No.1190  2012.04.23
〝いのち旅〟番外編ーヒトと生まれたからには

私たち人間は自分を特別な存在だと思っているが、飽くまでも生物の中の一種類である。
生物学上の分類では『哺乳類サル目(霊長類)』の分類群の一つの科である『ヒト科』に属している。そして『ヒト科』には『チンパンジー亜科』と『ヒト亜科』があり、我々は『ヒト亜科(HOMO)』の中にある7つの属の中の一つ、 『ヒト属』の『ホモサピエンス』に分類されているらしい。

学名「Homo sapiens」(ホモ・サピエンス)は「知恵のある人」の意味だそうである。大脳が最も発達した生物だと云うことである。
私はこれまでも度々「考える能力を与えられた人間に生れたからには、他の動植物と同じではいけないと思う」と述べて来たのであるが、ただ毎日を、食べて、寝て、起きて動くだけを繰り返すのは他の動物と変わらず、折角人間 に生まれて来た意味も甲斐もないではないかと今も考えている。

私たちは動物が使えない道具を作って便利な生活をしている。パソコンも携帯電話も使っている。今問題となっている原発も・・・。これらの道具を使ってしていることは、自分の欲望(煩悩と言った方がよいかも知れない)を満 足させているだけのことであって、決して人間に与えられた考える能力を生かしていることにはなっていなくて、他の動物とは五十歩百歩ではないかと考えている。

パソコンと携帯電話を発明し世に送り出し、今や世界中の人々の生活を激変させたアメリカのアップル社の創業者スティーブ・ジョブズ(1955~2011年)でさえ、ある意味では人間の能力を私たちよりも多少発揮したけれ ども、人間の煩悩を満足させるに効率の良い道具を造っただけのことであり、知恵のあるヒトに生れた甲斐を究めたと言えるかどうか・・・。

昨日のNHK・eテレ『こころの時代』に哲学者山田邦男氏が出演されていた。山田邦男氏はオーストリアの精神科医、心理学者のヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905~1997年)の著書の翻訳者 としても有名であるが、アウシュビッツ強制収容所で全く自由を奪われた体験をしたフランクルの哲学思想を研究し尽くされた(実際に直接会われている)上で〝生きる意味〟について語られていた。
フランクルの著書の翻訳本に『人間とは何か』『それでも人生にイエスと言う』等、人間の生きる意味を考察・洞察したものが大半であるが、全ての自由も品物も名誉も家族も奪われ、常に死と向き合う強制収容所の中でフランク ルが生きる意味を失わず自殺を選ばなかったのは生きる意味を持っていたからだと言う。そして、生きる意味とは自分が生き伸びて何になりたいとか何をしたいかと云うことではなく、フランクルの場合は、精神科医として、自分 にしか出来ない使命に待たれていると云うようなことであった。そして、ヒトは自分の為にとか、自分がしたいと云う中に生きる意味を見い出せないとも述べられていたと思う。

この考え方を突き詰めてゆけば、結局は自分以外の他の特定の人とか、自分の家族や近隣の人々とか、不特定多数の人々の〝いのち〟を護ったり、他の人々も生きる意味を見付けられる手伝いが出来ることに繋がる役割を見出した時に 初めて人は『自分が生きる意味』に気が付くと云うことになりはしないかと思った。

私たち人間は、否、広く云えば私たち生物は他の生命との繫がりの中で生きている。自分単体で生きることは決して有り得ない存在である。また自分の思い通り生きることは出来ない。それは人間なら死の瞬間に誰しもはっきりと 認識させられることだと思う。仏教で云うところの『成仏』は、そう云うことなのかも知れない。

独りでは生きられぬ、多くの〝いのち〟との繫がりの中で生かされている事を死ぬまで分からないでは残念である。是非、生きている今、成仏しておきたいものである。ヒトにはそう云う能力が恵まれているのである。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1189  2012.04.19
人間―この未知なるもの

表題は1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの外科医そして生物学者でもあるアレキシス・カレル博士(Alexis Carrel;1873年~1944年)の著書の日本語訳の題名(原著 Man,the unknown)です。

私が生まれる1年前に亡くなられた方ですし、その著書が書かれたのは私が生まれる10年前(1935年)です。科学文明が人類を阻害していると云う人類の危機感を感じて書かれたもののようですが、21世紀の 昨日か今日にでも書かれたのではないかとさえ思える内容です。この本は、無相庵読者のお一人(女の方)から「命の旅について考察している大谷さんのお役に立つ一冊だと思います」とご紹介頂いたものです。

まだ最初の数ページを読んだところですが、全世界で1000万部と云うベストセラーだけあって、人類が現に直面している危機を深く鋭く考察された内容ではなろうかと感じております。私がチャレンジしている〝いのち旅〟 を先んじて旅された先輩ではないかとも想像しつつ読み始めたところです。日本語訳(渡部昇一氏、1992年初版)の副題は、『人間とは、いかなるものか。何が人生の原動力になるのか』です。
皆さまにも是非一読されることをお勧め致します(私はアマゾンでほぼ新品同様の中古本を1250円で求めました。)。

今日は、昨日の午前中から取り組んでいる技術開発の実験が夕方まで続きます。昨夜から徹夜に近い状況ですのでコラムはこれを以って終わらせて頂きますが、故アレキシス・カレル氏に言わせれば、私の仕事は「人類に本当 に役に立つ仕事ではなく、単なる便利さ・心地良さを提供するだけの単なるお金稼ぎに必死になっているだけだ。」と云うことだと思いつつ今日一日頑張ります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1188  2012.04.16
吉本隆明氏の『最後の親鸞』

3月末に読み始めた吉本氏の『最後の親鸞』は未だ読み終わっておりませんが、一つ共感を覚える点は、親鸞聖人と法然上人の間にある距離感です。吉本氏はこの本の中で、法然上人も親鸞聖人も流罪が解かれて自由の身になった 時点で親鸞聖人が法然上人の下に帰らず関東常陸の国に赴かられたことから推測して、「関東では人々が彼を、京から布教に来たありきたりの〝人師〟として遇するかも知れぬ。だが親鸞の思想は、外貌 (がいぼう、見た目)は 法然の徒(と、仲間)であっても支える内的根拠はすでに変貌していた。彼が、京洛の法然の死に背を向けて、常陸への路をさしていったとき、心のなかは孤独だったろう。彼の外貌は遁世の僧体とはならず、独自な思想 を秘めた在家の念仏者のものであった。このとき親鸞の胸中に、幾度も去来していたのは法然の姿ではなく、賀古の教信(きょうしん)沙弥(しゃみ)の姿であったろうことは疑わ れない。親鸞が〝我は是れ賀古の教心沙弥の定なり〟といつも云い続けていたことは、『改邪鈔(かいじゃしょう)』(親鸞の曾孫の著書)だけが記している。」と書いているからです。

教信沙弥とは、親鸞聖人よりも300年前に播磨の加古川辺りの非僧非俗の念仏者であります。興福寺で唯識を勉強したようですが飽き足らずに寺を出て後は念仏一筋に生き抜いた人で、親鸞聖人に大きな影響を与えた念仏者らしいのです。

親鸞聖人が一生涯法然上人を尊敬し感謝していたことは間違いないと思います。和讃に「本師源空いまさずば、このたび、むなしくすぎなまし」とか「本師源空あらわれて浄土真宗をひらきつつ」と詠われていることや、歎異抄第 二章にも法然上人を師として変わらぬ敬愛の念を持たれていたことを弟子の唯円房が語っていることから明らかだと私は思っています。

ただ、親鸞聖人は、法然上人はやはり自分とは異なる特別な人格であると考えておられたのだと思います。そして、親鸞聖人は「自分は妻帯もしたいし、法然上人のように一日に何万遍もの念仏を称えられない。一般の庶民・農民 は私と同じだと思う。愚者となって念仏を称えて浄土往生したいとはなかなか思えない私は、私自身がこの生身のままで本当の意味で救われる道を求めるのが、私が進むべき道だ。」と考えられて法然上人の下には帰られずに、農 民達が暮らす関東に飛び込んでいかれたのではないかと以前から想像しておりました。

吉本氏も、少し難しい論評ではありますが、下記のように。親鸞聖人の法然上人の思想からの離脱を書き記されています。
『親鸞の越後の在俗生活は、親鸞に〝僧〟であるという思い上がりが、実は〝俗〟と通底している所以を識らせた。そうだとすれば〝僧〟として〝俗〟を易行道に救い上げようとするのは、自己矛盾であるにすぎない。〝衆生〟に たいする〝教化〟、〝救済〟、〝同化〟と云ったやくざな概念は徹底的に放棄しなければならない。なぜならばこういう概念は、自分の観念の上昇過程からしか生まれてこないからだ。観念の上昇過程は、それ自体なんら知的でも 思想的でもない。ただ知識が欲望する〝自然〟過程、にしかすぎないから、ほんとうは〝他者〟の根源にかかわることが出来ない。往相方便の世界である。〝他者〟とのかかわりで〝教化〟、〝同化〟のような概念を放棄して、 なお且つ〝他者〟そのものではありえない存在の仕方を根拠づけるものは、ただ〝非僧〟がそのまま〝僧〟ではなく、〝非俗〟そのものであるという道以外にはありえない。ここにはじめて親鸞は、法然の思想から離脱したのであ る。もはや、異貌の〝衆生〟の一人として、親鸞は、京洛へではなく新開の辺地である関東の〝衆生〟のところへ潜り込むしかなかった。』と。

私は、親鸞聖人は念仏して浄土往生すると云うことに納得はされていなかったと思っています。農民達にもそのようには説いて居られなかったと思います。そして、ご自身も亡くなられる直前まで、念仏して極楽往生したいとは思 っておられなかったのではないかと推測しています。この世に生きている間に救われたい、生きている慶びを感じたい、この世に生まれた意味を確信したいと考えられていたのではないかと思います。そして、亡くなられる直前ま で煩悩具足のご自身を意識されながらも、何もかも阿弥陀仏の本願のままだとご自分に言い聞かせられながら90歳の〝いのち〟を生きぬかれたのだと思います。

和讃にある『弥陀の本願 信ずべし・・・・』は、他人に言い聞かせておられるのではなく、ご自身への言い聞かせだと思いますし、歎異抄の第三章の『愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じ奉らん ともまた捨てんとも、面々の御はからいなり』と云う言葉からも、他人を教化すると云う立場ではなく、常にご自分を問題とされ、また他者にも自分自身を問題にしようではないかと云うお気持ちがあったのではないかと推察して いる次第であります。

吉本隆明氏の他力門の勉強の深さに驚かされているところでもあります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1187  2012.04.12
観念

〝いのち旅〟の続きを書く為にはどうしても〝いのち〟の最小単位である〝細胞〟の事に触れなければ、魂の入らない旅となってしまうと思い、細胞の勉強中であります。
読者の皆さん方の中の99%の方々は私と同様に細胞を自分の眼で直接見られたことはないと思います。今では電子顕微鏡で見ようと思えば誰も見れますが、今から約300年前に自作の顕微鏡、と云いましても、 小さな穴の開いた鉛の板に磨き上げたガラス玉を装着した掌(てのひら)に乗る簡単な顕微鏡で細胞を確認した人が居ます。オランダ人でアントニー・ファン・レウエンフックと云う織物商を生業(なりわ い)にしていた人です。

彼の顕微鏡は今も博物館に保存されているそうですが、その精度が今から30年前に漸く調べられ、1.35~4㎛(ミクロン)と云う極めて制度の良いものであることが確認されました。顕微鏡の精度は 『分解能』と云う数値で表されます。それは離れた2つの点を区別出来る最小の間隔を少し難しい数値で表したものです。私たちの眼が確認出来るのは多分0.1mm程度、100㎛(ミクロン)ではな いかと思いますので、彼が制作した虫眼鏡とも言うべき顕微鏡の素晴らしさが分かります(1㎛は、千分の一ミリです)。 ただ、彼(レウエンフック)はそれが細胞であると云う認識は無く、細胞を細胞と認識して観たのはイギリスの植物学者のロバート・ブラウン(1773~1858年)と云う人だそうです。

そう云う勉強をしながら私は人間の眼だけでは真実は見られないのだと思いました。しかし、人間には細胞のような極微小の物が見れる道具を考え出す能力が与えられていますから、他の動植物では知ら れない真実が見れるのだと云うことを改めて認識した次第で、私たちが与えられている能力を大切に、しかも利用して真実・真理に近付く努力をしなければ勿体ない限りだと考えました。

宇宙の存在を確認出来たのは、顕微鏡とは反対に遠くの物の形や大きさ、色を確認出来る望遠鏡を考え出せたからです。また、物の確認は視力ですが、時間経過を認識し、宇宙の歴史、〝いのち〟の歴史 に気付く能力も与えられているのですから、人間に与えられたあらゆる能力を利用して真実と真理を知る役割と義務を与えられているのだと考えた次第です。

そこで、真実・真理を知ると云う熟語を調べたところ、漢字辞典で『観念(かんねん)』ではないかと思いましたので、今日のコラムの表題とさせて頂きました。
『観念』には、「諦める」と云う意味もありますが、「真理、または仏体を観察思念すること」が第一義です。ものの本当のことを知れば諦めざるを得ないと云うところから、「観念する」と云うことになったのでしよう。

私たちの日常は、自分の眼耳鼻舌身(げんにびぜっしん;五感)で確認した事や知識・経験と考える力で全てを知っているように考えて行動しておりますが、それらを超えて認識出来る世界(つまり真実の世界)が在ることを知っ ておく必要があると思います。それに気付くことが仏教の悟りでもあるのだと思います。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1186  2012.04.09
4月8日はお釈迦様のお誕生日・・・

4月8日はお釈迦様のお誕生日ですが、キリストのお誕生日(12月8日)とは認識度が余りにも異なります。まぁしかし、逆にクリスマスが何の日かを知らず、単にサンタクロースからクリスマスプレゼントを貰う日としか 思っていない子供たちが多いのかも知れませんが、全世界で使用されている西暦がイエス・キリストが生まれた翌年を西暦元年にした暦(こよみ)だそうですから、そのイエス・キリストの誕生日を祝うことになってしま ったのは致し方ないですね。

でも、仏教国の日本がお釈迦様の誕生日を知らないし祝わないのは、やはり、仏教のイメージが『苦』とか『死』が一般化されてしまっているからだと私は考えており、まことに残念に思っています。
お釈迦様は『死』を特別なこととお考えではなかったのではないかと思います。人々の死に際してお葬式をされたことも無いと聞いておりますし、ご自分の死後の亡骸の扱いは「庶民たちに任せよ」と弟子たちには仰ったと聞 いておりますし、親鸞聖人も同じく葬式・法事は為されなかったですし、自分の亡骸も「鴨川に流して魚の餌にしたらいい」と仰られたとお聞きしています。

もともと、お釈迦様の仏教は『死』は人生を考える契機・キッカケ位にしか扱われていなかったと思われます。死んでお浄土へ行くと云う考え方もお釈迦様はされておられませんでした。
むしろ、死んだ後のことは誰にも証明出来ないことであるから論ずるべきでないと『無記(むき)』と扱われたとお聞きしています。お釈迦様は非常に科学的・論理的な考え方をされていたのだと私は思います。

この世の出来事の全ては「縁に依って起こる」と云うお釈迦様の『縁起の道理』も、実に科学的・論理的な考え方です。「原因が有って結果があるのではなく、〝原因〟に〝様々な条件(縁)〟が重なって〝結果〟がある」と云 う考え方を誰も否定は出来ないと思います。様々な条件(縁)の殆どは私たち人間には予測出来ないことですから、偶然とか偶々と云う言葉があります。そして、最近能く耳にする「地震・津波の起きる確率」の『確率(かく りつ)』と云う言葉も、様々な条件を科学的・論理的に掴めないからです。

科学はその様々な条件を少しでも把握しようとする人間の努力です。ですから、これも勿論大切です。昔は外れることの多かった天気予報も、かなり当たるようになりました。これも、風の向き・強さ、地球の動きから雲 の動く速度や方向を計算出来るようになったからです。この努力に依って、事前に準備が出来ますから大変助かります。

地震・津波はマグマの上に浮いているプレートの動きに依って引き起こされると云う原因は分かった来ましたが、未だその兆候を何で掴み計算すればよいかが分かっていませんから、「30年以内に地震が起こる確率が30%」と 、現在はあまり役に立たない情報でしかない無い訳ですが、恐らく、数百年後には、科学の進歩でかなりの精度で地震・津波予報が出るようになるのでしょうが、「30年以内には必ずマグニチュード8.0以上の地震が何処そこ の震源地で起こり、津波の高さは何メートル」と云う精度までには至らないのではないかと思います。宇宙の一つの星として存在する地球は他の天体の動きとも連動していますから様々な条件を100%全てを人類が把握出来ることはな いと思うからです。

科学的に追及することは非常に大切ですが、一方で、全て把握することは出来ないと云う謙虚さを人類は持つべきだと思います。 そして、これが本来の宗教の有り方ではないかと私は思います。

昨日のお釈迦様の誕生日、私は卒業後55年振りの小学校の同学年同窓会に参加致しました。約200数十名の中の18名しか集まりませんでした。勿論亡くなられた方も居られますし、遠方に住まわれているかたも居られますが、 約80%の方々は兵庫県内に住まわれているようですので、私は50名位かと予想して居ましたが、少ない人数に驚きました。まぁ、私も経済的に苦しく年賀状も出せない時期には小学・中学・高校の同窓会には一切参加出来なか ったですから、そのような方もいらっしゃるのかも知れません。
同窓会の幹事が、最後の挨拶で、「同窓会はそれなりの境遇にある人々の集まりだ。幸せな集いである事を噛みしめよう」と云う主旨の城山三郎氏の言葉を紹介していました。
そういえば、昨年10月から3つの同窓会に連続参加しました。これからもどの同窓会にも出席出来るように、もうひと踏ん張りしようと思ったことでした。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1185  2012.04.05
私の『最後の親鸞』

親鸞聖人(1173年~1262年)は、9歳の時に比叡山延暦寺で仏門に入り、それから80年間ひたすら仏道を歩まれました。法然上人門下で受けた念仏の弾圧と越後への流罪、そして常陸の国での布教を経られた後、 60歳以降の京都での晩年生活では息子善鸞を義絶(勘当)すると云う憂き目にも遭われる波乱万丈の一生でありました。

その間、親鸞聖人は何を求められ、何を目指されていたか、それは遺されたご著書やお弟子が書き記した歎異抄や奥方やご親族が書き残した書物から私たちが推測出来ます。その推測の一つが吉本隆明氏の『最後の親鸞』であります。
吉本氏は、親鸞聖人が飢饉や戦火に翻弄され常に死の現実と向き合っていた庶民・農民達の側に立って、彼らの心の拠り所となる仏の教えの有り方、説き方を求めて思索されていたと考えているようです。それは吉本氏自身が常に大衆側に立っ た思想展開に生きられたからであろうと思います。

吉本氏は親鸞聖人と法然上人は師匠と弟子の関係ではあるけれども至った境地は全く異なるとされています。それは私も同感です。
親鸞聖人の最後の境地は、下記の正像末和讃の夢告讃に示されているのではないかと思われます。

        弥陀(みだ)の本願(ほんがん)信(しん)ずべし
        本願(ほんがん)信(しん)ずるひとはみな
        摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にて
        無上覚(むじょうかく)をばさとるなり

これは85歳の時に詠まれた和讃と言われております。長男善鸞を義絶した後の和讃と聞いておりますが、吉本氏の言われる、我々が人生で経験する様々な『不可避(ふかひ)』の出来事をどう受け取るかと云う答えの和讃のように私は思 います。
『弥陀の本願』と云いますと一般の方々は難しいことのように思われるかも知れませんが、私が考える『弥陀の本願』とは、「私をこの世に送り出してくれた力・働き・宇宙の意思・・・」そして、「いずれ、私の肉体を消滅せしめる力・働き・・・」と考えていいと思います。〝いのち〟 そのものと言い変えてもいいと思います。その〝いのち〟に目覚めれること即ちそれがお釈迦様の覚られた境地そのものだと云う親鸞聖人の和讃が上記の夢告讃ではないかと・・・。
その心は、不可避を受け身で受け取って行くのではなく、どんなことでも乗り越えて行くぞと云う積極的な生き方を親鸞聖人は私たちに勧められているのではないかと思います。

私のこれまでの10年間を振り返ってみますと、公私共なる経済危機に遭い、左眼も殆ど視力を失って最も得意であったテニスの腕前を失い、吉本氏と同じく糖尿病とも闘い、失うことばかりの10年間でありました。それに加えて極最近、私の長男が離婚と云う 不可避の出来事がありました。16年間の結婚生活でしたから、高一の男子、中三の女子、小6の女子の三人の子供が有りながらの離婚で、孫達は母親を選択し、私とは姓が変わってしまいました。
この10年間のとどめに三人の孫達をも失ってしまったのですが、長男に新しい素敵なお嫁さんが来てくれ、新しい孫が現れる契機かも知れないと私は前を向いています(それに、三人の孫達もこの春休みに遊びに来て一泊していきました。こ れまでも私の家に来るのを楽しみにしていましたので、これからもゴールデンウィークと夏休み、そして年末にはこれまで通りお泊りで来るに違いありません。そう云う関係であり続けたいと離婚に際しては努力した積りです)。

人間は不可避の出来事に出遇うことで人生を見詰め直し、初めてこの〝いのち〟の真髄に触れ得るのだと思いますが、人間には希望が無くては前向きに生きて行く力が湧きません。私は自分が今取り組んでいる技術開発を成功させて奇跡の復活 を成し遂げ、周りの人々に勇気を与えたい、そして私を支えてくれた仏法を世に問いたいと考えております。その道すがら、遇いたくない不可避の出来事がこれからもあると思いますが、〝いのち〟の真実に触れていく〝いのち〟旅を続けたい と思っております。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1184  2012.04.02
21世紀を救うのはサイエンスではない

全国の高校生が科学の知識やその活用能力をチームで競う「第一回科学の甲子園全国大会」が3月末、西宮市で開かれたそうだ。その大会の応援団長を務めたノーベル化学賞受賞者(2010年)の根岸英一氏がその講演で、 高校生達に以下のメッセージを送ったと云う(神戸新聞より)。

この二日間、みなさんは科学の面白さ、楽しさをあらためて感じただろう。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した(1987年)利根川進先生は、「21世紀を救うのはサイエンスだ」と話されているが、私もそう思う。資源のない日本が世界で存在感を示していくには理工学系分野の充実・強化が欠 かせない。中でも私の専門である化学が重要だと考えている。

日本は少子化が社会問題となっているが、世界的にみると人口が急増している。われわれ人間は主として有機化合物を食べて生きているが、その有機化合物を人工的につくることが出来れば、食糧不足はある程度、解決出来る。 エネルギー問題でも、化学が果たせる役割は大きい。

50年余り研究を続けてきて思うのは、高校の数学、物理や化学などの科学は、すべての基礎になっているということだ。理工系を目指すなら、今の勉強をおろそかにしないでほしい。

自分の得意なことは何か。そしてそれが本当に好きか。この二つがそろった分野に、ぜひ突き進んでもらいたい。
ただ何年かやってだめだと思ったら、若いうちなら方向転換してもいい。何度も繰り返してはだめだが、人生には敗者復活戦がある。新たな道を探り、好きな分野を究めてほしい。

―引用終わり

根岸先生の高校生達へのメッセージ、「自分の得意なことは何か。そしてそれが本当に好きか。この二つがそろった分野に、ぜひ突き進んでもらいたい。」は私も本当にそう思う。これは学問分野を念頭されて発言されたものだ と思うが、スポーツ、芸術、芸能も含めて、出来れば高校卒業までに見付けて欲しいものだと思うが、年老いても、そしてこの世を去るまで、常に今自分が出来る得意なもの、好きなこと、そして周りの人々の役に立ち、喜ばせ 楽しませることを追い求めることが人生の幸せと充実感につながると思う。

根岸先生のメッセージの中にある〝サイエンスが世界を救い日本を救う〟と云う主旨のメッセージと〝有機化合物を人工的につくることが出来れば、食糧不足はある程度、解決出来る〟と云うご発言は、片手落ちだと思う。
たった一年前にサイエンスが原発事故を起こしたばかりである。サイエンスは文化を発展させ、便利さを人類に齎したが、一方でサイエンスの象徴としての核エネルギーは人類に最大の危機を齎している今日、サイエンスだけで は駄目だ、〝いのち〟の掛け替えのない大切さ、つまり宗教的叡智が必要であることも付け加えて欲しかったと思う。

そう云う意味では、根岸先生の「食べ物は有機化合物であるから、人工的に食べ物を作れる化学は、世界の人口急増問題を救えるのではないか」と云う考え方には、私たちの〝いのち〟が他の〝いのち〟の犠牲(恩恵と云うべき か・・・)の上に成り立っていると云う謙虚さが失われているのではないかと、少し残念に思った。
アーノルドトインビーの「サイエンスの無い宗教は盲目だが、宗教の無いサイエンスは狂気だ」と云う主旨の発言をされたようであるが、根岸先生のメッセージを読みながら、この発言を思い出さずには居られなかった。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1183  2012.03.29
最後の親鸞

戦後日本の最大の思想家と云われる吉本隆明氏が約2週間前に亡くなられた。私はその吉本隆明氏をあまり存じ上げなかった。何となく、何処かで聞いた名前だなと云う位でしか有りませんでした。従って、 その著作も読んだことは有りませんでしたが、『最後の親鸞』と云う著書がある事を亡くなられてから知りまして、戦後最大の思想家と云われる方が親鸞の思想・哲学をどのように評論しているかに少し興味 があり、極最近読み始めました。

しかし難解で何を言われているのか分かりません。また、先日のNHK・Eテレでも、吉本隆明氏の最後の講演を紹介する番組があり拝聴しましたが、これまた私には何が仰りたいのかさっぱり分 かりませんでした。最後の講演と云うことで吉本隆明氏ファンの2000人もの人々が集まった講演会でしたので、その方々は理解されたのでしょう。

多分、私の思考回路と吉本隆明氏の思考回路が全く異なるからか、私の語彙不足が原因だと思います。本を読んだり話を聞きながらこれほどイライラしたことは有りませんでしたが、『最後の親鸞』の 中で、一つだけ、印象に残ったことがあります。
それは、「世界はただ不可避の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の『契機』と『業縁』は成立しているようにみえ る」と云う一文です。

人生を『不可避』と捉えると受け身的な考え方になります。つまり、人生を振り返る時には誰しも「この道しかなかったんだ」と云う受け取りになると思います。しかし、これからの人生に関しては、「不可 避だから、これから何が来ても受け取って行くんだ」と云うことにはなかなかなりません。未だ来ぬ未来にはどうしても不安と期待が入り混じった感情があることを否定出来ません。親鸞聖人も不安や期待の 入り混じった感情を抱きつつ、他力本願に任せるしかないと晩年を過ごされたのかも知れません。

難解な吉本隆明氏の『最後の親鸞』、何とか理解したく、最後まで読み切ります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1182  2012.03.26
〝いのち旅〟番外編:(傾聴ボランティア)

〝いのち旅〟は、38億年前、この地球に生命が誕生したところから再開しようと考えております。でも、しばらく時間を頂きたいと思います。
私たち人類の心身は60兆個の細胞から成り立っておりますが、元はと云えば、卵子と精子の各一個ずつの生殖細胞が合体し、それから細胞分裂が始まって、60兆個まで増えるそうです。私たちの皮膚や筋肉、内臓等を構成してい る体細胞は、染色体と云うのを一対(2個)持っているそうですが、生殖細胞は1個の染色体だけだそうです。私たちの細胞は何れは全て死滅する運命にありますが、死ぬからこそ、細胞は子孫と云う形で〝いのち〟は受け継がれて 行くと云うことらしいのですが、そのあたりの理屈が未だ理解出来て居ませんので、〝いのち旅〟を再開出来ないでいます。

さて、表題にある『傾聴ボランティア』と云う耳慣れない言葉ですが、これは昨日のNHK・Eテレ『こころの時代』の中で私も初めて知りました。臨済宗妙心寺派管長の河野大通師がお話の中で仰られた言葉です。河野大通師は 垂水見真会に13回出講されている方ですが、私が大学在学の頃、山田無文老師に雲水として付き従われて我が家にも来られていた事を思い出しながら拝聴しておりました。その話の中で出てきたのが、『傾聴ボランティア』です。 河野大通師は阪神淡路大震災が起きた1995年1月17日、神戸の祥福寺で被災されたそうですが、その日は禅堂では大接心と云う大切な雲水達の修行の期間だったそうで、地震発生の午前5時46分は雲水達相手に講義をしようとして いた頃だそうです。河野大通師は世間に何が起ころうとも禅修行を続けると云う習わしを重要視するかどうかで迷われたそうですが、結論としては被災者の救援こそが坐禅だと考え直し、講義や坐禅の代わりに雲水達を被災ボランティ アに派遣されたそうです。勿論、河野大通師ご自身もお寺の山門が倒壊する被災を受けられたのでありますが、街の避難所に集まっている被災者救済を優先され、河野大通師も雲水達と共にボランティアに励まれたと云うことでした。

仏教には『無財の七施』と云いまして、お金が無くても出来る布施を勧めるのでありますが、『傾聴ボランティア』はその七つの布施には入っていません。でも、「成程、これは非常に大切な、そして誰にでも出来る、否、誰もがし なければならない布施行だ」と思いました。
河野大通師がされた喩え話は、末期がんで後半年の命と宣告されて人に、「人間は誰でもいつか死ぬ、あなただけではない。くよくよせずに今在る命に感謝しなさい」と云うようなお説教や励ましはしてはいけない。「兎に角、胸の 中にある苦しい想いに耳を傾けて、聴くだけでよい、そして一緒に悩むだけでいい」と言われていました。

私たち人間は誰でも悩みを持っています。そしてそれを聞いて貰いたいものです。でも聞く側にまわりますと、それを愚痴として捉えて、窘(たしな)めたり、愚痴は聞きたくないと突っぱねがちであります。私たち夫婦の間でも、 時としてそのような場面があり、私は大いに反省させられましたので、『傾聴ボランティア』と云う言葉が心に響き、夫婦の間でも、お互いの胸の裡の不平・不満・不信、不安を傾聴し合える仲でなければならないな、そしてこれが 夫婦永続きの秘訣かも知れないなと思い、皆さまに披露させて頂いた次第であります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1181  2012.03.22
明るい仏教へ(一切皆苦から一切皆楽へ)

一般の方々に仏教は重苦しく暗いイメージを持たれていると思います。それは、仏教と云えば葬式・法事を思い浮かべるからでありましょう。先日の東日本大震災の3.11にも大勢のお坊さん達が集まり、彼方此方で犠牲者を弔う儀式が見られました。 犠牲者の残念無念な心を思えば弔いをすること自体は人間の自然な気持ちの現れだと思いますが一方で、「仏教は生きている人の為のものであり、亡くなった人の為にあるのではないだろう」と私なぞは、「だから仏教はお釈迦様が目指された、生 きている人々を救う宗教としての役割を果たせないままなのだ」と違和感を覚える時があります。

親鸞聖人も、「親鸞は父母の供養のためとして一度も念仏を称えたことはない」と仰られていたと歎異抄に記されています。親鸞聖人はお釈迦さまと同じく、農民など一般庶民に法を説くことに一生を捧げられ葬式も法事も為されなかったのであり ます。それが今では葬式仏教と云われて久しい状況にあります。だから暗いイメージが定着しているのでありますが、それに加えて、お釈迦様のお考えではないと思うのですが、これも何時の時代からか『一切皆苦(いっさいかいく;この世の全て は苦である)』と云う考え方が仏教の根本であるかのように流布され、『諸行無常』と『諸法無我』と共に仏教の三法印(三つの根本思想)とされて来たからでもあると私は考えています。

勿論『苦』があるから宗教を求めるのでありますが、この苦の原因が〝自分の思う通りにしたい〟と云う煩悩にあるから、この煩悩を何とか退治しなければならないと云う仏教の出発点も人々を重苦しくしているのではないかと私は最近考える ようになりました。
何故そう云う考えになったかと申しますと、法話の席を始め仏教徒の集まりに明るさが無く、むしろ暗い顔ばかりが並んでいるようにしか見えないからであります。

『苦』は、考える脳と云う器官を与えられた人間だからこそ感じられるものだと思います。「こうありたい」と云う理想と現実のギャップが『苦』だと言ってもよいと思います。「こうありたい」と思うのを『煩悩』と捉えるよりも、他の動物には与えられて いない『向上心』から来ているのだと捉える方が前向きで明るい考え方ではないかと思います。
その上で、自分一人で生きている訳では無いし、宇宙・自然を含めたあらゆる存在に依る支えと繋がりがあって始めて生かされていると云うお釈迦様の〝全ては縁に依って起こる〟と云う『縁起の道理』に従って自分の今を捉え、向上心を失うこと なく工夫と努力を続けられるようになりますと、『苦』は『楽』に転換するのではないかと考察しているところであります。

仏教を人生の明るい支えとして生きて行きたいと思う今日この頃であります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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