< No.1050  2010.10.28
親鸞聖人の信心について

禅僧のどなたかが、『仏法を聞けば平気で死んでいけるようになるのではなく、平気で生きていけるようになるのだ』と言われたと云うことをお聞きしたことがありますが、親鸞聖人の他力の信心は、少し異なるのではないかと思います。

無相庵カレンダーの15日目のお言葉に私の尊敬する白井成允先生のお詠『いつの日に、死なんもよしや、彌陀佛の、み光の中の、御命なり』があります。「自分の命は仏の命であるから、いつ死が来てもよい」と云うお心だと思います。これは、「平気で死んでいける」と云うこととは少しニュアンスが異なり、また、「平気で生きていける」と云うこととも違って、〝生死を超えた、或いは生死を問題としない、全てを他力に任せ切った〟他力を信じるご心境なのかなと思います。

他力とは、自分以外の他の力と云うことではなく、仏様の働きであります。阿弥陀そのものでありますが、それは、キリスト教の神様とは全く異なり、私をこの世に生ましめた働きであり、また死なしめる働きでもあります。『我々人間の思量が及ばない』と云う意味のインドの言葉『ア・ミター』を漢語に音訳した『阿弥陀(あみだ)』を浄土門では自分の力ではないと云う意味で『他力』と申す訳であります。

そして、浄土真宗の信心、つまりは親鸞聖人の信心とは、この他力を信じることでありますが、この場合の〝信じる〟と云うのは、「私はあの人を信じているとか、信じていない」と云う場合に使う〝信〟ではなく、「疑おうにも最早疑うことが出来ない」、丁度、赤ん坊が母親の胸の中に抱かれている時のように安心しきって身を任せている状態で、疑うとか疑わないとか、信じているとか信じていないとかを超えた心の落ち着きを言うのだと思います。

さて、そういう私はどうかと申しますと、そこまでの信心を未だ頂いておりません。自分がこの世に生まれたのは自分の力ではないことも、今生きられていることも自分の力だけではないと思っています。そして、頭では死ぬのも自分がコントロールできるとは思っていませんが、白井成允先生のように「いつ死んでも良い」とはとても思えていません。自分を頼る『はからい』があるからだろうと自己分析しておりますが、生れてからこれまでの65年間、常に先々のことに希望を持ったり、心配したりして生きることに慣れてきた思考構造がそう簡単には変わらないのだろうとも思っているのも事実であります。

ただ、年老いて、目も耳も衰え、記憶力も衰え出していますので、だんだん自分の力を頼れなくなりつつある現在、他力の信心が少し分かりつつあるようにも思う今日この頃であります。

合掌ーおかげさま


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< No.1049  2010.10.25
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと-追記

しばらく『『教行信証』の勉強から離れておりますが、今の私は親鸞聖人の事を思わない日はありません。しかしそれは親鸞聖人を特別な人、つまり新興宗教の教祖と云うような感じではありません。世の中に生じている問題とか、私自身が何か決断しなければならない時に、「仏法ならどう云う答えをだしてくれるのか?」と問う時に、先ずは「親鸞聖人ならどういわれるのだろうか?」となるのが常だからであります。

しかし、親鸞聖人だけにとどまらず、私がこの世で直接お出遇いさせて頂いた先生方にもお聞きしますし、そして最後は「お釈迦様ならどう考えられるだろうか?」となることもしばしばでありますから、親鸞聖人だけを特別に崇め奉っている狂信者ではございません。親鸞聖人をはじめ、多くの先師に、仏法の答えをお尋ねしていく生活姿勢はこれからも変わることはないと思います。そして、これが仏法の信心の一つの形なのかも知れないと思うことでもあります。

さて、尖閣問題は中国での反日デモと云う形でも続いておりますし、日本企業のレアアース調達にも支障を来たしており、余韻は無視出来ないものがありますが、そんな中で、この人はどう思っているかと私が聞きたかった石原都知事が昨日の報道番組に出られて、私と同じ考えを述べられていたので、わが意を得たりと云うことは勿論、石原氏は77歳と云う高齢者ではありますが、タカ派と言われた中川昭一氏亡き日本だけに、石原さんには東京都知事として、国防体制の無い日本を立ち上がらせるべく現役公人として発信し続けて貰いたいと思うのであります。

石原氏は公には初めて(?)核保有論議さえタブーとなっている日本の現状を批判されました。「国力とか外交力は軍事力を背景にしたものであるべきだ」と言われ、また「日本は2年あれば核を保有出来る」とも言われた。「ロシア、中国、北朝鮮と、隣国である三国が核を持っている。遠く離れたアメリカの核が日本を護れるはずがない」とまで言われた。つまり、「日本は早急に国民のコンセンサスを得て核を持つべきだ」と云う見解を述べられたと私は受け取りました。

私もこの尖閣問題を契機に国民投票でもして、先ずは日本国憲法の自主憲法化の可否を問うべきだと思います。それが無理なら、せめて自主憲法化をマニフェストの第一番目に掲げる政党が立ち上がって欲しいものだと思っています。その為にこそ石原都知事には踏ん張って貰いたいと思っています。

私は『他力本願』と云う言葉を誤用する石原都知事を仏法の立場からは認めてはいませんが、アメリカの核の傘を(石原流解釈である)〝他力本願的に〟頼りとする日本の安全保障の現状を憂慮する石原都知事にはエールを送ります。


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< No.1048  2010.10.21
今が一番好き

つい先日のNHK『BS日本の歌』で五木ひろしと都はるみが共演し、そのフィナーレで都はるみが「若い時よいこともあったし、またこれまでも色々とあったけれども、今が一番好き!」と言った。

二人とも62歳であるが、五木ひろしは16歳でデビューしたけれどなかなかヒット曲に恵まれず、芸名も4回変えて(松山まさる、一条英一、三谷謙、五木ひろし)7年目、『よこはま・たそがれ』で漸くメジャーデビューとなった苦労人であるし、一方の都はるみは16歳でデビューしたその年に『アンコ椿は恋の花』が大ヒット、演歌歌手としての地位を不動のものにしたが、私生活では公然とした不倫関係とその相手の急死等があり決して順風満帆の人生とは言えない。その60年の人生を振り返って「今が一番好き!」と言ったのである。 私たちも「今が一番好き!」と言えるだろうか・・・。今が一番好きと云うのは、過去の一切も肯定されているのだと思うし、更には多分これからも一瞬一瞬「今が一番好き!」と言える心の持ち主になっているのではないかと思う。

私は彼らと殆ど同じ世代であるが、胸張って「今が一番好き!」とは言えない。しかし、お蔭様と云う感覚が分かりかけているように感じることが多くなってきたとは言える。仏教的な表現では、本願他力が分かりかけていると云うことになるのであるが、でも、私たちは目で見えるモノや耳に聞こえる言葉、肌や舌で直接感じることにしか「お蔭様」とは思えないものである。
本当はそんなお蔭の数倍も数十倍もの『おかげさま』に依って生かされていることに目覚めなさい、そして感謝し、自らも他の人にとっての『おかげさま』になって欲しいと云うのが、本願他力の働きなのだと思う。

最近聞いた法話の中で、「木星のお蔭で私たちの地球は護られている」と云うことを知った。地球は過去に2度惑星に衝突されたそうである。一度は恐竜絶滅の原因となった6500万年前の衝突説が有名であるが、更に20数億年前にも一度有ったとも言われているが、太陽系を含む銀河系には無数の小惑星があるらしく、地球は常に惑星との衝突の危険性があるそうであるが、地球の20数倍の大きさの木星の傍にあることによって、木星が衝突の防波堤になってくれているそうなのである。真実かどうかは別にして、地球が無事存在しているお蔭は、その他にも月の存在、太陽の存在、銀河系等・・・無数にあることは間違いない。 身近には空気・水・・・、私たちは目に見えて世話になっている人や物事に『おかげさま』と感謝することは勿論であるが、目に見えず、当たり前になっている無数の『おかげさま』にこそ感謝し、「今が一番好き!」と言いたいものである。

合掌ーおかげさま


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No.1047  2010.10.18
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと-完

私は「自分の国は自分で守る国にならなければならない」と申しました。これはいざとなれば、戦争を辞さないという構えでありますが、一方で戦争に巻き込まれない知恵も持たねばならないと思っています。そして、その為には無節操な外交は控えるべきだとも思います。

どんな国とも仲良く付き合うと云うのが仏教的な考えだと思われるかも知れませんが、私は相手に応じて付き合い方を工夫する必要があると思います。個人や家庭同士の付き合いを振り返って考えましても、私たちは暴力団等同じルールで付き合えない相手との付き合いにはかなり慎重になっております。極端な無視もしませんし、挑発行為もしませんし、挑発行為にも応じないようにしていると云うのが現実ではないかと思います。

国家間の付き合いも同じ考え方をするのが賢明ではないかと思います。今更ながらと云うことになりますが、主義主張が全く異なる共産主義国家の中国と余りにも経済関係に於いて深入りし過ぎたのではないかと考えます。昔から交流があった隣国ですから、38年前に国交樹立したことは決して間違いではありませんが、節度を持った付き合いに腐心すべきだったのではないかと思わざるをえません。そしてこれからも続く長い将来に向けて、表面的な付き合い方を急に変えるべきではありませんが、主義・思想・人間観が全く異なる国家であることを忘れず、問題が起こらないように、小さな問題が大きな問題にならないように知恵を絞るべきだと思います。

そう云う意味では、尖閣問題は逮捕拘留すべきではなかったのではないかと思います。また、菅内閣が決まって使う「東シナ海には領土問題は存在しない」と云うような子供騙しであり相手国に取って刺激的な言葉も使うべきではないと思います。その一方で、日本が領海と考えている領海を海上保安庁がこれまで通り監視活動を続けると云うのが大人の対応ではないかと思われます。

尖閣問題を契機に、私は「自分の国は自分の軍隊で守れる」自主憲法制定を目指すべきだと思いましたが、「自主憲法の制定」を党是とするのが自民党のはずですが、今回の尖閣問題を追及する自民党議員の発言からは、自分の国は自分の軍隊で守る自主憲法ではないように思います。

日本の政党の中に自主憲法の制定(戦争の放棄は謳わない)を党是とする政党が誕生する事を私は期待します。


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No.1046  2010.10.14
無根の信(むこんのしん)

昔お聞きした浄土真宗の法話の中で分からないままだった『無根の信』。ごく最近知人から頂き視聴した法話(大谷大教授、一楽真師の「他力の信」)で、『無根の信』は『他力の信』の源であることを教えて貰いました。

信心に目覚めることは、心の中にその種(たね)があるからだと私は考えていましたから、『無根の信』と云う言葉を理解出来なかったのだと思います。『無根の信』とは、「信心の種も根も無い私がお念仏を有難く思えるようになったのは自分の努力ではない、ひとえに阿弥陀仏の本願力(つまり他力)のお蔭であります。」と云うことだと思います。だから親鸞聖人は、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(この世で遇い難い本願他力の教えに出遇い、お念仏を称える身にさせて頂いたなら、それは遠い遠い過去からの縁に依るものだと感謝しようではないか)と申されたのだと思います。

親鸞聖人の時代には、DNA(遺伝子)と云う考え方は有りませんでしたが、ただ、自分の祖先を辿って行くと、10代遡れば1024人の先祖が居て、30代遡れば10億人の先祖が居る、そして、その中の一人でも居なければ、現在の私は存在しないと云うことは分かっていたと思われます。地球の歴史が46億年と云うことはご存じではなかったでありましょうが、『遠く宿縁を』と云うお言葉からは、親鸞聖人の卓越した想像力が知らされます。

私の母も祖父も念仏者でした。しかし、母のお姉さんは仏法には関心を持っていなかったようです。私の兄弟姉妹は5人ですが、今も仏法に人生の道を訪ねているのは私だけだと思われます。祖父以前の先祖の中で、仏法に縁を持たれていた人が何人居るか分かりませんが、私はDNAと云う縁が今の自分たらしめているのだと感じざるを得ません。

平生の生活を振り返りますと、お金儲けに勤しむ自分が居り、名誉を求める自分でしかなく、とても信心の生活を送っているとは思えません。1日の中の一瞬でも、そんな自分を「無根」と慚愧する自分で有りたいと思う次第であります。

合掌ーおかげさま

昨日から今日に掛けてチリの鉱山の落盤事故に遇って地下700メートルに取り残されていた33名の鉱山作業員が救出されました。69日目に地上に生還されたことは本当に奇跡だと思いますが、この33名の命を助ける為に現代の科学技術と医療技術が総動員されました。そして世界中の人々が命のぶ無事を固唾(かたず)をのんで見守ってのでありますが、片方、その同じ人間がアフガニスタンや中東では一瞬のうちに、多くの命を奪っていると云うのが、人間社会の現実であります。また他方では核無き世界の実現を叫び、ノーベル平和賞を貰ったオバマ大統領のアメリカが核実験を行いました。これも、人間社会の現実でありますす。 仏心と鬼心が共存する人類の姿にも合掌です。


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No.1045  2010.10.11
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと-4

前回から1週間経ちましたが、この短い間に尖閣問題は大きく動きましたし、中国を取り巻く世界情勢にも大きな変化がありました。
先ずは10月4日ベルギーの首都ブリュッセルで、非公式ながらも菅首相と温家宝首相の会談が持たれ日中関係修復で合意し、その直後から尖閣諸島の日本の領海近くから中国の監視船の姿が消え、昨日はフジタの残り1名も釈放されました。更には一見無関係のように思えるノーベル平和賞が中国国内で国家政権転覆扇動罪で服役中の劉暁波さんに与えられ、中国の矛盾や言論統制に世界の厳しい眼が注がれ始めました(一人留め置かれていたフジタ社員の釈放時期とノーベル平和賞授与は無関係ではないかも知れません)。

私は「皆で働いて得たものを皆平等に配分し格差の無い社会を目指す」共産主義自体そのものが間違っているとは言えないと思います。理想の社会だと言ってもよいかも知れませんが、共産主義国家は一党独裁にならざるを得ず、そして富や食材等の配分を実行する役割を担う人が必要であり、そこに権力が生まれる必然性がある限り、中国や北朝鮮のような国家にならざるを得ないのだろうと思います。

封建主義国家であった日本がそうであったように、中国も北朝鮮も何れは破たんせざるを得ないのだと思いますが、その隣国日本は両国の破たんに至るまでの混乱に巻き込まれる訳には参りません。巻き込まれそうな兆しが今回の尖閣問題だと捉えるべきだと私は思います。

その破たんの渦に巻き込まれて日本が沈没しないためには、アメリカとの日米同盟を深化させることは必要でありますが、一方で、否、その同盟関係を深化させる為にも自分の国は自国の国民の力で守る自立した国家と国民にならなければならないと私は思います。
私は、先ずは沖縄に海兵隊が必要ならば、その海兵隊を日本の自衛隊に取って代わらせる(指揮権は日米合同の作戦本部が担う)。その他のアメリカ基地も防衛上必要ならば、そこに自衛隊を配備し日本国民が実行部隊となって東アジアの平和と安全を守るべきだと思います。その為には憲法改正が必要でしょう、志願兵制度も必要になるでしょう。私は自分の国は自分で守る国になることは、良し悪しの議論を超えたことだと思います。

外交の有り方云々はその後の問題であり、他国に守って貰いながらの外交は何の説得力も無いものだと思います。
一方、日本は過去に軍部の独走を許して他国の国民と自国民に多大な犠牲者を齎すと云う二度としてはならない過ちを犯しました。これを防止する国家体制を憲法でしっかり担保しておく必要がありますし、平和外交の有り方を勉強する必要があります。私は手前味噌ではありますが、日本固有の考え方であった仏教の考え方に戻るのが一番だと思います。世事雑感でも述べておりますが、今から約1400年前の為政者、聖徳太子に学ぶべきところが大いに有ると考えております。

更に、次回に続けさせて頂きます。


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No.1044  2010.10.07
ノーベル化学賞受賞の裏話

昨日、日本人化学者2名がノーベル化学賞を受賞しました。一昨年に続く朗報です。化学の中でも、有機合成化学と云う分野ですが、実は私は阪大基礎工学部の有機合成化学研究室(1966年当時の守谷一郎教授の研究室)出身です。そして、株式会社チッソを辞めて大学に戻った時も、守谷研究室の文部技官としてでした。

大学生時代はテニスにのめり込んでいましたし、社会人として研究室に戻った時も、有機合成化学が私たちの生活とは程遠いところにあるとしか受け取れず、あまり魅力も、興味すら感じることが出来ませんでした。守谷教授からは大学に残って学問の道を歩む選択肢もあることを伝えられましたが、私は教授の意に反して神戸のゴム会社、バンドー化学株式会社に途中入社してしまいました。守谷教授がゴム産業を「単なる混ぜ屋だよ」と半ば惜しみながら私を送り出してくれたことを覚えています。

さて、私が今日のコラムで書き残しておきたいことは、私が、と云うよりも守谷一郎教授が今回のノーベル化学賞に極めて近いところで研究していたことです。ひょっとしたら、守谷一郎教授がノーベル賞を受賞する可能性もあったと思ったからです。私が研究室に戻った時は、今回鈴木章教授が受賞した有機金属を触媒として用いた炭素原子のカップリング反応を既に発見していたからです。私は不勉強で、その反応が世界で初めて確認出来たものだったかどうかは分かりませんが、塩化パラジュームを触媒としてベンゼンとエチレンをカップリングしてスチレン(発泡スチレンの原料)を合成した画期的な反応を発見したことで研究室が沸き立っていた感じでした。 そして、私はその反応のプロセスを突き止める為に、金属分子と有機化合物が一時的に結合した中間体の存在を証明する研究をしていたことを今知りました。その研究成果を1970年の学会で発表したことを思い出しました。一時的に結合した中間体は極めて不安定な存在で、空気(酸素)に触れれば直ちに分解してしまうもので、オール窒素の雰囲気中での存在を分析機器を使用して証明したものでした。その時は、教授の指示に従って研究をしていたものですから、何故その研究をしなければならないのか、どう云う重要な意味が、目的があるかを理解しないまま、ただ実験していただけでした。

守谷一郎教授は鈴木教授が師事したH.C.ブラウン教授と深い結びつきがあり、ブラウン教授が一度守谷研究室に来られたことがあります(私も写った集合写真が残っております)。守谷教授はその後株式会社クラレに役員として転籍、大学の学問の場から離れられた為に、栄誉を受けられずに亡くなられてしまいましたが、私は今回のお二人の栄誉は守谷一郎教授だけでなく、その他数多くの先輩方の叡智の結集であることを実感している次第であります。

私がもし自分の実験の社会的意味を知っておれば、ひょっとしたらあのまま大学に残っていたかも知れないなと思いましたが、私は今も化学に近いところでの技術開発をしているのでありますから、工業技術を学問的にも解明する姿勢に戻ることが、守谷一郎教授への恩返しでもあるなと思い直したことです(守谷教授は私たち夫婦の仲人でもあります)。

合掌ーおかげさま

尖閣問題のコラムの続きは次回に延ばさせて頂きました。


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No.1043  2010.10.04
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと-3

前回のコラムで私は、「正しさとは、時代が変わっても、地域が異なっても、どんな立場の人に取っても変わらないものだと言えると思います。そう云う観点から、一人の人生の有り方を、また国の有り方を考えて行くのが、大乗仏教が唯一花開いた国である日本が取るべき道であり、それが世界に真の平和を齎すことになるのだと私は思っています。」と申しました。 では、今回の尖閣問題から日本が取るべき正しい道とは一体どう云う道でしょうか。

私は、昭和20年3月生まれの〝戦争を知らない子供たち〟として今日まで生きて来ました。日本が戦争に巻き込まれることを想像すらせずに65年間を過ごして来ました。従いまして、自分の心の裡(うち)に、愛国心を感じることは、オリンピックとか、大リーグでイチロー選手の活躍を誇りに感じると云うホンの一瞬しかありませんでしたが、今回、中国の理不尽な制裁と報復処置に初めて、私の心の中で愛国心がメラメラと燃え立ったことを経験しました。少なくとも、そうですね、70歳以下の国民の中には生まれて初めてのショックを感じた人も居るのではないかと推察しております。 少し大袈裟な表現になりますが、今回の尖閣諸島で起きた事件は、我が国民に取りましては157年前浦賀(今の神奈川県三浦半島の港)沖に来航した黒船に近いものがあるのではないかと思います。

私はこの機会に、我が国我が国民が棚上げして来た、「我が国の安全・安心を如何にして守るか」、つまり国防に付いて、結論を出すべきだと思います。敗戦直後は戦勝国の言いなりになるしかありませんでしたが、内外の情勢が大きく変わり、また日本が過去の侵略を大いに反省していることは対外援助や色々な場面を通して世界の国々が肌で感じているであろう現在、私は日本が「自分の国は自分達の力で守る」意志を表明しても良い時期に来ているのだと思います。 自分の国の安全・安心の維持を他国、他国の国民のみの力に任せることは、どう考えても不自然だと思います。自衛隊があっても攻撃されるまで手出しが出来ません。しっかりした防衛が出来ないから国民が拉致され、しかも拉致被害者を助け出すことすら出来ません。他国民に易々と繰り返し領海侵犯行為をされながら、逮捕すらままならぬ国家、こんな情けない国家はありません。

これらは一にかかって、我が国に軍事力が無いから起きている問題だと私は思います。おそらく、明日にでももう一度中国漁民が領海侵犯し同じく巡視艇に衝突して来ても公務執行妨害で逮捕はしないはずです。こんな国家は外にはないと思います。

だから、日本も核を持とうと言う訳ではありません。でも、故中川昭一氏が、「非核三原則は国民との重い約束だ。しかし、最近の北朝鮮の核兵器実験の動向を受けて、この約束を見直すべきかどうか議論を尽くすべきだ」と言われた際、国内には批判論が巻き起こり、アメリカ大統領から苦言が呈せられたそうですが、私は議論すべきだと思います。議論すべき時が来たっていると思います。少なくとも民主主義国家である限り、憲法改正と自主防衛の旗を掲げる政党が無いこと自体不自然だとすら思います。

昨夕、たまたまNHK番組『NHKスペシャル』で「スクープ!核を求めた日本」で、元外務事務次官村田良平氏が今年3月に亡くなる前の最後の証言を紹介していました。それは、佐藤内閣(1964年11月9日~1972年7月7日)が、政権樹立直前の1964年10月16日に起きた中国初の核実験に対しての危機感から、日本も核保有を目指すべしと云う考え方が内閣の一部にあり、核保有の可能性と課題等を極秘に調査し、その意思を佐藤首相自ら訪米し当時のジョンソン大統領にぶつけた経緯があると云うことです。しかし、ジョンソン大統領は少なくとも自分が大統領在任中は、日本を守るからと言う約束(丸秘契約書有り)の見返りに佐藤首相は内外に『非核三原則』を言明したということであります(佐藤氏は、それでノーベル平和賞を受賞)。

「世界で唯一の被爆国だから核廃絶の先頭に立つべし」と云う核の無い世界平和を望む意見があります。一方、「世界で唯一被爆国だからこそ、あの時日本が核を保有していたら原子爆弾は落とされなかったかも知れない。国民を核から守るために核抑止力としての核を保有すべし」と云う全く逆の意見もあると思います。 私は今どちらを選ぶかと云う質問に明確に答える結論を持っていませんが、少なくとも、そろそろ議論を始めて、国民が結論を出す時に来ているのだと思います。私は昨日のNHK番組は、珍しく勇気ある日本から世界に向けての発信になったと思います。議論すら封じて、核に守られながら世界平和を唱えることが本当に正しい国家の姿だと思えません。

原爆で被害を受けた方々の苦痛と、原爆を落としたアメリカの恐ろしさは決して忘れてはなりませが、二度目の核攻撃に国民を晒さすこともあってはならないと思います。 大いに議論をして結論を出す勇気を持ちたいと思います


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No.1042  2010.09.30
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと-2

今日は、午前中に開かれた国会の衆議院予算委員会の尖閣問題集中審議を視聴してからコラムを完成しようと思っていましたので更新が遅くなりました。
まことに申し訳ございません。

さて、今回の尖閣問題から学ぶべきことの一つは、国家も私たち個々人と同じで、どの国も自己中心だと云うことです。そして自己主張の張り合いが最も顕著に表れ、又これまで多くの戦争の原因となってきた領土・領海問題には主張すべきは主張して決着させることが政府の最も重要な役割と責任であることを国民が認識する必要があると云うことです。

昨日から中国の強硬一辺倒の姿勢に変化の兆しが見て取れますが、基本的には中華思想、つまり自己中心性(エゴイズム)が極めて強い国柄であり、色々な情勢分析から戦術的に外向きの言動をコントロールしているだけでありますから、日本は今回の尖閣問題を天から与えられた自己変革の絶好の契機として捉えるべきだと思います。中国と云う国が、他国民を拉致し、他国との約束を破って核開発を進めると云う無法国家北朝鮮を擁護し支援している国家であることを忘れてはなりませんし、それは自分の国が厄介な問題を抱えたくないが為であり、そしてすべては自分の国の利益をのみ優先して行動を起こしていることに思い至らなくてはなりません。

アメリカだって同じ自己中心の国家です。
アメリカも自分の同盟国が他国と領有権に関わるトラブルに遭遇していても、更には他国から攻撃を受けても様子を見守る程度で、積極的な支援・援護をしてくれません。それは韓国の領海で起きた北朝鮮の魚雷攻撃事件と今回の尖閣事件で明らかになったのではないかと思います。同盟関係を結んでいる値打ちは、戦争になってからではなく、戦争と云う最悪の事態にならない抑止力であってこそ初めて意義があり、今の日米同盟は抑止力として機能していないと言うべきではないかと思います。私たちは無意識のうちに日米同盟が日本を守ってくれるように過大評価しているのですが、アメリカも自国と自国民を犠牲にしてまで守ってはくれるはずがありません。アメリカの若い兵士が、日本国民に代わって、日本国民の為に血を流してくれるなんてことは有り得ないことに早く気付かねばなりません。

アメリカと中国だけではありません。
もう一つの大国ロシアも、敗戦直前の昭和20年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告した上で北方領土4島を不法に占領した国です。

どの国の政府も自国の国民を守るために漁場や資源獲得に血眼(ちまなこ)になる故に領土領海問題に敏感であり強く自己主張するのです。それと、元々土地も海も誰のものでもありません、地球のもの或いは地球上で生きる全ての生き物のものであります。従って本来は皆平等に仲良く分け合えば争いは起こらないのでありますが、欲に限りが無い〝煩悩〟を持つ人間社会では、殺し合ってでも自分のものにしようとするのが現実です。 唯一大乗仏教が花開いた日本国としては、今回問題となっている尖閣諸島もその周辺の海も、世界のものだと云う基本認識は持った上で、世界の多くの国々が歴史上でも国際法上でも、「尖閣諸島は日本に属する相当な根拠がある」と認めて貰えるように自己主張し納得して貰う外交努力をあらためて開始すべきだと思います。

日本は、明治維新以来昭和20年の敗戦に至るまでは、今のアメリカ、中国、ロシアに負けず劣らず自己主張の激しい領土拡張主義の国でした。東南アジアの国々に迷惑も掛けて来たことは事実だと思いますが、その反動でしようか、時計の振り子のように戦後は自己主張を引っ込め過ぎになったと思います。

今日の衆議院予算委員会の尖閣問題の集中審議の中で、野党多くが日本政府に対してよりも中国の姿勢を批判していましたが、唯一自民党の議員達だけが矛先を中国漁船や中国政府に向けず、ただただ菅総理大臣と仙谷官房長官に向けて、今回の船長釈放措置に官邸介入があったはずだと主張するだけでした。司法に政治が介入することは決して小さな問題ではありませんが、それよりも国益を損ねる民主党政権の弱腰外交に苦言を呈すべきであり、自民党政権が中国に対して主張して来なかった反省(尖閣問題は棚上げしようと云う当時の鄧 小平主席と合意したこと)を込めて、助言或いは後押しをすべきだったと思います。

私たちの人間関係においても、ここは重要なところです。仏教は相手の言いなりになることや無抵抗主義を唱えているのではありません。仏教は真実を求める教えであります。自分に自己主張があるように、相手にも自己主張があります。それを十分に認識した上で、お互いに根拠を説明した上で自らの主張を堂々と述べ合い、その時々の事案に対して公平公正な立場の第三者の意見を取り入れて合意に至る道筋を取るのが仏教の立場だあろうと思います。

追記:
仏教は真理・真実を求める教えであります。正しいことは何かを追及する教えでもあると私は思っております。
勿論、一方で仏教は、と云うよりも親鸞聖人は善悪・正邪を人間には量ることが出来ないとされています。人間とはそう云う無明・罪悪深重・煩悩熾盛の存在でありますが、それで良しとしている訳ではありません。そう云う自らの愚かさに目覚め、真理・真実に照らされて(求めて)生きて行くのが、仏道を歩むと云うことだと私は思っています。

正しさとは、時代が変わっても、地域が異なっても、どんな立場の人に取っても変わらないものだと言えると思います。そう云う観点から、一人の人生の有り方を、また国の有り方を考えて行くのが、大乗仏教が唯一花開いた国である日本が取るべき道であり、それが世界に真の平和を齎すことになるのだと私は思っています。また、私自身も、日常生活での問題解決に当たっての指針としているところであります。

尖閣問題もその観点から論じ合えば、日本が歩むべき道が自ずと明らかになると思います。先ずは政治家達が与野党が足の引っ張り合いをしている無意味さに目覚めることが問題解決の第一歩だと思います。


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No.1041  2010.09.27
尖閣問題から日本国民が学ぶべきこと

尖閣諸島の日本領海内で起きた中国漁船と日本の海上保安庁巡視船の衝突事件 に関連して生じた外交問題を日本国民は軽々に扱ってはならないと思います。また政府任せでもいけないと私は思っています。それは、領有権を含む日本の安全保障の根幹に関わる問題であり、私たちの生活を脅かすものだからです。

中国政府は日本と日本国民への制裁・報復処置を次々と打ち出して来ました。それに堪りかねて中国漁船船長を釈放してしまったことを私は大阪地検の主任弁護士の証拠隠滅事件等とは比べ物にならない位の国家の一大事、国民にとっての一大事だと思うのです。

一大事には、三つの意味合いがあります。一つは、中国は日本に何の脅威も、少しの遠慮もなく、何の躊躇も無く神経戦的な攻撃を仕掛けて来たことです。もう一つは、他国からの主権侵害・侵略行為に対して毅然とした対応策が取れない日本政府の頼り甲斐の無さが明らかになったことです。さらに三つ目は、 日本国民が無意識ながらも安心安全の唯一の防波堤として位置付けている日米安全保障条約の無効性が明らかになったことです。

今回の日本政府の対応に不安を感じた国民は多いと思います。中国の理不尽さと横暴さに腹立たしく無念な思いを抱いた人も多いようです。しかし、無関心の人も少なからず見受けられます。特に若い世代では無関心と云うよりも、自分の生活とは何も関係がない事として無視しているかのように思われます。

日本が温和な事なかれ主義と言う見方をする人達もいますが、決してそうではなく、国家のことも、否、自分の命の安全さえ忘れて、物欲の満足だけを追い求めるただの動物に成り下がってしまった国民と国家であることに気付かねばなりません。

現代日本は牙を抜かれた虎状態に有り、ある意味で敗戦後戦勝国アメリカが取った占領政策の成果なのですが、ここまでの状態は当のアメリカでさえ想定外だったかも知れません。 このままの日本ではアメリカと中国の属国として沈んで行くしかないように思います。最早政府に一任して済むことでもなく、政府を批判だけしておればよいと云う訳でもない、いわば坂本竜馬が日本の危機を感じて奔走した幕末・明治維新の時と同じ状況だと思います。 私は仏法で解き明かす応用問題として、日本のあるべき姿を数回のコラムで考察してみたいと思います。


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