No.1060  2010.12.16
煩悩即菩提と不断煩悩得涅槃

仏法の教えで一般の人々に誤解されているのではないかと思われるのが煩悩の見方考え方ではなかろうかと思います。
その誤解の一つ目は、仏法に求める安らかな境地、つまり悟りの境地は煩悩を滅しなくては到達出来ないものであると云うものです。そして、「そうではないのだよ」と説いているのが表題の『煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)と不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)』でありましょう。 『煩悩即菩提』は、勿論、煩悩=菩提(悟り)と云う意味ではなく、敢えて記号で示すならば煩悩⇒菩提となりましょう。現代意訳しますと「煩悩が転じて菩提に至る」或いは「煩悩があるからこそ菩提を求め、そうして菩提に至ることが出来る」と云うことではないかと思います。

『不断煩悩得涅槃』は、親鸞聖人が正信偈(しょうしんげ)で語られているお言葉ですが、殆ど『煩悩即菩提』と同じ意味合いだと思います。訓読みしますと、「煩悩を断ち切ることなくして、涅槃(安心―あんじん;禅の悟りに相当する)を得る」となりますが、親鸞聖人は「煩悩があるからこそ、仏との出遇いがあり、仏の光に照らされて我が煩悩に気付かされる。煩悩が私と仏とを結び付けてくれる赤い糸だ」と考えて居られたのだと思われます。

原始仏教では、煩悩を吹き消して悟りを開くのだと云う考え方であったと思いますが、仏法は出家僧侶のみが救われるものではなく、一般庶民である私たち在家こそが救われるものであると云う大乗仏教に進化した結果として、『煩悩即菩提・不断煩悩得涅槃』と云う考え方になったものだと思います。

でも、その考え方から誤解の二つ目が生まれました。浄土真宗には『本願ぼこり』と云う言葉がございまして、「阿弥陀仏の本願に依って救われると信じた者は、煩悩のまま行動しても、阿弥陀仏は見捨てることなく救って下さるのだ。だから、煩悩を気にすることなく、自由に振る舞えばよいのだ。」と云う考え方であります。

煩悩は人間として生まれ、生きている限りは決して捨て切ることが出来ないものであり、そして扱いを間違えますと他の人を傷付け、自らをも傷付ける厄介で厭うべきものであることも事実であります。決して無節操に肯定すべきものではないことを忘れてはならないと思います。

あらゆる煩悩を抱えている我が身(親鸞聖人は煩悩具足の私と言われました)が大きな恵みに依って生かされて生きている事に気付かされて感謝するところに、はじめて不断煩悩得涅槃と云う言葉が噛みしめられるのではないかと思います。

合掌ーなむあみだぶつ


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No.1059  2010.12.13
色んな目に遇う

昔、西川玄苔老師が法話の中で、人は生きている限り色んな目に遇うと言われた。遇いたくない目としては、悲しい目、辛い目、悔しい目、しんどい目、遇いたい目としては、楽しい目、誇らしい目、ほっとした目等などであろうか。今、私は片目の目に遇っている。手術後26日目であるが、未だ左眼は若干光を感じるようにはなっているが、物の存在は確認出来ない。片目で外界を見ているのである。

片目で困ることは、遠近感が無いために車の運転が出来ないことと、老眼がかかった右眼だけでは本が読み辛いことであろうか。それから不思議なことだけれど、人の顔を見た場合どの人に限らず左右の眼の大きさが異なり、左の眼の方が右の眼よりも明らかに大きく見えるのである。だから、どんな美人も美人ではないのである。 両眼が見えることは当たり前のこととして考えても見なかったことが色々とあるものである。そして、まだ片目が見えることは不幸中の幸いなのだと自らを慰めているところである。

と云う訳で、しばらくは、教行信証の勉強は、お休みさせて頂きます。

合掌ーおかげさま


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No.1058  2010.12.09
仏教の進化を考える

五木寛之氏と立松和平氏の対談集『親鸞と道元』を読み考えさせられたことが一つあります。それは、一宗の開祖と目される高僧・名僧が同時に出現した鎌倉時代には、日本の仏教史を見渡した時、それなりの時代背景があったと思えるからであります。

源頼朝が征夷大将軍に就いた1192年に始まった鎌倉時代は、仏教が大陸から伝えられ聖徳太子が仏法を取り入れて政治を為し飛鳥寺、法隆寺が建立された飛鳥時代(593年~710年)、そして平城遷都が為された後に聖武天皇によって全国に国分寺、国分尼寺が建立され、奈良仏教が栄えた奈良時代(710年~793年)、そして桓武天皇が実施した平安遷都により仏教界が南都六宗から北嶺と言われる最澄の天台宗と空海の真言宗が重んじられるようになった平安時代(793年~1192年)に続く時代でありました。

平安時代までの仏教は、どちらかと申しますと国家安寧、朝廷や摂政関白家の発展安定を祈祷するもので、一般民衆から遠く離れた存在でありました。しかし、民衆の貧困と不満を背景として地方で力を持ち始めた武家達が武力に依って天下統一を成し遂げる平安末期から鎌倉時代の民衆は、国がどうなるかの先行きの不安、そして住む家もなく食糧も不足する貧困、更には戦火に逃げ惑いながら直面する死の恐怖に、この世の地獄を味わっていたに違いありません。

そんな時代でも、大乗仏教と云うものは元来在家の民衆を救済すべきものだと云うことに気付いていた人々も居たのではないかと思われます。幼くして比叡山に預けられた法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)、栄西(臨済宗)は、比叡山で仏法を学びながら、自分自身の救いと共に、民衆一人ひとりが救われる道を求めるに至ったのではないかと推察致します。当時の比叡山は、公家の子息の預け場所でもありましたが、比叡山での出世は出身公家の官位が大きく影響し、仏道を真剣に極める雰囲気には無かったようであります。上述の5名の祖師方は、比叡山で師と仰げる人物は居ないし学ぶべきものも無いとして何れも途中で比叡山を下り、禅宗の道元と栄西は当時の支邦に留学し、法然、親鸞、日蓮は独学の道を選びました。

鎌倉時代にこの祖師方が出現したのは、時代の仏教が民衆を救うものではなく、政権や公家社会との結びつきが強く、依然として祈祷仏教であり、その上陰に隠れて肉食妻帯する堕落僧侶も多くいたからこそ、「これではいかん」と高い志を持つに至ったことと、時代の不安と不安定状況が背景にあったのではないかと考察しております。

21世紀に入って10年経った平成の世の状況は鎌倉時代に似ているのではないかと思われます。現代仏教も葬式仏教や、あからさまな現世利益仏教が幅を利かせております。そして、社会はまさに経済的格差社会であり、核差(核に脅かされる)社会への不安は急速に大きくなっております。ここで、民衆を救済する仏教に進化させる責任が今仏法を学ぶ者にあると私は考えております。仏法も時代に応じた進化を遂げて来ております。縁起の道理と真理は変わらないものですが、念仏を称えさえすれば救われると云うような単純さだけでは複雑多様な悩みを抱えて孤立する現代人を仏法に招き入れてあげることは出来ないのではないかと考えているところであります。

合掌ーおかげさま


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No.1057  2010.12.06
親鸞聖人の善悪論・宿業論

親鸞聖人の善悪や宿業の捉え方を間違って捉えている人が多いようです。親鸞聖人は、他人の善悪を裁定しているのではありませんし、他人の生き様に付いて宿業を論じられた訳ではないはずです。飽くまでも、自分を見詰めての善悪であり、宿業論に違いありません。そこには本願他力の教えに学ぶ私たちも陥り易い間違いでありますが、下記の五木寛之氏と立松和平氏の議論がその象徴だと思います。

五木氏:
「ここで話を元に戻しますが、宿業という言葉です。これはよくテレビの番組なんかであなたの先祖霊がこういうことがあったから供養しなければならないとか、いろいろとそういう話が出てくるでしょう。けっこう広く日本人は、いわゆるカルト的な信仰というか、そういうものに対して、つよい関心を持っているんです。その中で宿業という言葉を、霊の世界ではなくて、どう解釈するか。たとえば、2008年に起きた秋葉原の無差別殺人のように、群衆にトラックで突っ込み、逃げる人を刺したような人間は、その人間の心が悪しきがゆえにそういう犯罪をなしたのではなく、その人間が前世から背負った宿業のためになしたということになると、もしもその言葉を100%受け取った人は、裁判員制度で裁判に出たときに、絶対に死刑という刑は下せなくなります。本人に罪はないということですから。」

立松氏:
「そうですね。『歎異抄』の論理からいえば・・・」

五木氏:
「そうなりますよね。極端にいえば麻原彰晃はどうなんだという話になる。そうすると、ちゃんと自分の罪悪というものを自覚して、その罪を心から後悔し、そして阿弥陀如来に帰依する心を持った人なら救われるというふうになってしまうと、なにか選択的になって、ちょっと迫力がなくなる。つまり無差別救済というところに悪人正機のショックがあるんですから。」

親鸞聖人のお言葉として紹介している歎異抄第三章(末尾に引用記載しています)の悪人正機説は、なにも無差別に救済されると云うものではありません。善人だろうと悪人だろうと、自力の心を翻して本願他力に依って生かされている身であり、阿弥陀仏の誓願不思議に助けられて往生を遂げる身であると信じて念仏を申さんと思い立ったその時、既に救われていると云うものであります。

法律を破った人も救済されるかどうかとか、仏様は近所迷惑な人も助けるのか助けないのかと云うことを親鸞聖人がテーマとされた訳ではないと思います。宿業も、他人の宿業を云々するものではなく、現在の自分を見詰めた時に、善いに付け悪しきに付け自らが感じざるを得ないのが宿業だと思います。他人の人生を裁定して、ああなったのはあの人の宿業だろうと云うのは〝以っての外〟の話でありましょう。

五木氏は、上記に引き続いた会話の中で、「世の中の善悪というのは、簡単に決めてはいけないのだということを親鸞は言っているのでしょう。それはそのとおりなんだけど、じゃあ善悪を決めなくていいかという問題になってくると、たとえば法律などというのは、意味があるかということになってくる。」とおっしゃっているけれども、法律は、娑婆世界でお互いが気持ちよく生活するために最低限守り合いましょうと云うルールであり、絶対に必要なもので、親鸞聖人の善悪とは全くと言っていいほど別問題のものです。

合掌ーなむあみだふつ

歎異抄第三章:
『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なをもて往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。 そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をは なるゝことあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。』


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No.1056  2010.12.02
親鸞聖人の善悪論

今年も早、師走を迎えてしまいました。例年の如く今年もまたクリスマスムード一色の中、大晦日と云うハードルを一気に跨ぎ終えて、平成23年元旦を迎えることでしょう。
しばらくコラムを休んでおりましたが、今回から再開致します。実は11月18日に左眼の緑内障治療のための手術を受けまして、一昨日漸く退院したところです。2年前に一度手術を受けましたが、緑内障(眼圧が上がり、視神経が損壊して視野が狭くなり、場合によっては失明に至ります)は1回の手術で必ずしも解消するものではないらしく、眼圧が容認出来ないレベルに達したため、失明を回避する為の再手術となった次第です。未だ、手術時の出血が眼球から退いておりませんので、左眼は見えない状態ですが年末までにはささやかながらも開眼に至るそうです。しばらくは右眼だけの片目運転ですが、片目が見えるだけでも有難いことです。

入院中、五木寛之氏と立松和平氏の『親鸞と道元』を漸く読み終えました。読後感想と致しましては、「最後までずっと違和感を解消出来ないまま、読み終わってしまったなぁー」と云うのが本音です。信仰とか信心と云うものは元来排他的になりがちだと云うのが宗教が陥りやすい矛盾或いは病(やまい)ではないかと思っておりますので、私もその病に罹っているのかも知れませんが、ただ、それだからこそ今回、仏教或いは信心に付いて深く考察することが出来たと思っております。皆様におかれましてもお読みになる価値はあるかと思っております。

最も違和感を抱いたのは、歎異抄第三章の『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なをもて往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるゝことあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。』に語られている善悪のとらえ方に関してです。

『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。』の善人と悪人は、親鸞聖人の善悪判断に依るものですが、『悪人なをもて往生す、いかにいはんや善人をや。』の悪人と善人は世間一般が判断しているものです。親鸞聖人の場合は、自分は善いことしかしない人間だと思い上がっているのが善人で、自分は煩悩に振り回されていると気付きつつも、その煩悩に苦しみ悩んでいる人を悪人だとお考えになっていたのではないかと思います。しかし世間では、他人への迷惑はなにも考えずに勝手な振る舞いをする人、極端には法律を犯す人を悪人と言い、世間一般でいわゆる人格者と言われる人やお人好しな人、現代的にはボランティアに励む人等を善人だと考えての『悪人なをもて往生す、いかにいはんや善人をや。』ではないかと思います。

五木氏が、「世の中に生きているわれわれは、無意識のうちに、善悪の判断を簡単に決めてしまっている。世の中の常識とか本質とか、そういうことで物事を決めて行動している。そこで、そんなものじゃないよと言われると、ガツンとショックを受けるわけですね。悪人正機という説に対しても、初めて読んだときにすごく大きな衝撃がありました。その衝撃度が問題なのであって、衝撃を感じるということは、どこかに何かいいことをした人間には、いい報いを受けるのは当然、悪いことをした人間は、悪い報いを受けるのは当然と頭から信じ込んでいて、そういう社会の目から見た常識の中で生きている自分というものがあって、そこのところに、目がくらむような閃光をぶつけられたということだろうと思うんです。この言葉を論理的に解説して、だからこうすべきというふうには言えない部分が多々あるような気が、今はする。」と立松氏に語られているけれども、これは、五木氏が親鸞聖人の善悪判定と世間の善悪判定を同一だとしか捉えていないから故の発言だと思います。 そして、何故そうなるのかと考察しますと、他力信心における善悪は自分自身の心と対峙する時に出て来るものであり、他人の言動を見て判断する場合のものではないものですが、五木氏はいわゆる親鸞聖人の言われるところの善人だからではないかと・・・。また、悪人も善人も救われると受け取られているようですが、親鸞聖人は、歎異抄の本文中にも書かれておられるように、善人であれ、悪人であれ、「自力の心を翻して他力を頼み奉れば、」と云う前提条件があるのでありまして、五木氏が衝撃を受ける所以は無いわけであります。
ただ、この五木氏の受け取り方や姿勢と考え方は、何も五木氏だけに限らず、私も含めまして他力本願の教えに学ぶ者が陥り易いものだと云うことを常に忘れないことが何よりも大切でありましょう。

井上善右衛門先生が、信心の姿勢として自戒を込めて戒められたことですが、信心を蜜柑(みかん)の味に喩えられまして、蜜柑を外観から研究して、色艶や固さ、大きさ等を詳細に比較検討しても、蜜柑の本質を知ることは出来ない。自分の口に入れて噛み味わって初めて蜜柑の本質に触れることが出来るのだと・・・。仏教を学問的に研究することと信心は全くと言っていいほどスタートから異なると云うことではないかと思います。
肝に銘じたいことであります。

合掌ーおかげさま


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No.1055  2010.11.14
石原東京都知事の核武装論に付いて思うこと

国防に関して私は大乗仏教の華が開いた唯一の国である日本を護る為に、他の国の侵略を許してはならないと云う先師白井成允先生のお考えに強く共感し、主張を引き継いで参いる所存であります。
そこで・・・。

文藝春秋12月号に石原都知事の『日本堕落論』と云う論説が掲載された。文藝春秋7月号に掲載された藤原正彦氏の『日本国民に告ぐ』を読んだ石原氏の息子(何男かは不明)が強い感慨で石原氏に語ったらしいのであるが、石原氏は「息子の語るのを聞いて遅ればせに読んだが、期待に反した。藤原氏の痛憤はすべて私たちの年齢の識者の知るところであって、藤原氏の論文はこの国の自主性を欠いた現況をいかに克服するかの具体的、決定的な案にいささか乏しい。」と語っている。それでは、石原氏は具体案を持っているのかと、批判的に読み進んだ次第である。 石原氏の具体案は、日本は〝核保有による抑止力を持つべきだ〟と云うことだと思う。下記が石原都知事の論説からの抜粋である。

「尖閣に関する駆け引きのためだけではなしに、今後さらに多くの国際案件に関して交渉の手立ての一つとして、日本の国際的地位の確保のためにも、その強力な手立ての一つとして、日本の核装備についてのまず国内での議論を誘発、ひいてはそのための技術的方法の検討が云々されることが必要に違いない。」
「考えてもみるがいい、核兵器による威嚇、危険に日本ほど危うくさらされている国が他のどこにあるだろうか。極めて間近に中国、ロシア、そして北朝鮮という非民主的で武断主義国家が控えている。もし欧米の先進国が日本と同じ政治状況にあるとしたら、彼らは当然自らの核兵器による報復の可能性を造成することで抑止力整備に踏み切るだろうに。」
「日本が核保有に踏み切ればNPT(核拡散防止条約)体制が崩壊するという論理もまた欺瞞に満ちたものでしかない。1968年に採択されたNPTは〝核兵器の製造を停止し、貯蔵されたすべての核兵器及びその運搬手段を除去する〟と雄々しくも謳っているが、その後核を保有している列強は何をしてきたのか。まさにウイ・キャン。バット・ウイ・ドント(私たちは廃棄出来る、しかし〝私たち核保有国皆が一斉にしない限りは〟、私たちは廃棄しない。)でしかありはしない。私たち日本は、まず先般アメリカが行ったようにコンピューターによる核実験のシミュレーションから始めたらいい。それだけでまず国家としての強い意志となるのだ。アメリカや中国、ロシアが日本に何をいう資格があるというのだろうか。」

以上の言葉から石原都知事は日本が核保有することを積極的に肯定している、否、核保有すべきだと言っていると受け止めて間違いはなかろうと思う。その主張は、下記を主たる根拠として挙げている。
① アメリカの政治家は日米同盟で日本を護ると言っているが、実働部隊のN0RAD(ノース・アメリカン・エアロスペース・ディフェンス・コマン)の司令官の「アメリカの核戦略展開はあくまでアメリカ自身のためのものである。名前の通り、ノースアメリカとは、アメリカ本土とアメリカに隣接している東部カナダの一部であって、日本が我々の警備体制の管轄内に入る訳がない。日本は我々の国から遠すぎ、ロシアから近すぎる。」と云う言葉を直接聞いた。
② 核兵器が使われる可能性は極めて少ない。抑止力のためだけだ。その理由として「今日の世界で一体誰が何のために誰に向かって核兵器を使って攻撃を仕掛けるだろうか。それを行った瞬間世界中から被る非難と報復は計り知れまい。」、だからどの国も核兵器を実際には使用しない。
③ しかし、大国は核を弄ぶ。その所以は、世界における自らの発言力への裏打ちでしかない。日本人の多くが殊勝一途に信じている国連なども、そうした力学の舞台でしかない。国々の持つ力はさまざまであろうが、いずれにせよそれを顕在化させ拡大して示すものは軍事力に依る背景でしかない。そしてその軍事力の芯にあるものは核兵器に他ならない。

私は自分の国は自分で守るべきだとは思っているので石原氏の論説殆ど全てに共感を覚える。ただ、その守るべき目的と根拠の考え方に於いては相当の開きがあるだろうと思う。私の場合、何故守らねばならないかと言うと、冒頭に述べた如く、この日本が大乗仏教の華が開いた世界で唯一の国であるからだ。本当の世界平和はお釈迦様の説いた仏教思想、『一切衆生悉有仏性(この世に存在するものはすべて平等の命である)』に依らねば実現することは無いからである。金子みすずさんの『みんな違ってみんないい』と云う有名な詩は日本だからこそ生まれたものである。この考え方なしに、戦争は無くならないだろうし、隣の国と仲良く助け合うことも有り得ないだろう。この考え方は、日本固有のものであり、世界のために死守しなければならない。そしてその日本が生き延びるためには、他国の侵略を許さない方策(核保有を含めて)を国民合意の下に構築しなければならないと思っている。

その為には先ず、戦勝国アメリカに押し付けられ、戦争を放棄させられている日本国憲法を改訂し、国民の合意に依って国防力を高めることが出来るようにするべきだと私は思う。石原氏も、憲法の改正にも言及しているが、核武装の議論よりも先ずは憲法改正である。まずは、アメリカ軍を引き揚げさせ、自衛隊を増強して、アメリカの真の同盟国として東アジアの安全保障の一翼を担うべきだと思う。その為に最も有効な核兵器は、以前の西ドイツの様にアメリカの核を利用してもいいと思うが、広島・長崎の被爆者の心情もある。少し時間を掛けた議論が必要だと思う。何より、国防に関する国民の合意がなによりも必要である。その為に、石原氏の云う教育の見直しも必要だとは思うが、石原氏には先ず憲法改正の旗振り役に成って欲しい。そのために、『立ち上がれ日本』と云う政党を立ち上げたのではなかったのか?

また、もともと自民党の党是が、自主憲法の制定であろう。その党是はどうなってしまったのだろうか。もし自民党が復権するとしたら、党是を高く掲げ得た時でしかないのではないかと思う。今の政党同士の外交議論を聞いていて説得力も迫力も無く、違いも分からないのは、国防をどう考えているかを明らかに出来ていないからだと思う。石原氏には論文だけではなく、自民党を巻き込んで立ち上がる思い切った行動に出ることを望みたい。

合掌ーなむあみだぶつ

追記1
私は14日(日曜日)、15日(月曜日)と彦根での大学の同窓会に参加しますので、月曜コラムを日曜に前倒し致しました。45年振りに会う同級生達ですが、40人のクラスでしたが今回は19名が集まります。大変楽しみにしております。
また、私は来週から所用のため今月一杯はコラムを休ませて頂きますのでご了承願います。


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No.1054  2010.11.11
信心獲得(しんじんぎゃくとく)

禅宗における『悟り』にあたるのが浄土真宗での『信心獲得』です。どう違うのかは、両方を体得しなければ分からないのですが、『信心獲得』に付きまして、これまでの色々なご講師方のお話を総合して、考察したいと思います。

仏教法話ではよく心を鏡に喩えます。そして、いわゆる凡夫の私たちの鏡は〝自己中心(エゴ)〟と云う曇りがあって、物事を正しく見ることが出来ず、そうして誤った判断の下で行う言動は自然に適ったものでは無くなってしまいます。 その曇りに気付いた人は、その曇りを取り除きたいと云うことでご法話を聞き出します。また、寺院や神社にお参りする方も居られるでしょうし、ボランティアなどの善行も積極的に行って心を清めようともしますでしょう。

でも、その自己中心と云う曇りはなかなか拭い去ることが出来ずに、他人を傷つけたり、色々な問題に遭遇しますし、自分自身も後悔したりと苦悩致します。これでは駄目だとまた聞法に励みます(この状態の人を親鸞聖人は悪人と言われているのでは ないかと思います)。この努力を続けているうちに、私のようなものの少々の聞法や善行でこの自己中心と云う曇りが拭い去れるわけが無い、と、自分の本性(親鸞聖人のお言葉を借りれば、地獄一定の私)に気付かされる時が来るのだと思います。そう気付いた瞬間に、不思議と自己中 心の曇りが鏡の表面からパッと消え去るのだと思います。それが信心獲得の瞬間ではないかと思われます。
ただし、それは一瞬のことであり、また、自己中心、我執の曇りが鏡の表面にかかるのだと思います。

しかし、一旦晴れ渡った鏡は、日常生活の中では、たとえ一瞬であっても、度々晴れ渡る回数が増えていくのではないでしょうか。この身有る限り欲望は無くなりません。またもっと欲しいと云う煩悩も無くなりません。無くなる 訳がありません。そう考えますと、禅宗の僧侶のお悟りの心も、信心獲得と殆ど変わらないのではないかと思われます。

合掌ーおかげさま


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No.1053  2010.11.08
宿業について(立松和平氏と五木寛之氏の対談から)

『親鸞と道元』(祥伝社、平成22年11月5日出版)は310頁の対談集ですが、漸く100頁を読み終えたところです。これまでの感想としては、仏教に関するお二人の造詣の深さには脱帽するばかりです。 かなり幅広く、その読書量は凄いものがあります。小説を書くにはこれ位の広さと深さが必要なんだろうなぁと、あらためて私はとても小説家にはなれないと思っているところであります。
一方で、お二人とも仏教の知識はものすごいものを持たれているけれども、人生の道標(みちしるべ)を仏教に求めていらっしゃるわけでもないんだろうなと感じる件(くだり)がちょくちょく出てまいりました。

たとえば、『親鸞は宿業をいかにとらえたか』の一節で、立松氏が、『〝歎異抄〟にある「わが心のよくて殺さぬにはあらず」という言葉にしても、それは因縁によるというのであれば、因縁を変えればいいとい うのが仏教の思想の根本だと思うんです。お釈迦様の説話にある殺人鬼アングリマーラがお釈迦様のサンガ(教団仲間)に入って悟りを得た。つまり、アングリマーラはよき修行をすることで悪しき因縁を消し、 よいお坊様になりましたということになるんだけれども、実のところ、僕は納得いかないんです。そう簡単なものでもないですよね。』とおっしゃっておられるけれども、〝因縁を変える〟と云う思想は真っ当な 宗派の教えには無い、少なくとも親鸞聖人のお考えとは対極のものと思います。だから、納得がいかないのは当然だと思います。

その立松氏の意見に引き続いて、五木氏が、『それを言うと〝歎異抄〟についても、読めば読むほど湧き上がってくる疑問がいろいろあります。〝不合理ゆえにわれ信ず〟と云う言葉を前に出しましたが、なるほ どというような説明をされたときに、もうその説明は意味をなさなくなってしまうような謎が〝歎異抄〟の中には永遠にあり続けるというところがあります。この宿業というのも、僕はどうしてもよくわからない。 自分のやったことが、自分の宿業のせいだと思うのだったら、後悔するということがなくなってしまうんじゃないかと思うし、後ろめたい思いがそれで消えるでしょう。』とコメントされているのですが、五木氏の 頭の中には、後悔とか反省が人間の心を清浄なものに変えていくと云う考えを持たれているのだと思います。
これは、いわゆる自力作善の人の考え方であり、親鸞聖人のお考えとは全く異なるものだと私は教えられて参りました。

親鸞聖人のお考えは、「自分のやったことが宿業のせいだと思うなら、後悔することが無くなってしまうのではなくて、そのような宿業を抱えている身である罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫の私を見捨てずに生かして下 さっている仏様に感謝しよう、阿弥陀仏の本願他力に南無(お任せ)しよう」と云うことだと私は教えられて来ましたし、今、そう実感しております。

立松和平氏は32歳で芥川賞の候補にノミネートされる程の天才でありましたし、五木博之氏は35歳で直木賞を受賞される一方で歌謡曲のヒットメーカーでもありこれまた天から恵まれた才能は余人を寄せ付けません。
このように若くして世間での名誉と地位を得られる才能に恵まれた方々には、宿業を自分のものとしてではなく、他人のものとしてしか想像出来ないのだと思われます(宿業にポジティブ・ネガティブは無いと思いますが、 どうしてもネガティブなものに選り感じてしまいますね)。両氏には才能に恵まれた故の、また大きな賞を受賞したが故のプレッシャーや焦り、苦悩・苦労はあったかも知れませんが、それが宿業の目覚めに至るのは容易 なことではないと思われます。一方、親鸞聖人は在世中は流罪人でありましたし、一般世間的には無名の貧乏人でしかありませんでしたから、自(みずから)の宿業と対峙しなければならなかったのではないかと推察しております。

合掌ーおかげさま


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No.1052  2010.11.04
自力と他力

極最近、『親鸞と道元』と云う本(五木寛之、立松和平共著)が出た。「自力の道元、他力の親鸞」と云うキャッチコピーが付いて・・・。
立松氏には『道元禅師』と云う小説が有り、五木氏には『親鸞』と云う小説がある。私は自力も他力も無いと教えられて来たので、両氏の仏教観がどのようなものか、少し批判的な気持ちから読み出しているところである。

立松氏は、『要するに仏教では、道元と親鸞というのは対極にあるような感じがしますよね。けれどよく考えてみると対極にあるようでいて、そうでもない。自力、他力と一言でいうけれども、自力の仏教というのは、実は無いと僕は思っています。仏教はみんな他力ですよ。たとえば道元にしても、「仏の家に身を投げ入れる」というのは、究極的な他力の言葉だと思うんです。』と語られている。

また、立松氏は五木氏の『僕は底の浅い他力主義だけれども、天の機、地の利といいますか、一つの小説が世に出るというのは、自力だけでは無理です。作家が自分でいろいろ、こういうものを書こうとか、こんな時代にはこれがいいんじゃないかとか、姑息な知恵を巡らせてつくっていくという感じではないと思うんですよね。たとえば、出版社なり、あるいは雑誌なり、新聞なりから、こういうものを書いてみませんかという誘いがあるということも、他力の一つと考えているんです。』と云う語りに対して、『五木さんは他力とおっしゃっていますが、禅の方では他力とは言わずに、縁という言葉を使うんですね。僕が〝道元禅師〟を書くようになったのは縁だと思いました。因縁の縁です。縁と他力は同じことですね。僕は縁をいただいたわけです。道元禅師を書かないかと、まさに縁があったわけですよね。』と語られている。

また立松氏は、『道元の思想を、身と心で最も深く受け止めたのは、僕は良寛さんだと思うようになったんです。道元は「心身脱落」ということをいいますけれど、その世界を身を以て体現したのが、良寛さんだと思うんですね。しかも道元以上に突き抜けていたんではないかと。道元は永平寺を建てましたけれど、良寛さんはお寺も何も建てない。良寛という人は道元思想の権化みたいな人です。それでいて全然固くないんですよ。』

今は未だ読み始めたところ。一週間は掛けて読了しようと思っているけれども、もしも両氏の対談に勝敗を求められれば、今のところ立松氏に軍配を上げざるを得ない。五木さんの〝他力〟は、〝他からの力〟と考えているように受け取られかねないからである。立松氏の「縁と他力は同じことですね」と云う言葉に、仏教研究者としてのゴールまで走り切った人だと思った。

立松氏は、私よりも2歳若い人であるが、今年の2月急逝されたそうだ。実に惜しい人を亡くしものだと思う。『道元禅師』も読ませて頂く積りである。
ご冥福を祈りたい。

合掌ーおかげさま


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No.1051  2010.11.01
教行信証を披く-行巻【私釈(称名破満)】―17

まえがき
経典の引用が終わったところで、親鸞聖人ご自身のコメントが挟まれておりますのが、今回の内容であります。この後に『経・論・釈』の順番に従い、『十住毘婆沙論』『浄土論』などからの引用が続きます。

なお、経と論と釈とは、経は釈尊の説かれた経典。論は印度の仏教学者が解説したもの。釈は経論の意味を中国、日本の仏教学者が解釈したものであります。

親鸞聖人がこの私釈で申されたいことは、お釈迦様が説かれた真実の行とは、滝に打たれたり、難行苦行することではなく、南無阿弥陀仏の名号を称えることだということであり、その南無阿弥陀仏は信心そ のものであると云うことであります。信心とは何かをあとがきに確認しておきたいと思います。

●行巻の原文
爾者、称名能破衆生一切無明能満衆生一切志願。称名則是勝真妙正業、正業則是念仏、念仏則是南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏即是正念也。可知。(二の八)

●和文化(読み方)
爾(しか)れば、名を称えるに能(よ)く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまふ。称名は則(すなわ)ち是れ最勝真妙の正業なり。正業は則ち是れ念仏なり、 念仏は則ち是れ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏は即ち是れ正念なりと。知るべしと。(二の八)

●現代意訳(高木師)
それだから、念仏を称えると衆生の一切の無明は破られ、衆生の一切の志願は満たされるのである。故に称名は最も優れた正定業であり、正定業はまた念仏であり、念仏 はまた南無阿弥陀仏の名号で有り、名号はそのまま信心であるといわねばならぬ。このことをよく知る知るがよい。

●現代意訳(本願寺出版の現代語版より)
こういうわけで、ただ名号を称えるところに、衆生のすべての無明を破り、衆生のすべての願いを満たしてくださるのである。正しい行業(ぎょうごう)はすなわち最も優れ た正しい行業である。正しい行業はすなわち念仏である。念仏はすなわち南無阿弥陀仏の名号である。南無阿弥陀仏の名号はすなわち信心である。よく知るがよい。

●あとがき
浄土真宗では、『信心獲得(しんじんぎゃくとく)』と云う熟語があります。『信心獲得』は殆ど禅宗で使われる『転迷開悟(てんめいかいご)』つまり『悟りを開く』と同義語 だと思いますが、この場合の『信心』は、「心を信じる」のですが、この時に使う『心』は、「煩悩に掻き乱される凡夫の心ではなく、私をこの世に生まれせしめ、煩悩に苦しみ もがく私を何とか救いたいと云う願いを持って見守る他力の(仏様の)心」だと、ごく最近の法話の中で説明されておりました。新興宗教では、その教祖を信じるとか、高価な壺 や印鑑を信じるとか、手相・家相・日和を信じるとか、色々と科学的根拠のないものを信じさせられていますが、信心獲得は、お釈迦様から始まって代々の祖師方の信心を学び、 自分自身の体験からも、他力の働きを1疑うにも疑うことが出来なくなった時に使う熟語であると思う次第であります。

合掌ーおかげさま


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