No.1200 2012.05.28
「うつ病と宗教は関係ない」・・・だろうか?――(2)無相庵コラム1200回目と云う区切りを迎えました。12年前の2000年7月6日に息子に無相庵ホームページを立ち上げて貰い、第一回目のコラムを7月13日に『雪印乳業事件に思う』をアップしました。 その心は、世間のコメンテーター達が忘れ去っている仏教的な考え方を自分の身の周りにだけでも知らせる必要があると考えて始めたと記憶しています。
過去のコラムを自分で読み直してみて、不思議に今も共感出来るのは、私が成長していないからなのかも知れませんが、私自身の仏教観・宗教観はかなり変わったように思っています。独りよがりでしょうけれど本 当の仏教に近付きつつあると思っており、この12年間、事業の破綻等の経験もしながら、様々な勉強をさせて貰ったと有難く振り返っています。
さて、『うつ病』ですが、認知症と同様に脳内の器官・神経の疾患と云うことが原因のうつ病もあるのかも知れませんが、大半は私がサラリーマン時代に罹ったうつ病の割合が多いのではないかと考えています。と 言いますのも、私たち夫婦の知人の3人(いずれの方も地方公務員)が職場と仕事内容が変わった直後位の時期にうつ病と診断され、半年~2年間会社を休むと云う、私のサラリーマン時代の人間関係と仕事との相 性が原因のうつ病だと思っているからです。
そして、うつ病こそは宗教の出番だと常々考えてきましたので、渡辺和子シスターが、うつ病に罹った時に精神科医から「うつ病と宗教は関係ない」と言われて気が楽になったことを聞き、「ちょっと待って下さい !」と思った次第でしたが、きっとその言葉はキリスト教の信仰を持つシスターで有りながらうつ病になった当時の渡辺さんに最適の治療として主治医の精神科医が考え出した〝手術メス〟だったのではないかと推 察しております。
宗教を求める人の動機は、災難・苦難に出遭った時に打ちひしがれて自殺にまで追い詰められることが無いようにと云う予防的動機であったり、実際に災難・苦難に出っている真っただ中で救いを求める〝SOS〟 であったりするのだと思われます(お金持ちになりたい、健康になりたい等が動機の人々も居るでしょうが・・・これは尋ねる先が違います)。〝うつ〟になりたくない、〝うつ病〟に罹りたくないと云う動機で宗教 の門を叩く人がかなり居られるのではないかと私は考えています。
私がサラリーマン時代に〝うつ病〟状態になったのは、仏教を正しく認識出来ていなかったからだと今は振り返っています。その時私は新人の管理職で、且つ技術畑を歩いていた私の仕事は製造現場の管理監督でし た。技術もなかなか思う様にはなりませんが、人間(当時の私にとっては現場の作業員達)はもっともっと思う様にはなりません。それに、私の上には部長と工場長、そして私の製造課で生産する製品を改良したり 開発する技術課や生産機械の故障を直したりする施設課を始め多くの工場内のグループや人間の助けがなければ製造現場はスムースに動きません。
そう言うことは頭では理解はしていたと思いますが、技術者と云うものは自分の力を信じています。あまり他の意見や考え方を尊重出来ない体質の人種でありますから、日々起こる問題を自分で解決しようとしてい ました。「他人に頼っても、他人は一生懸命取り組んでくれないし、取り組んでくれてもどうせ解決しないだろう」等と、どんどん孤立への道を歩み、仕事も上手くいかないし、誰も手を差し伸べてくれない最悪の 事態に陥り、誰の顔も見たくないと、昼休みは遠い喫茶店で独り時間を過ごしていました。
また、運が悪かったと言いますか、悪い条件が重なったと云うべきでしょうか、会社は工場部門の体質改善に取り組み始めた時期でした。効率の良いトヨタ生産方式を導入しようとしていたのですが、その指導(徹 夜の研究会も有り)に来た先生達のとても厳しい言動に圧倒されると云うようなこともあり、私の体力と気力は限界を迎えました。また知力は全く働かなくなりました(思考停止です)。そして、管理職失格となる ギブアップ宣言を工場長にするに至ったのでした。今思うに、その時の私は人生とか仕事に対する考え方が整理出来ていなかったし、一人では何も解決しないし出来ないと云うことが分かっていなかったが故に、組織で孤立した上に簡単な仕事すらも出来なくなったの だと振り返っています。
組織で働いている人々に私は、「人生とは何か?何のために生まれて来たのか?」「人生に於ける仕事とは何か?」に付いて、しっかりした揺るがない考え方を持たれることをお勧めします。その為には私は宗教の 中でもお釈迦様の仏教に学ばれることだと考えています。
今の私は、「人と云う〝いのち〟を貰ってこの世に生まれたからには、その〝いのち〟を全うしよう。〝いのち〟が喜ぶことかどうかを自問自答しながら生きて行こう」と考えています。また、「仕事は飽くまでも 衣食住の生活の糧を得る為にするもので、他にこれと云う価値は無い」「価値は無いが、お金は多く稼いだほうが生活水準は上がるし、他人にも分けてあげられる。出来れば自分が一番好きなことを仕事にしたいも
のだ。」 これは私流の人生観と仕事観です。是非、ご自分の人生観と仕事観を持って頂きたいと思います。帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1199 2012.05.24
「うつ病と宗教は関係ない」・・・だろうか?――(1)昨日、ノートルダム清心学園理事長をされている渡辺和子シスター(85歳)が出演されている対談形式の番組を拝見した。『ユーキャン』が発行している通信季刊集に青山俊董尼と共に能く講演内容が収められているので、 私は渡辺シスターをある程度存じ上げている積りであった。
キリスト教のシスターさんや、牧師さん方が、『こころの時代』に出演されているが、お話の内容が私が求めている宗教とは何処か違い、最後まで視聴することは少ないのであるが、渡辺シスターのお話はキリスト教らしくな く、神様、神様とは仰らないので違和感は全く無い。
ところが、昨日のお話の中で渡辺シスターが表題の「うつ病と宗教は関係ない」と云う発言をされたので、少し心に引っ掛かったと云うか、「その通り!」とも思えないし、「否、うつ病は心の病であるから宗教が関わるべ きところがある。」とも結論付けられなかったのである。私のこの迷いには訳がある。
渡辺シスターは30歳の頃にうつ病を経験され、シスターで有りながらうつ病に罹ったこと自体に悩まれ、自殺を考えた経験を持たれているそうであるが、私もサラリーマン時代に於ける40歳代に(多分管理職に昇進した ことと無関係では無いと自己分析しているが)2度うつ病に罹った(自己診断であるが)。病院に行くと云う考え方は全くしなかった。心の問題だと思い、やはり仏法の教えに解決を求めていたように振り返っている。体は登社拒 否しなかったが、心は完全に登社拒否状態だった。会社に辿りつくまで何回か駅や道端のベンチに腰掛けては嫌々立ち上がって始業ベルがなる直前に会社の門を潜(くぐ)ると云う状態であった。また最近のことであるが、私の塾(今は閉めている)の教え子だった兄弟のお父さんがうつ病で、かれこれ5年前位から勤務を休まれている期間があったり、また勤務に復帰されたりの繰り返しが続いており、非常に気に掛か っている。今日現在、ここ1ヶ月は休まれていると思われる。車通勤されているからガレージを見れば分かるのである。一流企業に勤務するサラリーマン家庭であるから、奥さんはずっと専業主婦であったが、これを契機に勤 務に出られ始めたし、家計も気に掛かるし、思春期の男のお子さんがいるし、私はとても気になっているところなのである。
私は、自分の経験からだけであるが、「うつ病は、環境(住む場所、職場、人間関係)を変えることで解消する可能性が高い。むしろ、それでしか治らないかも知れない。」と考えている。「うつ病は病気であるから、適切な 医療処置(カウンセリング、投薬等)で治ると云う専門家の見立てがあるが、環境が同じのままでは、再発する可能性が高いのではないかと私は思っている。
私の場合は2回とも職場を変えて貰って完治した。ギブアップしたのである。上司である工場長に直訴して、ギブアップ宣言をしたのである。ただ、さすがに2回目は、また職場を変えて欲しいとは言えずに退職を申し出たの である。退職後の仕事も生活設計も立ってはいなかった。「このままでは折角この世に〝いのち〟を貰った私(と云う人間)が死ぬ」と思い、塾でも開いて何とかしようと考えていた。
結果としては、私のテニスのペアでもあった役員が骨を折ってくれたからか、専務取締役に呼び出され、「一度外注へ出向して冷静になれ!」と慰留された。外注先の企業は私が開発した製品を製造している会社であったので 人間関係的にも何ら問題がなかったので、専務の配慮に甘えて見ることにして、この時は退職せずに済んだ次第である。
そして、出向したその日から、うつ病とは即サヨナラだった。鮮やかな程であった。それからは活き活きとした出向サラリーマン生活が 約3年続いた頃、外注先の経営内容に問題が発生し、本社に戻って来いと云う打診 があったが、大企業と云う管理社会ではうつ病の再発が有り得ると考え、脱サラ起業へと向かった。そして今日がある。対うつ病対策としては正解だったと今も思っている。うつ病の原因は一つではないだろう。個人個人異なるかも知れない。従って、治療方法もそれぞれに合ったものでなければ完治に至らないし、完治したと思っても再発も有り得る厄介な病気だと云うことであろう。
次回は、コラム1200回記念である。私がこうして無相庵コラムを書き続けるに至った人生は、うつ病(サラリーマンを辞める決断を促した)がキッカケだったと今思うのである。記念のコラムとして次回もうつ病を もう少し考察したいと思う。帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1198 2012.05.17
易しいが信じるのは難しい教え?昔から浄土門の教えは『易行難信(いぎょうなんしん)』と言われています。特に浄土真宗では、信心決定(禅門の〝悟りを得る〟に相当します)する人は国に一人か郡に一人とか言われていますから、 悟りに至れる人は滅多に居ないと云うことであります。『難中の難、これに過ぎたる難しいものは無い』とまで親鸞聖人ご自身が言われています。
禅門でも悟りに至る人は極めて少ないようですので、仏教で悟りに至ることは大変難しいことになります。それでも仏教徒は「悟りを開くことはそんなに簡単なことではない」と何故かしら思い(否、 思わされて来たのかも・・・)、その事に疑問を抱かずに仏法を求め続けているのだと思います。私自身がそうでした。
しかし最近、私はこれはオカシイのではないかと思うようになりました。特に大乗仏教は「自分一人だけが救われるのではなく、皆一緒に救われることが本当の救いのはずだ」と云うことでお釈迦様が 亡くなられてから数百年してから生まれた仏教です。大きな乗り物に乗って沢山の人が一緒に彼岸へと云うその大乗仏教の一つの教えである浄土門で『易行難信』が看板では大きな矛盾ではないかと ・・・。
むしろ教えを難しそうに説いて、神秘性を演出し庶民の眼を眩まし、お布施を徴収しているのではないかとさえ思ってしまいます。お釈迦様が一切為さらなかったお葬式や法事の儀式や、お墓の管理等 で生活の糧を得ている日本のお寺の現状を思いますと、仏教はとんでもないところまで来てしまっていると思わざるを得ません。少し言葉は厳しく不謹慎であるかも知れませんが、もともと出来もしな いことが出来るように説く教えは、新興宗教を詐欺的と批判する資格もないのではないかとさえ私は最近になって思うようになりました。
ある仏教ブログに最近下記の内容のお説教があります。
本当のご利益とは、願いが叶うことや良い結果を得ることではない。願いが叶っても叶わなくても、成功しても失敗しても、治っても治らなくても、勝っても負けても、どちらに転んでも大丈夫という ものに遇うことです。必ず試験でも失敗し落ちる人はいます。医者がいくら頑張っても亡くなることはあります。失敗しても、治らなくても、負けても、願いが叶わなくても、どちらになっても大丈夫 だよと寄り添い、生きる支えになってくれるものに遇うことです。阿弥陀如来は、いくら病気が治らなくても、寝たきりになっても、煩悩が無くならなくても、そのままのあなたをそのまま救うとよび 続けてくださっています。それ故、阿弥陀如来は念仏にならざるを得なかったのです。 「これから先の人生は、幸か不幸かしらねども、どちらになってもよろしいと確かな覚悟ができました」
―転載終わり
有名寺院のご住職のお説教ですが、成功しても失敗しても、治っても治らなくても、勝っても負けても、どちらに転んでも大丈夫というものに遇うことなんて出来るわけがないと思います。「阿弥陀如来 は煩悩が無くならなくても、そのままのあなたをそのまま救うとよび続けてくださっています」と聞かされましても、そんな阿弥陀如来の声が現実的に聞こえるはずが有りません。「これから先の人生は、幸か不 幸かしらねども、どちらになってもよろしいと確かな覚悟ができました」と云う覚悟が出来てしまったら、もう仏法を聞く必要も無くなります。とてもそれがゴールだとは思えません。また阿弥陀如来が 念仏になると云うお説も極一般の人々にはとても分かり難いのではないでしょうか。
米沢先生は『仏法は何のために聞くかというと、自分自身を見るためである。』と言われています。
悟りを開いて苦しみや悩みが亡くなることではないと云うことです。苦しみや悩みがなくなれば、もう仏法は必要なくなります。「どうなってもよろしい」と云う覚悟が出来たら、その時点で仏法は必要 なくなります。仏法は煩悩を滅する為の教えではないと思います。〝いのち〟が宿った身体があり、自分を認識出来る脳力(敢えて能力ではなく)に恵まれた〝いのち〟である限り、自分をこよなく愛する煩悩が消滅 することは有り得ないと親鸞聖人は気付かれました。私もそう思います。仏法は人生を哲学する教えだと思います。「人生とは何か?」「自分とは何か?」「自分は何のために生れて来たのか?」「そも そも〝いのち〟とは何か?」「人間の〝いのち〟に生れた自分とは何か?」を〝いのち〟がある限り問い続ける哲学の道だと私は思います。信仰も何らかの光に出遇ったり、何か神秘的な体験をする瞬間 が起こることでも無いと私は思います。人間が知り得る限りの科学的知識を駆使して頭の中で思索し、偶々恵まれた〝いのち〟の意味を問い続けることだと思います。
それを問い続けるためには〝いのち〟を繋ぐ必要があります。つまりお金を稼ぎご飯を食べる為に私たちは仕事を持ち、社会での役割があります。衣食住を求めて働くことは生きる為に必要だけれども、 生まれて来た意味はその衣食住の生活の中に直接的には無いと思います。それは他の動物の生活と変わらないからです。
他の動物と違った〝いのち〟を生きるところに人間に生れた意味があると思います。その他の動物と違った〝いのち〟とは何かをずっと求め続けるのが、人間の〝いのち〟の意味だと最近の私は思ってい ます。今回のコラムは、1198回目です。2000年7月13日に始めた無相庵コラムも、もう直ぐ1200回を迎えます。今年の7月に満12年になりますから、年に100コラム、大体週二のコラ ムを続けて来たことになりますが、私の受け取っている仏法もかなり変遷があると思います。しかしそれは本当の教えに出遇いたい、自分の〝いのち〟の意味を知りたいと思い続けたからではないかと思 います。これからも、死ぬ直前まで続けたいものであります。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1197 2012.05.17
〝いのち旅〟番外編:偶然の〝いのち〟『偶然と必然』と云うことが能く議論される。この世の事(地球上だけでなく、宇宙一杯まで拡げてもいいだろう)の全ては原因(要因とも条件とも言ってよい)が有って結果が生じる。
一つの原因に多くの条件が働いて一つの結果が生じ、その結果が他の結果に対する原因や条件となることもあり、複雑に連鎖して様々な現象やモノが生じていると思うのであるが、人間が知り得る要因や条件は 限られているから、結果が偶然起きたと云うことになる場合が多いが、もし全知全能者が居たとしたら、全ては必然のことであり、当たり前に起きたことだと言うだろう。
東日本大震災にしても然り、最近能く起きる交通事故も、起きて当たり前の事が繰り返されているだけであろうと思う。私のこの〝いのち〟も普通に考えると偶然に生じたとしか思えないのであるが、一つ一つ〝いのち〟が存在する状況を押さえてゆくと、無数の偶然が重なった〝いのち〟であることに気付かされ、この偶然を大 切に生かさないことには私の〝いのち〟が勿体ないと思えて来るのである。
この地球上の生物種は1000万種とも数千万種とも言われる、1年間に十数万種の生物が消失してまた同じ位に新しい種が生まれているとも言われるので、確定的に生物種数を把握は出来ないらしいが、私は 少なくとも1000万分の一の確率でしか無い『ヒト』と云う〝いのち〟を貰い受けて今ここにあるのだと思う。どの〝いのち〟も平等に尊いのであるが、生物種の中最も優れた知能を持った『ヒト』に生れたことは偶然 とは言え本当に有難いことである。また、生れ出た場所が、約200ヶ国ある国の中でも、古い歴史が有り、気候に四季ある比較的温暖な日本に生れたことも有り難い。また生まれ出た時が、地球が誕生して46億年 後、人類が誕生して数百万年後、人類が高性能な望遠鏡と顕微鏡を手にして、地球が存在する宇宙の様子を立体的に知り、それとは逆に超ミクロの世界に気付き、生物の最小単位とも言うべき細胞の実体を知り 得たこの20、21世紀であった事は偶然とは言え、幸運だったと思うのである。お釈迦さまも親鸞聖人も、地球が球形であることも、地球が太陽の周りを廻っていることも、宇宙の無限の大きさや歴史も、そ して自分の体を構成している最小単位が他の動植物とほぼ同じ細胞だと云うこともご存知になられないまま〝いのち〟を終えられた事を思うと、少し優越感すら覚えながらも、この時代に生れた責任を感じる のである。使命を感じるのである。
また、『ヒト』の中でも男に生れたのも、二つに一つの偶然である。どちらが高等とか尊いとかと云うことは無い。それぞれ異なる優れた能力を持って補完し合っているのだと思う。〝いのち〟としてどちらも 大切であるが、私は創造力と云う面で平均的に優れていると云われる男に生れたことの偶然は、色々な分野に生かさないとこの偶然が生きないと思う。
それに、私は島根県の出雲市出身の両親の子供として〝いのち〟を受け継いだのであるが、明治生まれの二人が大正時代にも関わらず夫々が横浜と東京に留学した後に神戸に家庭を築いたこと等を含めて、その 一つ一つが今の私の状況を決定付けているとしか思えないのである。全ては偶然と偶然の寄せ集めの様に思えるのであるが、やはり一番の偶然は、母から受け継いだ『仏法』との出遇いだと思う。
「人身受け難し、今既に受く。仏法聴き難し、今既に聴く」と云う古来から仏教徒が大切にしている言葉があるが、他の宗教よりも仏法が優れていると云う我田引水的な響きがあるが、そうではなくて、仏法と云う よりも、お釈迦様が気付かれた『物事は神仏と云う絶対者の意のままに生じているのではなく、縁に依って生じると云う道理』に出遇ったことが遇い難いことだと云うのが本来の意味である。
ここまで、偶然が重なった〝いのち〟を生きていることを知った限りは、この〝いのち〟を大切にしなければ勿体ないと思うのである。私だけでは無く、無相庵の読者お一人お一人が、有り得ない偶然が重なっ た〝いのち〟なのである。
これ程の偶然が重なった〝いのち〟は最早必然としか言い様が無いと私は思う。この必然的な『ヒト』としての〝いのち〟を必然的に全うしたいものであります。帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1196 2012.05.10
GNH(国民総幸福量)国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した 「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考え から生まれたものである(ウィキペディアより)。
昨日のNHK・eテレ番組『こころの時代』で、ブータンなどで伝統文化や国民意識等の調査活動をされ、仏教が東アジアでどのような形で生かされているかを研究している〝文化人類学者/僧侶〟本林靖久氏(大 谷大学卒)が、特にブータンの『GNH』に付いて詳細説明された。
私は昨年末ブータンの現国王が新婚旅行で日本に来られた時にブータン国民の幸福度が話題になっていたし、日本がGNP(或はGDP)を追いかけているのに対してブータンは幸福感を追いかけていると云うこと に、「我が意を得たり!」と初めてブータンの国の位置や国王の存在、チベット仏教国であることを知ったのですが、ブータン国民の現実の詳細をご存知の本林氏のお話を興味深く聴きました。
国民の幸福を大切にするブータンは勿論国王(政治)が伝統と自然と宗教を大切にして統治しているのですが、そのGNHの柱を下記4つに絞っているそうです。
1. 経済成長と開発
2. 文化遺産の保護と振興
3. 環境の保全と持続可能な利用
4. よき統治(仏教の世界観に依る)
一番に経済成長と開発を挙げていますから、゛先進国同様開発を否定している訳ではありませんが、具体的な政策を決める時の価値観を2、3、4に置いているのです。日本はどうでしょう、謳い文句は国民の生活 が第一と言いながら、実際の行政を担当してくれる公務員と、政権与党の政治家に多額の献金する電力会社等の大企業の経営トップを優遇する具体策を実行してしまうのです。
今週の土曜日午後1時から1時間この番組の再放送があると思いますので是非視聴して頂きたいのですが、要するに、ブータンは昔の日本の国民性が残っている愛すべき国です。日本の島根県とほぼ同じ人口70万人が、 日本の九州と同じ面積に暮らしていると云う人口密度の低いブータンは、困っている他人の為には、自分の財産を根こそぎつぎ込んででも、何が何でも助けると云うお人好しの国民性なんだそうです。お人好しは貧 乏人と決まっていますが、お金持ちよりも、幸福感を味わう機会(寄り合い)は多いのです。
ただ一つ気になったのは、そのお人好しの行為が、チベット仏教の本質なのかどうか私は不勉強で知りませんが、善い事をすれば来世には善いことが待っているとも受け取れる六道輪廻の考え方がベースにあると云うような説明 を本林氏がされていた点です。そう云う考え方が否定されるべきだと云うことではありませんが、私の知識では、お釈迦様は来世に付いては誰も確かめようが無いので論じても致し方無いと言う立場を取られていた と聞いておりますので、ブータンのチベット仏教はお釈迦様の仏教ではないのかも知れない・・・と。
でも、ブータンと日本を比べますと、現在の日本は昔の日本から随分遠いところに来てしまったように思うのは私だけではないと思います。
まともな国になるにはどうすべきでしょうか。
野田首相が不退転と云う似つかわしく無い覚悟で断行しようとしている『社会保障と税の一体改革』は消費増税の方は断行することになるでしょうけれども、社会保障の方は雇用喪失と少子高齢化がますます進み、 結果として保険料を納める働き手が今後一層少なくなり、年金だけで生活出来る老夫婦家庭は比較的早い時期に無くなるに違い有りません。
原発問題も本当はこの際原発全停止の続行を決断実行しても、私たち国民の智慧と工夫で乗り越えられるに違い有りませんが、経済・産業最優先、お金至上主義の日本の政財界のトップ達の凝り固まった頭では、決断が出来ないでしょう。しかし、日本を蘇らせる為には原発の全停止を続けて、国民の底力に賭けるしか無いと思います。今の日本をリードする(リードはしていないのが問題ですが・・・)政治家の中にも、大企業の経営者の中にも誰ひとり 思い切って日本丸の梶を切れる胆力と勇気の有る人は居ません。高度経済成長期に偶々運よくトップに登り詰めた面々です。この日本の正念場を乗り越えて見せられるのは、自民党の失政の下、巷で苦労して来た国民一人一人の力を結集するしかないと、 私はブータンの質素な生活を拝見しながら改めて思い至りました。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1195 2012.05.10
続―人間は好きな事をする為に生まれて来た前回の木曜コラムで漫画家の水木しげる氏(90歳)の言葉を紹介し、人間誰でも夫々に固有の恵まれた才能があるから、それを見付けて幸せな人生を生きようではないかと申し上げましたが、それには前提があります。 その前提を一つ二つ申し上げておかなければならないと思いました。
今から申し上げることは水木しげる氏の考えでは有りません。私の考えですし、少し極論に過ぎるかも知れませんが、今は考えているそのままを申し上げます。
私たちの人生、好きなことさえしたらいいと云う訳には参りません。好きなことの前提にはお金が稼げると云うことでないと成り立たないと思います。遊ぶのが好きだと言っても、遊び回るにはお金が要ります。遊び回る 為に はお金を稼がなければなりません。そのお金を稼ぐ仕事が苦痛なものであっては、好きなことをやる代償に苦痛な仕事をしていることになり、それは水木氏の「人間は好きな事をする為に生まれて来た」ことにはなりま せん。水木しげる氏の云う好きな事とは、好きなことで尚且つお金が入って来ることが前提だと思うのです。
しかし、水木しげる氏の言葉に言い当て嵌めますと、「人間はお金が稼げる好きな事をする為に生まれて来た」となってしまいます。これはまた違うと思います。その為にだけに生れて来たのではないと云うのが私の主張です。
私はこの世に生まれて来た意味に付いて、最近直接間接に申し上げている積りなのですが、「自分とは何か?」「〝いのち〟とは何か?」「どう考えて生きればいいか?」等の自問に心の底から納得出来る自答を得ることだと考 えています。それが、多くの〝いのち〟の中で唯一考える能力を与えられた人間と云う〝いのち〟を得たミッション(役割)と言いますか、使命或いは特権とも言い換えてもいいと思うからです。好きなことをして、食べて寝て起きての繰り返しの生活は他の動物でも出来ることだと思います。今世界中の人間がしていることは、一見、他の動物では出来ない高等なことをしていると考えているのだと思いますが、見方を変 えれば、欲望を効率よく満足させる手段を限りなく追及しているだけで、人生を終える時の収支決算は、ただ疲れ果てるだけで、不満足のままに人間と云う貴重な〝いのち〟を終えているだけではないのかと考えます。
今や全世界的に使用されている携帯電話、便利なことは便利です。何処ででも世界の何処の知人とも電話で話したり、メールし合うことが出来ます。自転車に乗りながらでは禁止されている携帯電話のメールを見ている人々がい ますが、殆どはそれ程大事な事を連絡し合っているはずはありません。今向き合っている目の前の現実を取り逃がし、死亡事故を引き起こして〝いのち〟を終えたり、終えさせたりして、折角人間として生まれた〝いのち〟を無駄 にしていると思えてなりません。人間が行うどんな仕事も生存する為には必要なことであります。従って、折角与えられた〝いのち〟を護ることは大切なことではあります。だから仕事は非常に大切です。しかし、この〝いのち〟の世界は〝いのち〟は〝いのち〟 を食べて〝いのち〟を護る仕組みになっていることが大前提の世界です。
しかし、人間の〝いのち〟が仕事をするだけの〝いのち〟では、他の動物の〝いのち〟と五十歩百歩ではないかと私は考えます。この〝いのち〟の世界では、与えられた〝いのち〟をその〝いのち〟らしく生きることでしかないのではないかと考えます。私たち人間は人間らしく生きることに尽きると思うのです。自分自身が「人間としての〝いのち〟を生きて いるな!」と思える人生を生きていたら、やがて〝いのち〟終わる時、「人間としての〝いのち〟を全(まっと)うしたなぁー・・・」と安らかに〝いのち〟を終えれるのではないかと思います。そんな人生にしたいと私は思っています。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだふつ
No.1194 2012.05.07
〝いのち旅〟:第13話(〝いのち〟の強靭さ)13.〝いのち〟の強靭さ
38億年前に地球上(海の中と思われる)に現れた〝いのち〟は単細胞藻類と菌類であります。単細胞藻類としては、クロレラや最近話題になっているミドリムシもその一種と云うことです。
この藻類が誕生し、単細胞藻類が単細胞の菌を取り込んで光合成(太陽光の助けを借り、炭酸ガスを吸って炭水化物を合成し、その副産物として酸素を放出する化学反応)する葉緑素を有する藻類が大量発生したお蔭で、〝いのち〟は その後38億年の時間をかけて私たち人類まで進化したらしいのです。詳しくは、第11話の中で紹介しているサイト『地球と生命の誕生と進化』をご覧下さい。単細胞藻類から私たちホモサピエンスに進化(考える力を持った動物であることから私は進化と考えますが、〝いのち〟の尊さは平等です。)するまでに〝いのち〟は様々な障害を乗り越えました。その一番大きな障害が、今から5億年前、 地球上に〝いのち〟が誕生してから33億年に亘り〝いのち〟は生き延びる為に、生きる場を広げて多くの〝いのち〟が生活出来るべく次々と新しい環境に挑戦し順応して来たのだと思われます。
その一番大きな挑戦が海から陸地への進出です。これを『生きもの上陸大作戦』と中村桂子氏は名付けておられます。5億年前までは、今の陸地は形・姿も外観も現在の様子とは全く異なり、緑の陸地ではなく、それこそ、月の表面のよ うな殺伐荒涼とした大陸だったようです。信じられませんが、私たち人類が地球上に生れたのが、ホンの数百年前のことです。生命が誕生してから、38億年の間には小惑星の衝突もあり、大陸もマントルの活動が引き起こしたプレート移 動により、それまであった大陸が合体し、超大陸パンゲアが出現しました。約4億年前から合体が始まり、中生代の開始頃の2億5千万年前にパンゲアは完成します。そして、1億6千万前から、再びパンゲア大陸は分裂し始めて現在の大 陸の姿になったらしいのです。大陸の様子が変わると云うことは即ち、昨年の東日本大震災のような大地震と大津波が全世界的に数十回は発生し、生き物は大絶滅を繰り返したようです。
また一方、数万年単位で氷河期が訪れて来ますが、氷河期と言いましても、平均気温は7~8℃下がるだけですが、それでもその生き物にとっては耐えられずに多くの生物種が絶滅したようであります。私たち現代人は、生き物が絶滅するほどの大変化を経験していませんので、なかなか想像出来ませんが、地球は大変化を繰り返して来ているのです。でも、その変化に耐え得る生き物が残り、またそんな大変化した環境に順応する生き物に 進化して今日の私たちホモサピエンスが存在していると考えても間違いではないと思います。生き物の姿・形はすっかり変わってしまいましたが、〝いのち〟は続いています。具体的にどのように強靭かを表現出来ませんが、したたかに 〝いのち〟を繋いでいることを含めて、強靭だと言いたいのです。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
追記:
昨日の日曜日のNHK・eテレの『こころの時代』に青山俊董先生が出演されていました。極最近の青山俊董尼だと思われます。『人生に光あり』と云うお題での対談でした。 今週の土曜日に再放送がありますので、ご視聴頂ければ幸いであります。『人生に光あり』の光は、「尽十方無碍光」と云う光だと思います。私たちを生かす働きのことでもありましょう。全宇宙を動かしている力と言ってもよいと思います。 しかし、その光は全ての存在に正しく平等に降り注いでいるけれども、その光に気付かねば、光の恩恵を正しく受け取るには至らないのではないかと云うことだと思います。青山俊董尼は、この世に存在するものを分類されて、鉱物、植物、動物、 人間に分けられました。そして、鉱物は物質、植物は物質+〝いのち〟、動物は物質+〝いのち〟+意識する働き(反応すること?)、人間は物質+〝いのち〟+意識する働き+自覚(自分を見るもう一人の私を持てると云うこと?)とされ、 人間は他の動植物とは異なり、光を自覚出来る能力を与えられているのだと仰っていました。しかし、残念ながら自覚出来ないまま〝いのち〟を終わる場合もあると。そこで、仏教で有名な一句、『人身受け難し今既に受く、仏法聞き難し今既に聞く』 を紹介されました。
No.1193 2012.05.03
人間は好きな事をする為に生まれて来た表題は漫画家の水木しげる氏(90歳)の言葉である。
皆が喜ぶ漫画を創作する特別な才能に恵まれた人だからこそ言える言葉だと思われるかも知れない。今、ヒーローと思われているスポーツ選手のイチロー、石川遼、ダルビッシュ有や歌手の氷川きよし、坂本冬美等も水木氏 と同じ言葉を発するかも知れないが、彼らだけが特別な才能に恵まれたのではないと思う。むしろ、自分に恵まれた才能を見付けることが出来た特別な人間だと言うべきだと思う。水木しげる氏は「好きなことだから、努力し続けられた」とも仰っていたが、やはり、好きなこと、夢中になれることを見付けることが人生の幸せではないかと思う。更に「お金を稼ぎ、欲望的に満ち足りた暮らしが出来て も、幸せ感を抱けることとは違う。満ち足りない方が、幸せ感には近いかも知れない」と云うようなことも仰っていたが、分かるような気がする。
私が自分の人生を振り返り、好きなことと云うか、夢中になって来たことが何かと考えた時、結論的には「意外性を求めて来た」と思った。「周りの人々が意外だと感じるであろう事を成し遂げて驚かせたい」と云うことである。
ずっと得意として来たテニスも、普通のプレーヤーが追い付けないボールを返球したり、誰もが予測出来ないところへ返球したりすることをテニスの遣り甲斐と考えて努力していたと思う(テニスは県のチャンピオン止まりで、お 金にはならなかったが・・・)。また、今現在は、連続気泡多孔体と云う特殊なプラスチック材料を世界の誰もが出来なかった製法で、誰も造れなかった樹脂を使用して世に送り出したいと、これも皆が驚く意外性を求めて研究開 発しているところであるし、また、この無相庵のテーマである仏教に関しても、お釈迦さまや親鸞聖人が知らなかった宇宙の知識や私たちの体が細胞の集まりであることや、細胞そのものの仕組みに関する知識、そして人間の各器 官の構造とその役割に関する知識を古い仏教に導入して、仏教を進化させるのも大それたことではあるが自分にしか出来ない使命だと思っており、何に付けても意外性を求め続ける事が自分がこの世に生まれ出て来た意味だと考察 している次第である。その自分が夢中になることが即お金を産みだすことなら、周りの人にも還元出来て有り難いのではあるが、自分を突き動かす夢中になることにめぐり会っていることが幸せなのだと思う。どんな人にも必ず、その人にしか出来ない ことがあるはずである。誰にでも無数の祖先がいる。そしてその無数の祖先の中から何かキラリと輝く才能を受け継いでいるし、無数の祖先がその私を見守っているのだと考えたいものである。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1192 2012.05.01
〝いのち旅〟:第12話(〝いのち〟とは?)12.〝いのち〟とは?
私たち人間は動物の一種〝哺乳類サル目〟の〝ヒト属〟のホモサピエンスですが、『生物』と云う場合は動物だけではなくて、木とか草花を総称する植物も含めてと云うことは皆さんがご存知の通りです。 『生物』を訓読みしますと〝生きている物〟です。〝生きている〟とは、即ち〝いのち〟有るものと云うことに誰も異存はないでしょうが、一方で、生物は全て〝細胞〟の集まりです。細胞の集まりであることを発見したのは、ロバート・フック(Robert Hooke、1635年7月18日 - 1703年3月3日)と云うイギリスの自然哲学者、建築家、博物学者ですが、コルクを顕微鏡で見て細胞壁で仕 切られた生物の死骸から、生物は細胞の集まりであることを予想したようであります。
38億年前に、原核細胞と云う一つの細胞(単細胞)だけの生物が海中に初めて誕生したのでありますが、それが私たち人間の真核細胞、つまり原核細胞には無い遺伝情報のDNA等を有する核を持つ細 胞を60兆個も持つ動物に進化するのには、実に21億年掛かっています。植物と動物の細胞は同じく真核細胞ですが、植物細胞の中にある葉緑素は動物の細胞には無い等の違いはありますが、生物には 必ず真核細胞があると云うことです。
一番不思議なのは、真核細胞の中に千個程度含まれていると言う〝ミトコンドリア〟と云う私たち動物が生き続け、動き続けるエネルギーを生み出す小さな(直径1μの糸状の)粒子があることです。
ミトコンドリアでは、私たちが食べた食物をアデノシン三リン酸(ATP)に変え、それがアデノシン二リン酸とリン酸に分解する時に発するエネルギーのお蔭で私たちは生き続けられている訳であ りますが、私自身がそう云う指令を出した覚えはありません。私たちと違うところから指令が出ているのです。多分、それが細胞の核内にDNAと云う有機物として存在する遺伝子だと思いますが、その 指令にも私は全く関与して居ません。私たちの体の中で起こっている動きや働きには私は何も関与していません。血液の循環を私が止める力は有りません。呼吸も私が寝ている間も有り難いことに続いております。考えてみますと、真核細胞の 核もミトコンドリアを作り出したのも、そのミトコンドリアで食物をATPに作り換えるのも、私ではなく私以外の、私を存在せしめている働きそのものだと思います。
私も、母の卵子と云う染色体1本を持つ単細胞と父の精子と云うこれまた染色体1本の単細胞が合体して染色体2本が揃った核を有する人間となる単細胞一つが出発点です。私が自らの意思でこの世に生 れ、自分の意思と力で生き続けているのではないことが明らかです(私はこの事実を認識出来る現代人が親鸞仏法の要である他力本願を丸ごと受け容れずには居られないと思うのです)。
細胞に〝いのち〟を与えたのが何かは永遠に分からないと思いますが、〝いのち〟の乗り物が細胞であり、細胞が有り続ける限りは、この宇宙に〝いのち〟が有り続けることは間違いないのだと思います。
生命の誕生の歴史を宇宙の誕生から細胞誕生を経て、人類が生まれるまでを〝いのち旅〟としようと考えて来ましたが、私が苦労して記すよりも数年前に、多分同じ思いでチャレンジされた方のブログ 『地球、海、そして生命の神秘・奇跡について綴る』 を勉強して頂いた方がいいと思いました。ブログ作者の方が、仏教的な 関心から始められたのかどうかは分かりませんが、「自分とは何か?人間ってなんだろう?」と云う人間なら誰でも問い直さざるを得ない命題に挑戦されたことは間違いないと思います。
私は更に〝いのち旅〟を続けますが、少し旅の内容を考え直そうと思います。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ
No.1191 2012.04.26
続―吉本隆明氏の『最後の親鸞』吉本隆明氏は60年安保反対運動を起こした全学連に関わり、国会内での座り込みにも参加し逮捕されたこともあったようです。
私は吉本氏を詳しく知らないまま左翼の人間ではないかと云うイメージが強く、『最後の親鸞』を読み始めるまでは、彼の親鸞仏法の理解度に懐疑的だったのですが、読み進むにつれて、私などが及びもつかない程 丁寧に浄土門を勉強されており、親鸞を深く能く理解し親鸞仏法の真髄を掴まれていることに頭が下がっている次第です。
その掴んだ真髄を〝最後に親鸞が行き着いた仏法〟と云う意味合いを込めて、『最後の親鸞』と云う題名にしたのではないかと推察しているところです。親鸞聖人に親しみを感じ、親鸞仏法に関心を寄せている無相庵読者の方々には是非、『最後の親鸞』を読んで頂きたいと思います。
そこで因みに、『最後の親鸞』から下記の内容を転載します。『最後の親鸞』から転載ー
親鸞が易行道というとき曇鸞がいう意味とちがっていた。また道綽や善導がいうのとも、それを祖述(そじゅつ;先人の説を受け継いで述べること)した法然ともちがっていた。称名念仏はやさしく実行しやすいというの でもなければ、たんに称名念仏が往生への正行中の正業であるからというにもとどまらなかった、むしろすこしでも易行を外れて自力の修練の痕跡が入りこめば、浄土への往生は叶わないものというところまで 易行の意味をもっていったのである。
すこしでも自力聖道門の匂いがはいれば化身土である懈慢界か、疑城・胎宮にしかゆきつけない。つまり第19願と第20願の領域に入りこんでしまう、というのが親鸞の行きついたところだった。(曇鸞の『浄土論註』の言葉として)
易行道というのは、つまり、ただ仏を信ずるというそれだけの因縁をもって、浄土へ生れたいと願うと、仏の本願の力に乗せて、たやすくかの浄土へ生れることを得させるものである。仏の力に持ちこたえられ てただちに大乗の正定聚の位に入らせるものである。この正定聚というのはすなわちアビバッチという不退の位である。これは、たとえていえば水路を船に乗って行くのは楽しいようなものである。(『教行信 証』行巻20)[私釈]これによって易行の意味はやさしく行いやすいため、凡夫にもできるものという解釈の仕方から、ひたすらな<信>という意味に移される。もはやそれ以外に天親のいう願生も、浄土への往生も可能でない唯一 真実の道という意味におきかえられた。易行がもっとも至難の道だ。なんとなれば人間は<信>よりさきに、すぐにすこしでも善い行いをと思い立ったりするからだ。
この思いは、すこしでも楽な姿勢をという思いとおなじように、人間につきものの考え方である。親鸞は<信>がないところで、易しい行いにしたがうことが、どんなに難しいかを洞察したはじめての思想家であ った。易しい行い、楽な姿勢が容易だというのはつまらぬ思想にしかすぎない。
―転載終わり
親鸞聖人は浄土門の先輩である七高僧達の考え方を決して盲目的に受け容れた訳では無く、自分が心から納得出来るまで思考を重ねる頑固さと云うか、一途さを持った哲学者だったのだと改めて親近感を覚えま した。吉野氏もまた親鸞のその姿勢に共感を覚えたのではないかと思っているところです。私も鎌倉時代の親鸞聖人が知り得なかった現代科学が明らかにした生命の実体や地球と宇宙の真実の知識を仕入れてい ます。親鸞仏法をより進化させる義務と責任があると思っています。
帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ