No.1090  2011.04.18
続―帰命尽十方無碍光如来

少し前のコラムの表題『帰命尽十方無碍光如来』は親鸞聖人が大事にされたお名号であり、この名号は『「何ものにも妨げられずに今私に届いて下さった宇宙の真理・真実は私にとりまして何よりも大切でございます」と云う 確信、確認、感謝、懺悔、慶びが入り混じった表白』であると申しました。

親鸞聖人は、このお名号を拝まれつつ、「なむあみだぶつ」と念仏を称えられていたことは間違いないと私は思っておりますが、そのコラムを書いた数日後に、時折拝見させて頂いているブログ『青色青光』で『宇宙の法則に 従う』と云うコラムの中の「真実の世界からのよびかけが念仏です」、そして「念仏を称えるとは宇宙の法則に従いますということです」と云う念仏に関する説明に眼が止まりました。

そして、私は「『帰命尽十方無碍光如来』に付いて長々しい説明文を書いてしまったが、「宇宙の法則に従います」と簡単にすべきだったなぁー」と、その後に出掛けたウォーキングの道すがら思い返しておりました。
そして直ぐに「ちょっと待てよ、宇宙の法則に従いますと云うと、どこか受け身っぽく、消極的なニュアンスに受け取られかねないなぁー。それに、宇宙の法則に従いますと言っても、この世に起こっていることは全て宇宙の 法則に従って起こっていることばかりではないか。大地震も大津波も宇宙の法則で起きたことだし、自分のこれまでの人生も、自分が今こうしているのも、考えて見れば宇宙の法則に従っての結果ではないか。自分の思い通り にならなかったこともあったけれど、宇宙の法則から外れて起きたことは何一つ有り得なかったと云うのが本当ではないのか・・・自分が宇宙の法則に従いますと思おうと思わないに関わらず、宇宙の法則に従っているではな いか?従わざるを得ないと云うとまた受け身っぽくなるけれど・・・」と堂々巡りにはなりましたが、一つの結論に至りました。

つまり、私たちは「宇宙の法則に従って生活している」と言う考え方ではなく、その執拗な自己愛から「自分中心に世の中が回っているはずだ」と云う誤解の中で常に生活していますから常に不満と不安と不信に苦しんでいま す。その私たちに〝宇宙の法則に従って生かされて生きている事〟を常に思い出させる為に、「宇宙の法則に従います」と云う宣言、或いは『帰命尽十方無碍光如来』の代わりに、簡単な「なむあみだぶつ」と云う念仏が先師 高僧方の智慧工夫に依って用意されていると云うことではないかと考察したところであります。

大地震も大津波も宇宙の法則で起きたことではありますが、だから我慢しようと云うことではありません。それでは仏法の教えではありません。仏法的に考えますと、大地震と大津波に依って建物も車も漁船も流され、多くの 犠牲者を出してしまったのは、私たちが宇宙の法則に従って生きている事をしっかり認識せずに、過去の災害を肝に銘じて適切な対策を取るべきところを怠って来たからであると考え、後世の東北の人々がたとえ再び大津波が 来ようとも二度と同じ被害甚大の苦難に遇わないように人智を尽くそうと云うのが前向きな仏法の教えだと思うのであります。

私たちが宇宙の法則に従って生きている事に気付けば、愚痴に愚痴を重ねることは少なくなりましょうし、過去の経験に素直に学んで積極的前向きに生きて行く姿勢に転換されるのではないかと思います。そう云う想いと、「 宇宙の法則に従います」、「帰命尽十方無碍光如来」を忘れないと云う想いを籠めて、称えやすい「なむあみだぶつ」を口称して生きて行こうと思った次第であります。

帰命尽十方無碍光如来ーなむあみだぶつ


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No.1089  2011.04.14
仏法の出番です!

前回の『仏法どころではない』を裏切りまして、今回は『仏法の出番です!』と思い切りました。
仏法は〝真実〟を見詰める教えだと言ってよいと思います。〝真実〟の中でも〝自己の心の裡(うち)の真実〟と〝その心が表に現れた現実〟を見詰める事を何よりも大切にする教えだと私は多くの先師、先輩から学ばせて頂きながら今日に 至っております。

その教えから申しますと、大地震と大津波に襲われた現実は、〝その心が現れた現実〟ではなく、飽くまでも自然現象であります。私が申します〝その心が現れた現実〟とは、襲われた後の被災された地域、政府与党や野党、企業、マス コミ、その他被災地以外の国民、更には世界の国々の対応振りを含めた人間模様・社会模様(風評被害などを含む)を指しています。そして、その表に現れている現実は、それぞれの心の裡の真実が現れたものである限り、「その心の裡 の真実を見詰める必要がある」、と説くのは多くの教えの中でも仏法だけだと思いますので、私は今こそ『仏法の出番だ!』と言いたいのであります。

それを荒っぽく、また言葉足らずに「我欲に走って来た日本国民への天罰だ」と発言したのが石原都知事では無かったかと思います。

夫々の立場で自己の心の裡を見詰めて頂きたいのでありますが、私は、と申しますと、経済的高度成長期に在って思慮浅く、先々のことを考えずに、ただお金第一主義でゴール(家を買い、電化製品を買い集め、2台も車を並べる裕福な 家)目指して突っ走り、国防や治安を含めた私たち国民の安全安心や、それを維持継続させる最も根幹の教育や日本の伝統文化等の行く末も含めて、全て政治・行政に丸投げし過ぎて来たのではないかと自問自答しているところでありま す(その結果、日本はいつの間にか世界の大債権国家になり、年間自殺者は3万人を超え続け、仕事は中国に奪われ、多くの地方空港で閑古鳥が鳴いています)。

私自身、チェルノブイリの原子力発電所の事故は他人事でありましたし、日本の原子力発電所の危険性を知りませんでした、と言うよりも、原子力発電所が日本の何処に位置して居るかさえ知りませんでしたし、興味すら持って来ません でした。福島県に東京電力の第一・第二発電所が有ることも今回初めて知ったと言う原発音痴でしたから、過去の三陸海岸の津波被害は知っていましたが原発と関連付けることは到底出来ませんでした。

多分、政治・行政に携わる人々も含めて国民の多くは私と同程度に原発に無関心・無知だった方は多いのではないでしょうか。だから今回の原発事故が起きたと思います。

この私たちの全てに亘っての無関心・無知・無自覚・無防備振りを、仏教では『無明(むみょう)』と申します。

『無明』から脱するのが仏教の『悟り』と考えられている向きが多いと思いますが、少なくとも親鸞聖人の仏法は〝我が心の無明を自覚する(他力に依って自覚せしめられる)〟と云うところがポイントではないかと私は思っております。

無明を自覚すれば、他の意見を求めますし、他の意見に耳を貸します。そうでなければ不安になるはずです。また、国を動かす政権与党を含めた国のリーダー達の無明さをも知った限りは、これまでのような丸投げは出来なくなります。

そういう意味で、今こそ〝仏法の出番です!〟と言いたいのであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなんまんだぶつ


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No.1088  2011.04.11
仏法どころではない・・・

「仏法を発信している者が何ということを言うのか」と抵抗を感じられ、首を傾げられ、読者が減るかも知れませんが、この一か月間大震災の報道に接する度に感じて来たことなのです。自分が被災者の方々に直接接することがあった時に掛けるべき言葉 を探していたのですが、正直なところ、見付からないまま今に至っております。

殆どの方が「頑張って下さい」「耐えて下さい」「応援しています」と云う声掛けをされていますが、やはりそれしか無いと思います。そして、自分自身がその立場になった時にも、その日その場で瞬間瞬間に身を委ねて時間の過ぎて行くままに過ごすし かないのだろうとも思っております。そしてその時の一番の救いは、ボランティアとか同じ被災者など周りの人々との人間同士の心の触れ合いに依って、「自分独りでは無いんだな」と云う感覚ではないのかなとも思っております。

私自身のこれまでを振り返った時、一番辛かったのは、周りには一杯の人が居る中で孤独を感じて居た時だったと思います。それは入社後ずっと技術畑で仕事をして居た自分が初めて管理職になった時、それが何故か工場の製造課の管理職であり、上司と も部下とも人間関係が構築されていない中で、リーダーシップが全く発揮出来なかった中での焦りと孤独感だったように今思っております。今冷静に振り返りますと、会社にはトボトボと出て居ましたが、それは完璧に登社拒否の鬱病に罹っていた時期だ ったと思います。一方で、16年前の阪神淡路大震災も、10年前に経営する会社が仕事を失って全従業員を解雇しなければならなくなった時も、その後自宅を差し押さえられそうになり自己破産寸前だった時は人生最大のピンチではあったけれど、「自 分に出来る事を一つ一つやって行くしかない、やろう、やって行こう!」と踏ん張れたことを思い出します。それは、励ましの声掛けや、励ましの言葉を添えて贈り物をしてくれた友人・知人が居てくれ、共に踏ん張ってくれる家族が居てくれたからだっ たと思います。直接的に仏法が私を踏ん張らせたのではなかったと云う気が致します。

米沢先生がある法話の中で「電車の中で尿意をもよおした時は仏法どころではない」「法話の席にある時、自宅が家事になったと連絡を受けたら仏法どころではない」と云われていました。また、西川玄苔師が交通事故に遇って複雑骨折した足の手術を受 けている手術ベッド上で、最初のうちは「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と痛みに堪えられていたが、最後は「痛いいぃっ・・・」しか無かった、念仏はどこか飛んで行ってしまったと仰っていましたが、そういうものだと思います。

そこで色々と考察を続けています。
私は今毎日色々な場面で仏法と会話をしつつ過ごしています、常に仏法が頭にあります。でもそれは余裕のある時で、何かで切羽詰った時とか、思わぬことに出くわした瞬間には、仏法はどこかに飛んで行っているように思います。それじゃー意味ないと云 う事になるかと申しますと、そうではないと思われます。夜一人眠りに就く時には色々な日常生活の問題点や課題が頭を巡ったりしますが、最後は仏法で頭の中がすっきりと整理されて静かに眠りに就いているように思います。
と云う事を考えますと、確かに私の日常生活の場面場面では仏法どころではありません。日常生活の心の拠り処は人と人との心の触れ合いであり、善き人間関係に有ると思いますが、でも、これからも含めて私の人生の拠り処は仏法に有るのではないかと考察 しているところであります。

帰命尽十方無碍光如来ーなんまんだぶつ


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No.1087  2011.04.07
帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)

『帰命尽十方無碍光如来』は、浄土真宗の方では〝十字の名号〟と云われ、〝六字の名号〟『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、なもあみだぶつ、なんまんだぶ)』と〝九字の名号〟『南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい、なもふかしぎこうにょらい)』と共に、大切にされて来たそうであります。 その中で、私のお聞きしたところでは、親鸞聖人は日常的には『帰命尽十方無碍光如来』のお名号が書かれた掛け軸(かどうかは分かりませんが、書き物)を前にされて、「なんまんだぶ」と称えられて居たようであります。それが史実かどうかは私には分かりませんが、私にはそれがある意味では理屈好きな親鸞聖人らしく思われてなりません。

『帰命尽十方無碍光如来』も『南無阿弥陀仏』も『南無不可思議光如来』も語句の意味するところは全く同じではないかと私は考えております。しかし、私はやはり『帰命尽十方無碍光如来』が今の私の心にはピッタシ来ます。それは親鸞聖人が拝まれていた名号だからと云う面も否定出来ませんが、声を出してお名号を称えることにずっと抵抗を感じて来た私の頑(かたく)なな心の壁を突き破って名号が届けられたからです。つまり名号を称えて始めて、仏法と一体になった思いを抱くことが出来たからです。従って「実に無碍光だなぁー」と・・・・。

そこで私なりに学んだ十字の名号の意味を紹介致します。
『帰命(きみょう)』は『南無(なむ)』と一緒で「帰依する」と云う意味ですが、平易な現代語に言い換えますと、「私が人生を生きる上で最も大切にしていることはこのことです」と云う心情を確認する表明だと考えたいです。
『尽十方(じんじっぽう)』は、「宇宙のあらゆる処を余すところ無く」で有り、「どんな人の心の中にまでも、どんな存在にまでも残らずすべてに」と云う意味だと思います。
『無碍光(むげこう)』は訓読みしますと「碍(さまた)げられることの無い光」(碍は礙の俗字)でありまして、意訳しますと〝光〟は〝智慧=宇宙の真理〟ですから〝何にも邪魔されずに届く宇宙の真理=仏様の智慧と慈悲〟と云うところでしょうか。
『如来(にょらい)』は、「宇宙の真理・真実がこの世に顕われ来ったそのもの自体」と解釈致します。
以上をまとめますと、「何ものにも妨げられずに今私に届いて下さった宇宙の真理・真実は私にとりまして何よりも大切でございます」と云う確信、確認、感謝、懺悔、慶びが入り混じった表白が十字の名号『帰命尽十方無碍光如来』だと思っております。

そして、この十字の名号は親鸞聖人の正信偈(しょうしんげ)の冒頭、『帰命無量寿如来、南無不可思議光』と同体のもので、親鸞聖人は『帰命尽十方無碍光如来』と云う名号を心の中に描きながら、正信偈を詠い始められたのではないかと思っているところであります。

理屈っぽいコラムにお付き合い下さり有難うございました。 私も親鸞聖人のお心をそのまま頂戴致しまして、これからも『帰命尽十方無碍光如来』を心に描きながら「なんまんだぶつ」と名号を称えたいと思っております。

帰命尽十方無碍光如来ーなんまんだぶつ


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No.1086  2011.04.04
親鸞仏法の救いとは?

前回のコラムで〝闇から光へ向かう為には〟自分中心の考え方を転換することだと申しました。
人は「私は何時もいつも自分中心に考えている訳では無い、だから義援金も出すし、ボランティアにも駆けつけます」とおっしゃるかも知れませんが、しかし、その心の奥底に、「あの人があれだけ寄付するなら自分だってしないと心が落ち着かない」と云う やはり自分の立場を考えている心(人から善い人物と見て貰いたい、或いは自分の心を落ち着かせたいと云う心)が有りはしないでしょうか。もし純粋に被災者の立場に立つなら、悲しみの涙は尽きませんし、のんびりと家で大津波で瓦礫の山と化した被災地 や避難所の様子を報じるテレビを見ている訳にはゆかないと思います。
つまり、自分中心の考え方を転換することは私たちにとりまして容易ならざることではないかと問い直したいのであります。

親鸞聖人は多分、その我が心の奥底に潜む何とも消すに消し切れない〝自己中心の心〟と対峙し続けられたのだと思います。その証拠に親鸞聖人は(42歳の頃のことだそうですが)、越後から関東に移られる旅の途中、飢饉に苦しむ農民の現実を目にされて 、「世の中の平穏を願う仏法者の私が何もしないと云う訳にはゆかない、何か自分に出来ることをしなければ・・・」と、自問自答し思案された末のことだと思いますが、浄土三部経を千回読む事を決心されたそうです。そして実際に始められたそうですが 、4、5日で止められたことを奥様の恵信尼公が日記に書き残されています。親鸞聖人は他力本願の教えを地方の人々に説こうとしている自分自身がついつい自力に頼ってしまった事に気付かれたからだったとされていますが、自分の心の中の自己中心の心に も気付かれたからではなかったのかと私は推察しております。

ある浄土真宗のお寺のご住職が今回の大震災に寄せて、『お念仏とは、苦しんでいる人を救うために阿弥陀如来が涙しながら「我にまかせ、必ず救う」「決して見捨てない、私があなたの生きる力となる」と叫んでいるよび声です。阿弥陀如来は「わが名を 称えて生きておくれ、我が名を生きる支えとして生きておくれ」といつもよび続けていられます。私たちがお念仏を称えることは「阿弥陀さま、いつもありがとうございます」と応えていくことです。』と仰せになられていますが、私がひねくれ者だからだと は思いますが、その説法をお聞きして、私に阿弥陀如来のそんな声が直ちに聞こえて来る訳ではありませんし、私自身が震災に遭遇した場合に、とても「阿弥陀さま、いつもありがとうございます」と思ってお念仏を称えることは出来ないと思ってしまいまし た。

「素直な心になって、ただ念仏を称えればよいのだ」と、浄土真宗のお坊さま方のご法話で度々お聞きしますが、現時点では私にその素直な心は無さそうでございます。親鸞聖人も多分、晩年を迎えられてからもその素直でない心と闘われたのではないかと 思います。そうでなければ私はこんなに親鸞聖人に(親近感を持って)惹きつけられないと思うのです。常に平常心を保ち、全てを阿弥陀如来にお任せし、安心し切って穏やかに「なむあみだぶつ、なむあみだふつ」とお念仏を称える親鸞聖人のお姿を思い浮 かべることは私にはとても出来ないですし、これからもそのようなことにはならないと思われます。

ただ、私は今回の大震災に思ったことは、大震災も大津波も阿弥陀如来が私たち日本人に何かを突き付けたとか、勿論天罰を与えたのではない、ただ地球の内部で起きた変化が地上に大変化を齎(もたら)せた飽くまでも自然現象であり、千年に一回と云うな ら、人類がこの地球上に姿を現したのが例えば700万年前とするならば、このような大地震・大津波を人類は7000回も経験して来た自然現象なのだと思い至り、自然災害は人類がどうすることも出来ない、受けざるを得ない事なのだと思いました。
つまり、今回の大震災にしても、数年前に映像で見たスマトラ沖の大地震と大津波も宇宙の一隅に存在している人類がどうすることも出来ない、宇宙の働き(他力と言っても良いでしょうか)そのものだと思った次第でございますが、もう一つ、私も自分が生 まれたくて今この地球上に有るのではなく、宇宙の働きに依ってこの地球上に生まれさせられた身である限り、私の都合に合わせて物事が進む訳でもない、この私の心に棲む自己中心の煩悩も、私の思うように退治出来るはずが無いとも考察した次第でありま す。

そのように親鸞聖人の他力本願の教えを考察しています時、以前にもご紹介させて頂いた京都紫雲寺の釈晃空師の法話『聞法ー自分を聞く』の中にある下記のお話に出遇い、 腑に落ちた思いが致しました。

『今回の大震災が、私たちに問いかけている本当の問題は何か、見えてきませんか。新たな地震対策やネットワーク作りも大切ですが、それは社会の問題です。
 そうではなくて、私たち一人一人に問われている問題は何か。それはです、「いつ終わっても大丈夫という生き方をしているか」ということではないでしょうかね。
「いつ死んでも大丈夫」ということは、とりもなおさず、「いつまで生きていても大丈夫」ということなのです。子規は禅宗の人でしたから、この境地を「悟り」と言っていますが、真宗の言葉で言えば、「安心(あんじん)です。
 「いかなる場合にも平気で生きている」というのは、何も感じないということではありません。そうではなくて、悲しいときには悲しいままに、苦しいときには苦しいままに、生きていけるということ。悲しいことがあっても、苦しいことがあっても、それ に潰(つぶ)されずに生きていけるということです。』 ―引用終わり

釈晃空師は、35歳で脊椎カリエスで亡くなった明治の歌人、正岡子規が亡くなる少し前の日記に書いた「余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りと いうことはいかなる場合にも平気で生きていることであった」(『病床六尺』)と云う言葉を引用された上で、上述のお話をされているのでありますが、〝平気で生きて行くこと〟は私には出来そうにありませんが、生きて行く中で色んな事や様々な場面や自 然現象に出遇いながら、その時々に感じる痛みは痛みのままに、悲しみは悲しみのままに、無念な折りには悔し涙のままに、苦しみは苦しみのままに、嬉しいことはそのまま喜び、絶頂の幸せはその倖せ感を味わい、そしてそれらの気持ちや感情が消えて行く ときは消えて行くままに受け取ることが、この私の命そのものなんだと納得した瞬間がありました。そして、ひょっとしたらそれが自分中心の心を転換した瞬間であり、闇から光に赴き始めた瞬間なのかも知れないと考察した次第であります。

親鸞聖人が救われた世界とは、そう云う色々な目に遇う私たちに寄り添い、私たちが苦しみ悩んでいる時には我がことのように胸を痛め、そして、「何事もお任せだ」と私たちの心が晴れわたった時には我がことのように喜び微笑む仏様としか言えない確かな 見守りを感じた時に思わず口に出来る「なむあみだぶつ」と云う言葉がある世界ではなかったかと思うのであります。
そして、親鸞聖人が『帰命尽十方無碍光如来』のお名号を前にして「なむあみだふつ、なむあみだふつ」とお念仏を称えられたそのお心は、光を碍(さまた)げる分厚い雲を突き破って漸く私に至り届いた阿弥陀如来の本願を慶ばれたものだったに違いないと 推察しているところでもあります。

合掌ーなむあみだぶつ


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No.1085  2011.03.31
闇から光に向かう為には・・・

前回のコラムで「一人一人が心して闇から光への歩みを進めていきたいものである」と云う青山俊董尼のお言葉を引用させて頂いて、私は「変えてゆくことができることを宗(むね)として、災難を天罰だと固定的に考えず、苦しみから私が救われるのではなく、苦しみが私を救うと心を転換せしめて、是非とも闇から光に変わっていきたいものです。」と結ばせて頂きましたが、誰しも闇から光へ向かいたいはずです。 そこで、「闇から光へ歩みを進める為には、現実的且つ具体的に私はどうすればよいのでしょうか?」と云うお尋ねがありはしないかと、前回の月曜コラムをアップした後に思いまして今日のコラムとなりました。

私は今から11年前の2000年7月(脱サラ起業して10年目)に、会社の売り上げの90%を占める得意先企業から、その仕事が全部無くなる可能性が高い由の通告(と言ってよいでしょう)を受けました(中国への事業移管と云うことが理由でありましたから、製造業の空洞化が叫ばれていただけに、可能性ではなく、間違いなく起きることとして深刻に受け止めました)。 直ぐにでは無いにしても、それが現実のものとなりますと、当時勤務していた従業員約30名の仕事は無くなり、会社も借金はありましてもいざと云う時の蓄えもありませんでしたから、今思い起こしますと間違いなく倒産するしかない事態でありました。

そして事実、2年後には全従業員を解雇し賃貸工場から退去し、今は社長の私一人ではありますが、今も株式会社の看板を下ろさずに来ているのでありますが、何故、どうしてどのようにしたから今が有るのかを私自身が直ぐには説明出来ないと云うのが正直なところなのであります。 2000年7月の時点では、まさに会社を飲み込む大津波が遠くはあるけれども眼には見えたと云う状況ではなかったかと思い起こしております。

私はその時には「闇から光に向かおう!」と云う言葉も知りませんでした。でも、その時に心したことは、「従業員には包み隠さず事態を知らせる」、「直ぐに生産中止すると伝えたら、逆に客先の方が困るはずだから、強気で交渉しよう!」の二点でしたが、その心は、「現実から逃げずに、立ち向かうしか道は無い。会社が生き残るかどうかは、社会がこの会社を必要とすれば残るし、どのように足掻(あが)いても必要が無ければ消えるしか無いのだ」「どんな可能性が低くても、やれることは全部やって見よう!」でした。まぁー、言い換えれば、〝腹を据えた。もう怖いものは無い〟と云ったところだったかも知れません。

今も未だその闘い(会社の倒産と自己破産からの回避)は続いているのですが、当時の覚悟を仏法的な表現で、振り返ると致しましたら、『一行に遇うて一行を修す』、『縁に任せる』となるのだと思います。つまり、「出遇った事がたとえ辛いことでも真正面から受け止めて、これを機会にしか学べない事を学んでやろう」と云うことと、「結果は自分一人の力で左右出来るものではないから、出た結果をそのまま受け容れるしか無い」と云うことだと思います。

そして、「闇から光へと赴く」と云うことは、「不幸から幸せに向かう」ことではなく、『自分中心』の見方・考え方から、『この世は自分中心に回っていない、一人は皆の為に、皆は一人の為に有る』と云う見方・考え方に転換することではないかと思う次第であります。

合掌ー帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)

追記:
私は、今回のコラムを書いているうちに、青山俊董尼が紹介されたお釈迦様が語られた『闇と光』の意味が、人間が自分勝手に思う『不幸と幸せ』ではないことに気付かされました。そして闇とは「私が気付いていない我が自我・無明煩悩に振り回されている境涯」を云い、『光』とは、「その闇が他力に依って破られた、親鸞聖人が至られた自然法爾の 境涯」のことなのだと気付かされました。
「帰命尽十方無碍光如来」と合掌するしかございませんでした。


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No.1084  2011.03.28
東日本大震災に関する天罰発言と天恵発言

石原東京都知事の『天罰発言』がマスコミを騒がせましたが、今度は大震災を〝天の恵み〟だとするとんでもない『天恵発言』が新聞紙上に踊りました。 その発言は大阪府議会議長が東日本大震災について「大阪にとって天の恵みと言うと言葉が悪いが、本当に地震が起こって良かった」とコメントしたものです。何故そんな発言をしたかと言えば、議長は、橋下大阪府知事が掲げる「大阪府庁の旧WTCビルへ の全面移転」に反対していて、「旧WTCも今回の大震災で被害を受けたので、知事の主張が間違っていることを示したかった」からだそうです。そして、最終的には「あれは言うべき言葉ではなかった。ただ、話の前後のいきさつでつい出てしまった。反省 しております」と謝罪したようですが、さすがの自民党も府議選での氏の公認を取り消さざるを得ませんでした。

私は石原都知事の『天罰発言』に付きましてブログ【世辞雑感】で「この度の大震災はお金お金と走り回る風潮の日本と我欲の日本人への天罰だと捉えて方向転換しないといけない」と 云う意味が籠められていたと解釈していると致しましたが、それに比べますと、大阪府議会議長の『天恵発言』は余りにも低次元、余りにも単純思考から発せられたものであり、こんな人物が議長に上り詰める大阪府議会の質を疑わざるを得なかったので ありますが、今日のコラムで私が言いたいのはそう云う事ではありません。

前回の月曜コラムで私はこの度の大震災に対しては瀬戸内寂聴師のコラムを引用させて頂きながら仏法の説く無常に付いて考察させて頂きましたが、無常だけでは私たちを必ずしも前向きに導いてくれないかも知れない。震災の被災者に力を与えること にはならないと、もっと気の利いた力付けられる言葉はないかと、例えば青山俊董尼ならどう語られるだろうか、故井上善右衛門先生ならどう受け止められて何を語られるであろうか、故山田無文老師ならどう諭されるであろうかと思索を凝らしていまし た時の『天罰と天恵』と云う熟語は私に大きなヒントを与えてくれました。

私たちは誰でも、善人だろうと極悪人であろうと、知恵者であろうと愚者であろうと、聖者であろうと罪深い私たちであろうと平等に苦難も災難も訪れるものであります。しかし、同じ苦難・災難に出遇っても、その苦難・災難を受けた人自身の生き方・考 え方に依って天罰にもなるし、天恵にもなると云うのが仏法の考え方だと思うのであります。逆に宝くじに当たったり、思わぬことから有名人になって絶頂の幸せに出遇っても、生き方・考え方を間違って不幸のどん底に落ちた人は幾らでも居るではない かと思うのであります。

青山俊董尼がお釈迦様の言葉として紹介されている、『あなたに贈るーことばの花束』の一文を引用させて頂き、被災者の方々、そして同じ日本丸に乗る私たちのこれから生きる上での励ましの言葉としたいと思います。

      この世の中には四種類の人々がある。
      闇より闇に赴く人々、闇より光に赴く人たち、
      光より闇に赴くひとたち、光より光に赴くものがそれである。   【増阿含経】

これは釈尊が、祇園精舎を訪れたコーサラ国王に語られた言葉である。この言葉か
ら二つのことを学んでおきたい。
 一つは、生まれとか育った環境とか能力とかいう「授かり」としかいえないことに対
しても、動かしがたいもの、固定的なものとして受け止めず、そこにあらゆる可能性を
認めてゆこうとする柔軟さである。
 つまり「変えてゆくことができる」というのである。
二つ目は、その可能性を実現する主人公は、親でも兄弟でもない、私自身の今日只今
の生き方にかかっているということである。
二十一世紀の初春にあたり、一人一人が心して闇から光への歩みを進めていきたいも
のと思う。

―引用終わり 引用文は、青山俊董尼が2000年の初春に著作されたものと思われますが、締めくくりのお言葉を「今回の大震災に負けることなく、被災された方々のみならず、日本国民の一人一人が心して闇から光への歩みを進めていきたいものと思う。」と言い換えさせて頂きたいと思います。

そして、この世は「そのまま常にあること無し」でありますから、私たちが何もしなくても変わっては行きますが、是非とも闇から光に変わっていきたいものです。否、「変えてゆくことができる」ことを宗(むね)として、災難を天罰だと固定的に考えず、「苦しみから私が救われるのではなく、苦しみが私を救う」と心を転換せしめて、学びつつ懸命に生きたいものであります。

私も昨年の11月から4度の緑内障手術を受けました(入院総日数は33日間、総手術時間は5時間40分、支払総治療費用は約100万円)。手術前から既に視野を殆ど失っていますが、手術で良くなることはなく、視神経損傷の進行速度を抑制する為と云う決して前向きの希望の有る手術ではなく、手術前には出来ていた私の最も得意とするテニスも出来ない眼になってしまいましたので、担当医の知識経験技量を疑い恨めしい心境になることもありましたが、片目が未だ見えることも支えとして、全てを折角の経験として、経験から何でも学んでいこうと、あらためて仏法に考え方を学んだ次第であります。

合掌ーなむあみだぶつ


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No.1083  2011.03.24
東日本大震災を考えるー無常について

昨日の神戸新聞に漸く仏教関係者の大震災に対するコメントが掲載されました。その人は一般の方々の間でその法話が人気となっている瀬戸内寂聴尼です。ご自分から寄稿されたところが素晴らしいですね。「同じ状態はつづかない」と云う見出しの寄稿文であります。

その中で、「無常とは、同じ状態がつづかないこと、私は法話のたび、話してきました。その通りです。今、生き地獄のどん底の状態の日本も東北の被災地の方々も、このどん底から、気が付けば、変化していたと気が付く日が必ず訪れるはずです。」と被災者を励まされています。

そして更に、今は背骨の圧迫骨折で動けないと云うことでありますが、今年89歳になられるご高齢にして、「私は体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。待っていて下さい」と行動されることを約束して寄稿を結んでいらっしゃいます。見習いたいものであります。

無常につきまして付け加えておきたいと思います。『無常』と云う言葉には何か暗さがあります。多分、平家物語冒頭の『祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり』から来ているのだと思われますが、『無常』は「常であること無し」でありますから、無常だから私たちは生まれて来たし、無常だから死んで行きます。無常だから地震が起き、無常だから復興もして行きます。阪神淡路大震災で様変わりした神戸の街も、16年経った今良い意味でまた様変わりしました。そしてこれからも無常だから変わり続けるに違いありません。

人生を振り返れば全てが変化して来たことを実感出来るのでありますが、この度の地震が引き起こした大津波に依って瞬間的大変化を蒙った時は、なかなか直ぐには前途に希望を抱けないものであることも確かだと思いますし、無常と云うことは話を聞けば「そうそう」と理解し共感出来ますが、私たち日常生活の中で常に無常を意識して災害や事故、病気に備えておくことは現実的には無理なことだと思います。それは多分、人間と云うものが無常な存在だから常には無常を感じることが出来ない頭の構造になっているのだと思います。

と云うことは、眼の前に現れた現実から逃げずに前向きに受け止めて、「よし、負けてたまるか!」と気合を入れて立ち向かうしかないのだと思います。被災者の方々のインタビューを聞いていますと、殆どの方が「元気にしているから心配しないで!」と、インタビューを聞くかも知れない親族・知人・友人に心配を掛けたくないと云う想いをコメントされています。元気なはずは無いし、不安で心配な状況にあるにも拘わらず、です。状況を受け容れられつつあるのだと、ある意味人間の強さに感動を覚えずには居られません。

道元禅師のお言葉に『一行に遇うて一行を修す』があります。それを青山俊董尼が次のように解説されています。
『北海道の浄土真宗のお寺の奥様であるところの鈴木章子(あやこ)さんは、乳癌が転移し、肺癌となり、47歳で亡くなられた。
章子さんの詩に、「癌は、私の見直し人生の、ヨーイドンの癌でした。私今出発します」というのがある。
章子さんは言う。〝人生はやり直しは出来ないが見直し、出直すことは出来る〟と。
健康であったばかりに次々と仕事にふりまわされ、心も足も宙に浮いたような年月を送ってしまったが、癌のおかげで、立ち止まり、見直し、少しでも深い生き方へと軌道修正することができたというのである。
逃げず追わずぐずらず、たとえば病気をもこのように受け止める生き方を、道元禅師は「一行に遇うて一行を修す」とおっしゃったのである。』

合掌ーなむあみだぶつ

追記
前回のコラムを読んだらしい娘が旦那の年収の千分の一を役所の義援金受付函に寄付したと云う。長男(6歳)は貯金箱に溜めこんだ100%の五百数円を、長女(4歳)は同じく二百数円をママに倣って寄付したと云う。
じじちゃんの想いに賛同してくれた教育ママを誇らしく思ったことである。


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No.1082  2011.03.21
東日本大震災を観る眼と心は・・・

3月11日に発生した東日本大震災、それから一週間は国民の多くが被害状況を報道するテレビに釘付けになったのではないでしょうか。私も無情な大津波に芋の子を洗うように流される自動車、家屋、漁船を見てこの世の出来事とは思えない位にショックを受けながら見ていました。また、放射能汚染が危惧される福島第一原発事故に関する官房長官や東電の記者会見も食入るように見ました。

私はテレビを見ながら、やがて私はテレビ報道を見る自分の心を観ました。悲惨な状況に巻き込まれる人々の身になって嘆き悲しむ心も確かにありますし、津波にさらわれて行方不明になった子を探し回る被災者の姿やインタビューを聞きながら思わず涙が溢れてまう自分も居ますが、何処かに、否、半分は野次馬根性でテレビを見入っている自分ではないのかと・・・。他人の苦しみ悲しみを痛ましく思っているのではなく、自分がその立場になった時の恐怖を思いながら、第三者的意識で見ているのではないかと・・・。大震災、大津波に遭遇している人を本当に痛ましく思うなら、とても見ては居られないはずだと・・・。

そして、親鸞聖人の和讃を思い出していました。かなり前のコラム(NO.926)で紹介している『小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずば 苦海をいかでかわたるべき』と云う和讃です。「如来の大悲どころか、小慈小悲すらもない私であるから、衆生を救うという利他教化の働きともなれば、それはまったく思いもよらないことである。それ故に、如来の本願の船がなかったならば、わたくしごときものは、どうして生死流転の苦海を越え渡って、さとりの彼岸に達することができようか」と云う親鸞聖人ご自身の心を見詰められた和讃ですが、震災報道を見る私に震災の被災者を思う気持ちがあれば、直ぐにでも飛んでいくはずではないか、暖房の効いた部屋でテレビを見ては居られないのではないか、苦難に遭っている他人をほんの少しでも思いやる心さえも持ち合わせていないのではないかと・・・。親鸞聖人が小慈小悲も無いご自分の痛ましさを詠まれた和讃だったんだと改めて読み返した次第でありました。

しばらくして、プロ野球日本ハム球団のダルビッシュ投手(仙台の東北高校卒)が義援金5000万円を寄付したと云うニュースが目に飛び込んできました。彼は自身の年収の十分の一を寄付したと云うことでした。私はこれまで震災に義援金を寄付したことは一度もありませんでしたが、高校時代、喫煙を責められたこともある彼が今や投球術の上で日本球界のエースに成長しただけでなく、高校卒業してからたった6年で一人の人間としても球界を代表するまでに成長したことにいたく刺激を受けました。千年に一回位しか起こらない大地震・大津波に襲われて避難所で不便な目に遇い、先行きの生活不安に怯える人々と直ぐ隣に居合わせる日本人として、ささやかではあっても、自分が今出来ることをしなければならないのではないかと思いました。

経営する会社と個人を合わせると普通なら卒倒する程の借金を抱えている身でありますから、他の人々に寄付するよりも、先ずは借金を少しでも返済するべきではないかと云う想いもあって、これまで義援金寄付に踏み切るには躊躇して参りましたが、今こうして自分があるのは、お金を借りれていることも含めて、東北・関東の人々も含めて日本社会全体のお蔭であることに気付き、日本社会へのささやかな感謝の気持ちも込めて出来る範囲の義援金を寄付しようと考えました。日本が900兆円を超える債権国でありながら、発展途上国への開発援助金を出したり、他国の被災に見舞金や人命救助に自衛隊等を派遣することも私の背中を押し、妻も賛成してくれました。 さて、義援金は幾らにするか、かなり考えました。年収5億円のダルビッシュが十分の一。同じ十分の一はダルビッシュよりもはるか小さい金額ではあるけれど、とても負担が重い、年収が小さくなるほど、分数の分母は大きくてよいのではないか・・・。しかし、1000円では自分自身の気も済まないと云う事で、結論は、私と妻の年収を合計した千分の一の金額を日本赤十字社経由で義援金を送りました。

後にイチロー選手が1億円を寄付したことを知りました。34億円のイチロー選手なら、数億円でもいいのではないかと思う人も居るかも知れませんが、どんなに金持ちでも、支払うべき相手は沢山あり、色々と心の中で葛藤した挙句の1億円は大変な金額だと思います。

今回私が寄付させて頂いた金額は実にささやかですが、私にとって年収の千分の一はかなり頑張った金額であります。さわやかな気持ちになったとは言えませんが、テレビを観る心は少し軽やかになった気がしている次第であります。

合掌ーなむあみだふつ

追記:
このコラムを校正してくれた妻が、今回のコラムを読んでいて、以下に引用する詩を思い出したと申しました。この詩はかなり前のコラム『五十歩百歩』に引用した事があるものです。関本理恵さんと言う方が18歳の時に、自分の心の中に観た野次馬根性を内省しつつ強烈に自己批判した詩であり、妻は強烈な印象を持っていたようであります。

       一番好きなもの

        私は高速道路が好きです
        私はスモッグで汚れた風が好きです
        私は魚の死んでいる海が好きです
        私はごみでいっぱいの街が好きです
        殺人、詐欺(さぎ)、自動車事故が好き
        そして、何より好きなものは
        多数の人が
        涙を流す
        血を流す
        戦争が大好きです
        飢えと
        寒さの中で
        戦って死んでいく姿を見ると
        背中がぞくぞくするほど
        楽しくなります
        毎日毎日
        大人が
        子どもが
        生まれたばかりの赤ん坊が
        次から次へと
        死んでいるかと思うと
        歴史を歴史と感じ
        過去を過去として思う
        無感情な
        時の流れに、自分自身に
        たまらなく喜びを感じます

        こんな私を助けて下さい
        誰か助けて下さい
        たった一粒でもいいのです
        こんな私に
        涙というものを与えてください
        たった一瞬でいいのです
        こんな私に
        尊さというものを与えてください
        私の名前は
        人間といいます

  いかがですか。これは自分自身を見つめた人の詩です。私たちは、おそらく、「好き」という言葉に抵抗を感じるのではないかと思いますが、それは、自分を知らないからです。
  よく考えてみてくださいね。私たちは、殺人であれ、詐欺であれ、自動車事故であれ、新聞で読み、ニュースで聞き、ワイドショーで見て、週刊誌で読む。嫌いだったら、そんなことしないでしょう。違いますかね。
  世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだとき、あのシーンを何度見ました。あのシーンを見ながらワクワクしていた人や、心の中で「もっとやれ!」と叫んだ人も、少なくないでしょう。イラク戦争の生中継を、お茶の間のテレビの前に、釘付けになって見ていたのではないでしょうか。
  「好きで見ているわけではない、関心があるだけだ」とおっしゃるのなら、どのような関心なのでしょうか。私たちには、自分自身や家族に関わりがない限り、殺人事件であれタレントの結婚式であれ、たいした違いはないのではないでしょうか。


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No.1081  2011.03.17
続ー東日本大震災に思う

あらためまして、この度の大震災の被害及び何らかの影響を受けておられる方々にお見舞いを申し上げます。
『世辞雑感』に〝震災は天罰ではない〟と云う一文を書き、天罰発言した東京都の石原知事の仏教観に異議を申立てましたが、石原氏が現在の日本を憂えてその因を日本人の『我欲(がよく)』に有ると見定めた故の今回の発言であろうと思うのであります。そして言葉足らずであったと石原知事は陳謝されたのでありますが、批判した記者達に仏法の教えの出発点である人間の『我欲(がよく)』と云う熟語の歴史的な深い意味が分かるはずもありません。 石原氏の陳謝は石原氏の真意を汲むことが出来るはずもない記者達の批判に形式上陳謝しただけのことだと私は思っております。

この頃は、宗教家が色々な大事件大事故そして大きな犠牲を齎す自然災害に関しての発言が報道されません。それは宗教家達が発言をしていないからなのか、マスコミが欲しがるセンセーショナルな発言が無いから報道されないのか、いずれなのか分かりませんが、宗教に人生を渡る上での智慧を求めている私と致しましては、中でも仏法者のコメントが見当たらないのがいつも残念で仕方がございません。 仏法は山の中で暮らす修行者達だけのために有るのではありません。仏法は、親鸞聖人がその為にご苦労された、むしろ私たち一般庶民の苦しみ苦悩、悲しみ、挫折感を乗り越える力となる為に有ると私は考えております。
私は公認の仏法者ではありませんが、このような時にこそ進むべき道を仏法に耳を澄まして聞き求め、そしてそれを無相庵コラムを通して発信し、私の考え方の正否はともかくとして、私の受け止め方を種として皆様ご自身がこれだと云う前向きの考え方をお持ち頂ければ何よりの幸いであり、それが私の使命だと考えております。

私は世辞雑感で、「震災は天罰ではない」と申しております。仏法的な表現をしますと『正受(しょうじゅ)』と云うことだろうと思います。人生を渡る上で仏法的に正しい姿勢は、訓読み通りに全てを「正しく受けよう」と云うことになるのだと思います。
そのことに付きまして、鈴木大拙師が『金剛経の禅』と言う講演のなかで、次のように仏法の智慧を語られています。

六祖【禅宗の開祖達磨大師から数えて6代目の慧能と云う方;(638-713)】の時代に、無念ということが強く主張せられた。六祖は「無念を宗(むね)となす」と言っている。達磨時代には、無念よりも無心が使われていたようである。しかし無心も無念も同じ意味である。この無心の無念が体得せられた時に、仏教はことごとく解るのである。無心または無念または一念、これを正念とも言うのである。それでよく「正念相続」ということがある。絶対の現在そのものの働くところを踏みすべらないようにする、これが正念相続の意味である。それは直線的に過去や未来が上がったり下がったりすることでなしに、周辺に妨げられない一円相の中で、いたるところに中心を据えているという自覚である。哲学者は、これを絶対の現在の自己限定であると言うが、これは論理的な表現で、仏教のほうでは「三昧(サマーディー;ざんまい、さんまい)」である。 「三昧」というのは梵語の音訳で、その意味は「正受」である。「正しく受ける」ということは、無念、すなわち一念、すなわち正念に住することである。花を見れば花と観る。山を見れば山と観る。鴉(からす)が啼けば鴉と聞く。これが「正に受ける」、「三昧」である。

―引用終わり

少し難しい文章ですが、『事実をそのままに受け取る。先入観とか邪推とか妄念を無くして、事実そのままを観る。』と云うことだと思います。震災を天罰に観るのは余計なことであります。ただ、震災をそのまま受け容れることだと言われましても、 いざ自分がその立場に立てばなかなか出来ないことではあります。私たちはちょっと体調を崩すと癌とか重い病気を心配して精神的に病んでしまいますが、現状をそのまま受け容れてベッドに静かに横たわっていればよいのだと云うことでありますが、 なかなか出来ないものであります。でも自分が震災に遭遇した時は平常生活に戻る為に努力するしかありませんし、他の人々が震災に遭ったら、天罰とか言わずに立ち直れるように出来る限りの手助けをするだけだと云うのが仏法の立場ではないかと思います。

私たちの神戸が大震災に遭遇したのはもう16年前のことであります。今では殆ど復興を遂げたと言える状況ですが、全国の人々からの支援を受けながら、皆の努力があって立ち直れたのだと思います。私の家は大きく揺れまして、家の中は足の踏み場も無い位に散乱しましたし、ライフラインも一時ストップしましたが、家が半壊した須磨区の友人の5人家族を10日間、お世話させて頂きました。明石で操業していた私の工場に大きなバケツがありましたので、友人知人宅に水を運び届けることも致しました。 振り返れば夢のような出来事ですが、皆、その時はその事態を受け容れて懸命に助け合いながら、また全国からの支援も有って、今日を迎えているのだと思います。結果的にはその事態をそのまま受け入れるしかなかったからだと思いますが、一旦覚悟を決めれば雄々しく前に進むことが出来る能力を私たち人間には与えられているのだと思います。

正しく受け取ることは、私たちの生活の色々な場面で必要なことだなぁーとあらためて学ばされている思いが致します。 今回の東日本大震災に対しましても、皆様と出来る限りの事をしたいものであります。

合掌ーなむあみだぶつ


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