロにはテロと云う考え方で、アメリカの特殊部隊がオサマ・ビンラ ディンを殺害した行為も如何かと私は思いますし、テロは絶対に許さないとしてテロ武装兵士達を容赦なく殺害すると云う毅然(?)とした世界各国政府の姿勢にも疑問を感じています。
従って、私も紛争を戦争やテロと云う暴力行為ではなく、話し合いに依るべきだと云う考えを持っています。でも、今の世界は大量核保有の5ヶ国が世界を統治しています。その5ヶ国は他国が核を持つこと、核を持とうとすることを禁じてい ます。こんな理不尽でオカシイことは有りません。そう云うオカシイことをまかり通し、それが正義だとする五か国が世界をリードする限り、私は国民の生命と財産を守る為に、現実主義的には抑止力をより高める努力は必要ではないかと考えて いるのです(表向きは別として陰で、中国は北朝鮮の核開発を容認し、アメリカはイスラエルの核保有を容認している事を批判したいのである)。帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
No.1264 2013.01.24
老人漂流社会―老いと死を考える今週の日曜日(1月20日)のNHKスペシャル『老人漂流社会―終(つい)の住処(すみか)はどこに』を夫婦でみました。
日本が少子高齢化社会と言われて久しいですが、現在65歳以上の人口は3500万人を超えると云うことです。そして現在、そんなにも多いのかと驚くのが、3500万人の中の独居老人が400万人超も居ると 云うことです。お金が有り元気なうちは漂流しなくてもいいのですが、要介護老人となり、そして月々の収入が数万円で、特別養護老人ホームに入れない場合は、漂流するしかないと云うのが現実だと云うことです 。そして問題は特別養護老人ホームが少なく、入居待ちの待機老人が60数万人も居て、今申し込みますと7年待ちだと云うことです。漂流とは1ヶ月間しか面倒を診て貰えない民間施設を次々と渡り歩く状態を申します。番組では奥さんに先立たれた88歳の老人(男、80歳まで現役で働き、月当たり受給年金額は6万円強)の漂流状況を紹介し ていましたが、役所の福祉担当者に付き添われて車椅子で移動される時の淋しい目に心が痛むと同時に、これは他人事ではないと一瞬恐怖のような気持ちに夫婦共に襲われました。
その老人は役所の福祉担当者の努力もあって、運良く特別養護老人ホームに入居出来ましたが、特別養護老人ホームの入居した場合の月額費用は十数万円要るようですので、その老人の場合、役所の担当者が生活保 護の手続きをして、何とか入居出来たと云うものでした。
以上が漂流老人の現実ですが、最も考えさせられたのが、担当者が終(つい)の住処(すみか)たるベットに初めて横たわったその88歳の老人に、身寄りのない人には当たり前の確認事項として、「もし臨終間際 になった時、延命治療を希望しますか、それとも自然死を選択しますか?」と質問した時の老人の答えです。私たち夫婦の予想に反して、「延命治療をして欲しい。死ぬまで生きたい」と答えたのです。弱々しい声 ではありましたが、はっきりと答えました。
さて、私はもう直ぐ68歳です。やはり若い頃と違って、自分の死が現実的なものとなっています。呆け老人になって死を向かえるのか、体は要介護であっても頭脳は未だ正常に働いている、前述の88歳の老人状 態なのかと想像します。案外、呆け老人の方が、死の恐怖がなくて楽に死ねるかも知れないとも考えたりしますが、呆けて体も要介護状態になると、人に迷惑を掛けることになるな、と要らぬ気遣いをしたりするよ うになっておりますが、老人漂流社会の番組をみた私たち夫婦の結論として、お互いに元気で仕事して、自分達で食事を作り、二人で食事が出来る今は実に幸せなことだと云うことになりました。
老人漂流社会の番組に関しては以上ですが、今読んでいますのが、『伝言』に引き続き、やはり永六輔さんの書いた『大往生』と云う本ですが、そこに、「老い」に関する章がありますので、その中にある、印象深 い言葉を列挙致します。有名人の言葉ではなく、永六輔さんが直接聞いた市井の無名人の言葉だそうです。
「人間、今が一番若いんだよ。明日より今日の方が若いんだから。いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ」
「歳とったら、転ばない、風邪ひかない、食いすぎない。これで十年は長生きします」
「俺は歳とったという不安もあるよ、でも歳とっていないんじゃないかという不安もあるねェ」
「歳とった女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する、これは愛情じゃありません。生きる知恵です」
「朝食に何を喰ったか忘れてもいい。朝食を食べた事を忘れなければそれでいいんです」
「老人の呆け防止には、テレビよりラジオをおすすめしております」
「身体の疲れたのは休めば治るけど、心の疲れたのは休んだからって治るものじゃないのよね」
「まず義理とつきあい。これを捨てることで、健康を守っております」
「老人ホームはお洒落な二枚目のお爺さんを探しています。素敵なお爺さんがいるだけで、お婆さんたちが、みんないいお婆さんになりますから」
「結局、生きてゆくということは、気分を紛らわせていくことなんだよな」
「昔、お母さんにおむつ取りかえてもらったように、お母さんのおむつが取りかえられるかい。老人介護ってそういうことだよ」
「赤ちゃんの時に可愛いと言われて、花嫁の時に美しいと言われて、お婆ちゃんになったら、また、可愛いと言われたいわ」
「老人に言うんです。文鎮になりなさいって。文鎮はそこにあるだけで、動かないで役に立っているでしょう。文鎮がしゃべったり動いたりしたら、いい字書けませんよってね」
「人生ね、あてにしちゃいけません。あてになんぞするからガッカリしたり、悩んだりするんです。あてにしちゃいけません。あてにしなけゃ、こんなもんだ、で済むじゃありませんか」
「しなやか、したたか、つややか。この三つ、これが長持ちするコツだすな」
「子供叱るな/来た道だもの/年寄り笑うな/行く道だもの。来た道/行く道/二人旅/これから通る今日の道/通り直しのできぬ道」
帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
No.1263 2013.01.21
大横綱大鵬の死に思うー自分の一番好きなことを見付けよう!昭和30年代から40年代に子供が好きなものとして「巨人、大鵬、卵焼き」と云う表現で憧れられた名横綱大鵬が亡くなった。私が16歳の高校生から26歳で結婚するまで横綱だったので、 強くて偉い存在として憧れていたからか、他の有名人の死よりも寂しい気持ちがしている。私より5歳上の72歳の死であることもショックになっているかも知れない。
昨日の新聞の大鵬関に関する記事の見出しに『天才の評価嫌う』とあった。そして、大鵬曰く、「私は1日に3度も4度もぶつかり稽古をやり、四股や、てっぽうなど準備運動も他の人の3倍 はやって努力した。天才なんかじゃない。努力、鍛練を重ねた結果が成績に表れただけ」と、口癖のように言っていたそうである。
大鵬の〝天才なんかじゃない〟と云う言葉を大切な遺言と受け止めたい。巨人の日本シリーズ9連覇も、お金で強い選手を引っ張った上で成し遂げたことだと批判する人も居るが、強い選手を 集めても一回位は優勝出来ても、9年連続がどんなに難しいことかは、大リーグを含めてプロ野球を知っている人には分かることである。やはり、人の3倍以上の努力をする選手がチームの大 半だったろうし、9連覇に導いた川上監督にも我々には分からない、他の監督の3倍以上の努力があったに違いない。
また、今も大リーグのスーパースターイチロー選手も同じ事を言うと思う。「世の中に天才は居ないが、天才と言われるほど努力する人はどの分野でも居る。私も天才ではないので人の数倍の 練習とトレーニングをしている」と・・・。自分には何も才能が無いと言う人が居るが、それはただ、自分の大好きな事が未だ見付かっていないだけだと思う。何でも良い。食べるのも忘れ、寝るのも忘れて、人の3倍は努力出来る、 自分が何よりも好きな事を見付ければ、〝・・・の天才〟と言われ、スターにさえなれるはずである。
イチロー選手と言えどもプロ野球に入って、野手ではなくてピッチャーを選んでいたら、今のイチロー選手は無かっただろうと思う。バッティングが大好きだったから、何とかしてバッティン グ技術を究めたいと云う探究心が湧き上がるから普通の選手の何倍と云う努力を続けられているのだと思う。
それに、iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞した山中教授も当初の外科医を続けていたら、多分平凡な医者にしかならなかったのではないか。外科医として腕を磨くことに喜びを見いだせなかったから 医療研究者の道に舵を切り、それがやはり自分が寝食を忘れて取り組み続けられる大好きな道だったのだと思いたい。斯く言う私は上述の努力家とは全くレベルが違うが青春の一時期ではあるが軟式テニスに打ち込んだ。勿論好きだったからである。でも、残念ながら全日本クラスまでには到達出来なかった。 せいぜい県のトップグループの一選手程度に甘んじた。やはり、寝食を忘れて人の3倍の努力をするほどには好きでなかったのだのだ思う。私の大好きなことはテニスでは無かったのだと思う。
私は今年の3月に68歳になる。大鵬関の遺した言葉を知った今、今からでも遅く無いと思う。
私としては、これまで続けて来た仏法の勉強と仏法の発信(つまり、この無相庵ホームページ)の工夫と、ビジネスではプラスチックス製連続気泡多孔体(軽石のようなもの)の製造技術の確立 と用途開発に今一度努力のレベルを上げようと思う。
そして、読者の皆さん方にも「世の中に天才は居ないが、天才と言われるほど努力する人はどの分野にも居る」と云う言葉を紹介し、ご自身は勿論のことであるが、お子さん、お孫さんに「自分 の一番好きなことを見付けよう。そうすれば天才だと人から言われる努力に依って、他の人々に感動を与えられる人になろう!」と伝えて頂きたいと思った次第である。帰命尽十方無碍光如来ーおかげさま
No.1262 2013.01.17
やさしく伝える今日で阪神・淡路大震災から18年。この18年間には個人的には実に色々な事(震災当時の従業員30数名が今はゼロで社長の私一人に、転居、孫ゼロが今は5人、息子の離婚・・・等々)がありましたが、 その日を振り返りますと、つい昨日のようです。毎日変化が無いように思いがちですが、確実に変化し続けている事をあらためて思わされました。これから18年後には私は85歳、この世には居ない可能 性が高いと思いますが、仕事も仏道も死ぬまで現役を通したいと思っています。
さて、話は変わります。
坂本九が歌って世界的にも大ヒットした「上を向いて歩こう」の作詞者でもあり(その他の大ヒット曲が「黒い花びら」「帰ろかな」「こんにちは赤ちゃん」「いい湯だな」「二人の銀座」と多いことに驚き ます)、ラジオ・バーソナリティーを50年近く続けてもいる永六輔さんの著書『伝言』(2004年出版)を読みました。その中に、やさしい言葉で南無阿弥陀仏を語られている部分があり、永六輔さんが 人には分かりやすく伝えることが何よりも大切だとして生きておられることと、お寺のご子息だった事と、ちゃんと仏法を学ばれていることに大きな感動を覚えましたので、その部分を転載させて頂きます。「伝言」からの転載―
由緒あるお寺は、日本中にいっぱいありますが、そのなかのひとつに、越前永平寺というお寺があります。
永平寺の貫首(かんじゅ)は宮崎奕保さんという方ですが、あるとき電話がかかってきた。
「君に会って話がしたい」と言う。
ぼくはとても素直に、こう言ったの。
「あなたが会いたいんだったら、会いたいほうが来るのがふつうなんじゃないですか」
そうしたら向こうで大笑いしていてね。「おれは103歳だ。
口は動くけど、足腰がうまく動かない」103歳と聞いてびっくりして、感動して・・・
「行きます。すぐに行きます」(笑)
それで永平寺に行ったんですよ。
本当に頭のはっきりしている、すてきお坊さんでした。
なんで、宮崎さんが、ぼくに会いたいと言ったかというと、たまたま、僕がNHKの
「視点・論点」で「南無阿弥陀仏」の話をしたのを、宮崎さんがご覧になって、こう思われ
たというんですね。「君の言葉づかいを聞いていると、さすがに寺生れ、寺育ちだと思う。
むずかしい仏教用語は使わなくても、わかりやすく楽しく仏の道を説いている。
それはなかなかいいことだ」
NHKで、ぼくが「南無阿弥陀仏」をどんなふうに説明したかというと・・・・
「ナームというのはサンスクリット語で、〝南無〟は当て字です。〝あなたについていきます。あなたを信じます、あなたが好きです〟と云う意味。アイラブユーもナームでいいんです。
つまり、阿弥陀仏が好きです、阿弥陀仏を信じます、ということ。
仏さまは阿弥陀仏だけじゃないですね。観音さまも如来さまもたくさんいらっしゃる。
日本の神さまと同じで、いっぱいいて、そのなかのお一人が阿弥陀さん。
この阿弥陀さんの教えのなかで、阿弥陀さんご自身がいちばん大事にしているのが、
(誰かを救うことによって、自分も救われる)という考え方なんです。
そうすると、(南無阿弥陀仏)と言うのは、誰かを救うことに依って自分も救われるとい
う考え方を信じます、ということでしょう。みなさんがたとえばお寺さんの前だったり、ご法事があったときに言っている、ナマンダブ、ナマンダブというのは、そういうことですよ。
むかしと違って、ただ、ナマンダブと唱えていれば救われるという時代ではありません。
誰かを助けてあげよう。そうすることによって、自分がいずれ救われる。
その考え方を述べているのが南無阿弥陀仏です。
だから、南無阿弥陀仏と言っている方をいまふうにいえば、誰かを救うというボランテ
ィアをしているということです。
ボランティアをしていれば、いずれ誰かに自分も救われるという考え方。
それが南無阿弥陀仏です」宮崎さんはこの放送を見ていてくれたわけです。
そして、こうおっしゃる。「そういうふうに、わかりやすい言葉で話をするのはとてもいい。
仏法では、(法にのっとり、比喩を用い、因縁を語るべし)という言葉がある。
これを君は大事にしてくれている」
「法にのっとり、比喩を用いて、因縁を語るべし」とは、筋道に合わせて、わかりやすく、
たとえ話をたくさん使って、「こういう原因があるから、こういう結果になったんですよ」と
いうふうに、お話をすることですね。
―転載終わり
私が仏法の師と仰いでいるのは、倫理学者でもあった井上善右衛門先生(元兵庫県立大学学長)です。先生はその先生であるやはり倫理学者である白井成允先生(元広島大学文学部長)に仏法を学ばれたからだと思いますが、ご法話は理論的で筋道が 通っていますが少々難解だと言われる方もありました。私は理屈好きですので非常に分かり易いと思っていましたので、私の文章は井上善右衛門先生の影響をかなり受けていると思います。
でも私は常々易行難信と言われる親鸞仏法を易信仏法にしないといけない、親鸞聖人ご自身がそれを目指されて、漢文でまとめられた『教行信証』とは別に、当時としては珍しい和讃で以って本願他力の教えを書き遺されたのだと考え てきましたので、私自身が本願他力の信を自分のものにしつつ、分かり易い仏法を発信しようと思っています。従いまして今回永六輔さんの伝え方を知りましたので、少しでも学ぼうと思った次第です。平易な言葉を使って易しく説明するのには、難しい熟語を使って説明するよりも何倍もの知識と、伝えようとする意志力が必要だと思いますが、努力致します。
帰命尽十方無碍光如来ーお蔭さま
No.1261 2013.01.14
親鸞聖人がもし生きていたら歎異するかも先週の土曜日、同じ区内に在る区民センターで、歎異抄を勉強する会があり初めて参加しました。どう云う経歴のご講師かは分かりませんでしたが、かなり仏教を勉強された方のようでした。
その中で、歎異抄に関して、歎異抄の解説書は数千冊(?)に上るが最も正しく且つ分かり易いとして、一冊の解説書を紹介されましたが。そして、その一冊以外は全て間違いだと断定されているのに、 驚かされると共に違和感を覚えました。信仰に於いて〝確信〟を持つことは一つの目標になるのかも知れませんが、その確信は自らが口に出して言うべきものではないように私は思っています。
何故かと言いますと、私は人間の頭脳には限界があると云う立場をとるからです。自分が勉強したり経験して得た知識は、宇宙全体に及ぶ知識量があるとしたら、その1%もない位に狭いも のだと云う自分の知識量を自己批判する立場を持ちたいと思っているからです。そう云う私の立場すらも「本当にそれは正しい考え方だろうか?」と云う位に考えて丁度いいと思っています。
そのご講師は親鸞仏法を体得されたらしく、「どんな苦が来ても、むしろその苦が楽しみだ」と断言されて居られました。でも、「煩悩は絶対無くならない。信心を獲ても、その前後で何も変わらない。煩悩具 足の凡夫のままだ。」と。これまた自信を持って断言されていました。
私の親鸞仏法の先生方とは全く趣を異にされている先生でしたが、かなり若い方々がその先生を心の師として参集されているようにもお見受けし、親鸞聖人がもし生きて居られたら、「異なるを嘆かれて」心を傷められる のではないだろうかと少々心配になりました。
そして多分、親鸞聖人は次のようにコメントされるのではないかと。
「私は自分のことを〝煩悩具足の凡夫〟だとは申しましたが、煩悩は絶対に失くせないとは一度も申しておりません。煩悩を失くしたい願いを失ったことはありません。でも、どうしても煩悩を失く せない自分が悲しいです。何度も何度も立ち往生していますが、その度毎にそんな私を仏様は先刻ご存知で、そのままの私を抱きとって下さっていることに気付かせて頂いているのです。な むあみだぶつ」帰命尽十方無碍光如来ーお蔭さま