No.1020 2010.07.01
失われた65年を取り戻さねばならないー(3)
日本のワールドカップ杯南アフリカ大会は終わりました。残念ながら初のベスト8は逃しましたが、これまでの国際試合でサッカーファンに与えて来たイライラ感、失望感は無かったのではないかと思います。それは多分、選手個々が持てる力を存分に発揮して強豪チームとほぼ互角の戦いを見せてくれたからだと思いますが、私は、これまでの代表チームに無かった控え選手を含むチーム全体の結束力を見せてくれたからではないかと分析しています。その結束力に日本のファンは酔いしれ、満足したのではないかと思っています。
デンマーク戦でフリーキックを決めた本田選手がその直後に控え選手達の輪の中に飛び込んで行って喜びを共有した場面、パラグアイとのPK戦でゴールを外した駒野選手を選手皆が体を抱かかえて健闘を称え励ましていた場面が、日本人がそのDNAに共通して持っている『和を尊ぶ魂』を呼び覚まし、現地に応援に行ったサポーター達とテレビ観戦のサッカーファンに満足感を与えたのではないかと思っています。
『和を尊ぶ魂』と申しましたが、これが鈴木大拙師の言われた『日本的霊性』に含まれるのだと思いますし、現代日本人が一番失ってしまっている心だと思われます。しかし、「失ってしまってはいるが無くなっているのではない」と、私は今回のW杯サッカーの応援に日本のサッカーファンが一致して見せた満足の表情に日本の可能性を見付けることが出来、ホッとした次第であります。
現在の日本社会の状況は、結束力から程遠いものであります。『和を尊ぶ魂』からは程遠い社会であります。昔は隣近所の付き合いはかなり深いものがありました。隣近所の家族構成はある程度把握していました。となりのお父さんの年齢やどんな仕事、どの会社に勤めているのかも知っていましたが、今は先ず顔を合わせることがありません。昔よく目にした奥さん達の井戸端会議は今では全くと言っていい程見かけません。私は今の家に住んで10年になりますが、隣のお嬢さんと顔を合わせたことすらありません。個人主義を第一とした教育の成果か、干渉しあわない地域社会が出来上がってしまいました。これは隣近所同士だけではなく、家族同士でも干渉し合わなくなっているのではないでしょうか。こう云う状態ではどんな経済政策を施しても、経済はよくならないと思われます。ましてや、他国からの攻撃を受けた場合、助け合うことはなく、我先にと自分の身だけを守る国民ばかり、否、先頭に立って日本と日本国民を守る役割に政治家達さえも自分だけが助かるよう努力するだけでしかない国家に成り下がっているのではないかと思われます。これは占領国アメリカが『和を尊ぶ魂』を持つ日本が再び蘇ることの無いように、様々な施策を施したからであると云う識者が居ますが、あるいはそうかも知れないと思わせる現在の日本の状況ではないかと思われます。
私は日本がアメリカの属国としではなく自立した国にならねばならないと思っております。しかしそれは反米の気持からではありません。日米同盟を破棄することを願っているのでもありません。むしろ、より強固な同盟関係に深化させるために、日本は日本として出来る東アジア全体の安全保障上の役割を担うべきだと思うからであります。藤原正彦氏の喩えを借りれば、『日米同盟を柱とするのは正しいが、集団的自衛権を行使しないという片務的状況を恥ずべき姿とも思わない。日米の駆逐艦が並んで走っていて、第三者に日本艦が攻撃されればアメリカ艦は助ける義務があるのに、アメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けない、助けられないというのだから子供が考えてもおかしい。』ではないか。これでは本当の日米同盟とは言えないではないか。
私は軍国主義者ではありません。戦争はすべきではないと思っています。第二次世界大戦にのめり込んで行った日本は間違っていたと思っています。自ら戦争を仕掛けてはいけないと思っています。又他国から戦争を仕掛けられないように、最も効果的な抑止力として平和外交を積極的に行わねばならないと思っていますが、それでもどの国家も生きるために何をするか分からないと云うのも確かであります。もし仕掛けられそうになった時は、勿論同盟国の力も借りながら、自分の国は自分で守ると云う行動が取れなければならないと思っています。
仏教徒の私が上述のような考えを持ちましたのは、仏法者として尊敬している井上善右衛門先生のお師匠の白井成允先生が『人類の平和について』と言うご著書(昭和27年8月発刊)に、そのようなご見解を述べられており、強い共感を覚えましたことと、鈴木大拙師も、その『日本的霊性』と言うご著書(昭和23年の暮)で、「われらの祖先から伝来しているものにもおのずから世界的意味がある。これはいたずらな国粋主義とか民族主義とか東洋主義とかいうものでなくて、もっと霊性的な意味を持つものである。これに徹底することによりて、今日の敗戦も意義あることになる。敗戦の遠い深い原因はかえって日本的・霊性的なものを自覚しなかったところに伏在していたとも言い得る。」と述べられていることで、さらに私は藤原正彦氏の『日本国民に告ぐ』に強い共感を覚えることが出来たからであります。
次回は、白井成允先生のご著書に著されている見解をご紹介させて頂きます。
合掌ーおかげさま
No.1019 2010.06.28
失われた65年を取り戻さねばならないー(2)
参議院選挙戦が始まり、消費税が争点となっています。菅首相は消費税増税を含めた財政再建への道筋を、党派を超えて議論を始めようと呼び掛けただけであり、消費税アップの是非が争点となるのは可笑しいと思いますが、何よりも、日本は消費税を争点するよりももっと大事な争点があるのではないかと言うのが、私が「失われた65年を取り戻さねばならない」と云うコラムを書く目的であります。 さて、「失われた65年を取り戻す為にはどうすればいいか?」それは現代の日本人が心の奥底で願い続けている日本らしさに気付くことから始めなければならないと思います。それを藤原氏の論文から、日本文明、日本の国柄、日本人の価値観に関する部分を下記に抜粋致します。
『日本文明を特徴づける価値観とはどんなものであったか。一つは、欧米人が自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は秩序とか和の精神を上位におくことである。日本人は中世の頃から自由とは身勝手と見なしてきたし、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていたのである。自分のためより公のために尽くすことのほうが美しいと思っていた。
従って、個人が競争し、自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であり、そんな社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきた。
このような独特な価値観はかろうじてながらまだ生きている。高校生に関する日本青少年研究所の統計データを見ても、「お金持は尊敬される」と思う人はアメリカで73%なのに対し、日本では25%しかいない。「自分の主張を貫くべきだ」と思う人はアメリカでは36%、日本では8%である。「他人のためより自分のためを考えて行動したい」に強く同意する人はアメリカで40%、日本では11%に過ぎない。思えば、帝国主義とは近代日本人の発想から生まれるのではなく、欧米のものであった。上述の「 」内の〝自分〟を〝自国〟に置き換えて見れば一目瞭然だ。国家が国際秩序とか平和より、自国を尊重し、自国の富だけを求めて自由に競争する。まさに帝国主義である。リーマンショックに始まり現在のギリシャ危機、ユーロ危機へ繋がり、まだまだ続きそうな国際経済危機は新自由主義によるものである。これまた欧米のものである。
万人が自由に、自分の利益が最大になるように死に物狂いに競争し、どんな規制も加えないですべてを市場にまかす。どんな格差が生まれ社会が不平等になろうとそれは個人の能力に差があるのだから当然のことだ、というのは、日本のものではない。日本人が平等を好むのは、自分ひとりだけがいかに裕福になろうと、周囲の皆が貧しかったら決して幸せを感じることが出来ないからだ。仏教の慈悲、武士道精神の惻隠(そくいん;いたわしく思うこと、あわれみ)などの影響なのだろう。日本は、帝国主義、そして新自由主義と、民族の特性にまったくなじまないイデオロギーに、明治の開国以来、翻弄され続けてきたと言える。今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の育んできた輝かしい価値観を再認識する必要がある。座標軸を取り戻すのだ。これなくしては根無し草のようなものであり、目前の現象にとらわれどんな浮き足立った改革をしてみても、どうなるものでもない。どの選挙でどの政党が勝ち、誰が首相になりどんな政策を打ち出そうが現代日本の混迷は解決するどころかひたすら深まるだけである。』
そして、藤原氏は、日本の自立する道筋に付いて次のように提案されています。
『日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的道筋の、必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない東京裁判の断固たる否定でなければならない。その上第二は、アメリカに押し付けられた、日本弱体化のための憲法を破棄し、新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作り上げることだ。現憲法の前文において国家の生存が他国に委ねられているからだ。そして自衛隊は明らかな憲法違反であり、「自衛隊は軍隊ではない」という子供にも説明出来ぬ嘘を採用しなければならなくなっているからだ。
次いで第三は、自らの国を自らで守ることを決意し実行することだ。他国に守ってもらう、というのは属国の定義と言ってよい。屈辱的状況にあっては誇りも何もないからだ。一時的にでも自らの力で自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を結ばねばならない。日本人の築いた文明は、実は日本人にもっとも適しているだけではない。個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠や「もののあはれ」などを美しいと感ずる我が文明は、「貧しくともみな幸せそう」という、古今未曾有の社会を作った文明である。この美的感覚は普遍的価値として今後必ずや混迷の世界をも救うものとなろう。日本人は誇りと自信を持って、これを取り戻すことでしか道は開けない。更にこの普遍的価値の可能性を世界に発信し訴えて行くことだ。』
私は、東京裁判の詳細を知りませんので、これを今更に否定することがどれだけの意味を持つのか分かりませんが、憲法の作り直し、自国を守れる軍事力を持った上で日米同盟を堅持することに同感であります。それが日本人の祖国愛を育み直し、失われた65年、否、欧米の価値観に依って日本文明を失い続けて来た140余年を取り戻すことになるのではないかと思っているところであります。
今参議院選挙の争点とされている消費税云々ということは、日本の再生には何にもならないことであります。こういう目先の経済政策の論議しか出来ない政治家達が政党の党首であったり、日本のリーダーである限り日本は浮かぶ瀬はないのではないかと思う次第であります。合掌ーおかげさま
No.1018 2010.06.24
失われた65年を取り戻さねばならないー(1)
『失われた10年』とか『失われた20年』とかよく言われます。『失われた10年』は、日本のバブルが崩壊した1993年から2002年までを言うそうです。また『失われた20年』とは、ベルリンの壁が崩壊し世界のバブルも崩壊が始まり、日本の株価が空前の38915円を記録した1989年から昨年までの20年間を言うようであります。
その『失われた10年』も『失われた20年』も共に経済発展上での失われた年月を言うのでありますが、私が表題にした『失われた65年』とは、古来から営々と培われてきた他国他地域に類を見ない程に結晶化された『日本の精神』が失われて来た敗戦後の年月を指します(丁度、それは昭和20年3月に生まれた私の年齢でもあります)。『日本の精神』と云うと極めて抽象的であり、分かり難いと思います。鈴木大拙師の表現を借りまして『日本的霊性』と申しますと、抽象的ではありますが何となく分かると言う方も居られるかも知れません。結論から申しますと、あの敗戦はただ単に軍事力の戦いで負けただけではなく、敗戦を境としてそれまで営々と築いて来た日本文化を含めてあらゆる主義・思想・風習の全否定に至らしめられ、国土も風土も精神文化も戦勝国アメリカに占領されてしまい、65年を掛けて日本と云う国も日本の国民性も失われて来たのだと私は思っています。
アメリカの巧妙な或いは狡猾と言っても良い仕掛けに無防備に洗脳されてしまったのだと云う識者もいますが、そもそも日本は古来から異文化を謙虚にそして巧妙に受け入れ消化して日本独自の文化に仕立て上げ、世界の七文明の一つと言われる日本文明を作り上げて来た国柄であります。中国から伝わった漢字から片仮名、平仮名を発明し、大陸から伝わった仏教をも日本独自の禅宗・浄土真宗に進化させて、世界で唯一大乗仏教の華を開かせた国なのであります。しかしその器用さがアメリカ文化をたったの十数年で吸収し、今では良かったのか悪かったのか高度経済成長と云う形となって表れたのだと思われますが、一方で、自分の国は自分で守ると云う国家としての基本姿勢を憲法上放棄させられていましたから、日本国民は65年間を掛けて愛国心と云う民族が生き生きと輝く源である大切な精神を失ってしまったのではないかと思います。
ただ少し希望の光が見えたと云えるかもしれません。日本国民は65年と云う年月を経て漸く日本が歩んで来た道に疑問を抱き始めたのだと思います。それが昨年の政権交代ではなかったかとも私は思います。しかし、未だはっきりとは何が一番の問題かを認識し共有するまでには至っていないのではないかと思います。私は愛国心を失ってしまったことが今の日本の閉塞感、挫折感の源にあると思っています。バブル崩壊後の『失われた15年』も、たまたま経済面で露(あらわ)になった行き詰まりであり、根元には行き過ぎた個人主義がはびこり、民族意識の喪失から来る地域を含めた日本社会崩壊現象ではないかと思う次第でありますが、この私と同じ思いを持っている人を極最近見付けました。
それは文芸春秋七月号に『日本国民に告ぐ』と云う論文を寄稿されている藤原正彦氏(お茶ノ水女子大名誉教授)であります。藤原氏は数学者でありますが、『国家の品格』と云うベストセラーを生み出されたエッセイストでもあります。私より1学年上の方であり、私と同じく失われた65年間を生きて来られたのでありますが、その主張を読んで、数少ない日本的霊性を失わずに生き延びてきた人だと思い、日本も未だ未だ捨てたものじゃーないと嬉しくなりまして、今回のコラムの表題に思い至ったのであります。
私たちの周りには、他人の迷惑を一切省みることの出来ない人種が溢れています。そして、一般社会では個人の権利のみを主張するモンスターピアレント(父兄)やモンスターペイシャント(患者)が問題になっております。また、国を治める主役の政治家に至っては、哲学も思想も持ち合わせることなく他党の議員や総理大臣を罵倒する攻撃的な議員が要職を占めるようになっており、それを喝采を持って報道するマスコミが現代日本文化の主役に躍り出ていますから、藤原正彦氏に限らず、何を糸口すればこの閉塞感から脱出できるか答えが見付からないまま、悶々としていると云うのが日本の現状ではないかと思います。
藤原氏はアメリカの属国で有り続けるように定められた日本国憲法の改定を主張されていますが、私も同意見であります。自分の国は自分で守る国にならなければ独立国家とは言えません。アメリカの意志を尊重する総理大臣は5年以上総理の座に居座れますが、鳩山首相の様に、対等な日米関係を主張しますと1年も持ちません。4月でしたか、鳩山首相が訪米した時、日米首脳会談を持って貰えませんでした。その時日本のマスコミはアメリカを非難せずに鳩山首相を馬鹿扱いしましたが、あれもアメリカの鳩山降ろしの仕掛けだったと見る識者も居ます。当たっているか居ないかは分かりませんが、日本の総理大臣が独立国家の代表者たり得て居ない身分であることは確かであります。
次回は、藤原氏の主張を抜粋しながら、失われた65年を取り戻す道筋を考察してみたいと思います。
合掌ーおかげさま
No.1017 2010.06.21
教行信証を披く-行巻(如来会の文)―13
● まえがき
前回は、インドで製作された『無量寿経』を漢訳した『大無量寿経』からの引用されたものでありましたが、今回は、同じ『無量寿経』の漢訳でも別の人が漢訳した『無量寿如来会(むりょうじゅにょらいえ)』から引用されたものであります。『無量寿経』の漢訳には年代及び訳者が異なる12訳があるそうですが、それらの全てをあの何かと不自由な鎌倉時代に読み込まれた親鸞聖人には驚きを感じるしかございません。親鸞聖人をそうせしめたのは、多分、ご自分が漸く遇い得た他力本願の教えを後代に遺さねばならないと言う使命感と、念仏禁止に動いた興福寺をはじめとする奈良仏教の僧侶達や、その僧侶達の訴えを聞き入れて念仏禁止令を出し、仲間の僧侶を死罪に処し、師匠法然上人と自分を流罪に処した朝廷に対する憤りがそのエネルギーの源では無かったかと思います。●行巻の原文
無量寿如来会(巻上)言、今対如来発弘誓、当証証字(諸応反験也)無上菩提因、若不満足諸上願、不取十力無等尊。心或不堪常行施、広済貧窮免諸苦利益世間使安楽。最勝丈夫修行已、於彼貧窮為伏蔵、円満善法無等倫、於大衆中獅子吼。(已上抄出)
又(如来会巻下)言。阿難、以此義利故、無量無数不可思議無有等等無辺世界諸仏如来、皆共称讃無量寿仏所有功徳。【已上】(二の六)● 和文化(読み方)
無量寿如来会(むりょうじゅにょらいえ)に言(いわ)く、今、如来に対して弘誓(ぐぜい)を発せり、当に無上菩提の因を証すべし、若(も)し、諸(もろもろ)の上願(じょうがん)を満足せずんば、十力(じゅうりき)無等尊を取らじと。心、或いは常行に堪へざらむものに施せむ。広く貧窮(びんぐ)を済(すく)ひて諸の苦を免がらしめ、世間を利益(りやく)して安楽ならしめむと。最勝丈夫修行し已(おわ)って、彼の貧窮にして伏蔵と為しむ、善法を円満して等倫無けむ、大衆の中にして獅子吼せむと。
又(如来会巻下)言く。阿難、此の義利を以ての故に、無量無数不可思議無有等等無辺世界の諸仏如来、皆共に無量寿仏の所有の功徳を称讃したまふと。【已上】(二の六)● 現代意訳(高木師)
『無量寿如来会』に説かれている。今、わたくしは如来の前で広い誓いを起こした。これによって、無上菩提のさとりを開こう。もし四十八の大願を成就することが出来なかったら、十種の智力をそなえた仏にはなるまい。普通の行のできない者に施しを与え、善根を持たない者を救って苦を離れさせ、世の人々を利益して安楽にさせてやりたい。・・・中略・・・わたしは最も優れた菩薩の行を成し遂げ、善根を持たない人々の為に伏蔵となろう。善法をまどかにそなえて、類いない仏となろう。そして大衆の中にあって、獅子のように法を説こうと。(以上抄出)
また説かれている。(如来会巻下)阿難よ、阿弥陀仏はこのように優れた働きがあるから、はかり知れない、数限りない、あらゆる世界の諸仏達が、みな口を揃えて阿弥陀仏の功徳を褒め称えられるのであると。(以上)● 現代意訳(本願寺出版の現代語版より)
『如来会』に説かれている。 「わたしは今、仏の前で弘誓を起こしたるこれを満たして必ずこの上ないさとりを得よう。もしこれらの願いが満たされなかったなら、十力をそなえたこの上なく尊い仏とはなるまい。普通の行に耐えられない者に施しを与え、功徳の無い者を広く救ってさまざまな苦を離れさせ、世の人々に利益(りやく)を与えて安楽にさせよう。(中略)
もっともすぐれた勇気あるものとして、修行を成し遂げて、功徳の無い人々のために無量の宝をおさめた蔵となろう。そして善をまどかにそなえ、他に並ぶもののない仏となり、大衆の中にあって高らかに法を説こう。」
また次のように説かれている。
「阿難よ、無量寿仏にはこのようにすぐれたはたらきがあるから、はかり知ることのできないあらゆる世界の数限りない仏がたが、みなともに無量寿仏の功徳をほめたたえておられるのである。」● 語句の意味
上願ー最高に優れた本願のこと。十力(じゅうりき)無等尊ー十種の智慧力わそなえられた尊いお方。仏のみが持っておられる智力てあるから無等尊という。付蔵(ふくぞう)ー地下に埋蔵されている宝ということで、ここでは名号のこと。● あとがき
これ以後も、延々と様々な経釈論からの引用が続きます。実に膨大な引用が続き、数十回のコラムになるものと思われます。親鸞聖人のご苦労を思えば、それらをすっ飛ばす訳には参りません。否、むしろそのご苦労を肌で感じる意味でも、丹念に勉強して参りたいと思っております。粘り強く、勉強にお付き合い下さい。合掌ーおかげさま
No.1016 2010.06.17
『はやぶさ』の快挙に思うこと
今週の日曜日(6月13日)、小惑星探査機『はやぶさ』が無事地球に帰還しました。打ち上げられたのが2003年5月9日ですから、丸7年掛けて小惑星『いとかわ』と地球を往復したのです。地球と小惑星『いとかわ』は3億キロ離れているそうです。3億キロと聞きましても、どの位の距離かイメージが湧きませんが、何でも太陽と地球の距離の2倍に当たるそうであります。
その3億キロ離れている『いとかわ』に着陸するまでの飛行距離は20億キロ、帰還するのに40億キロを要したそうですが、太陽の周りを回りながらランデブーする訳ですから、そのようなとてつもない飛行距離になるのでしょうが、兎に角私たちの想像を絶する探査であり冒険であります。『はやぶさ』が地球を出発した2003年頃の私は経済的危機の真っ只中にあった関係でしようか、『はやぶさ』のことも『いとかわ』のことも記憶にございません。従いまして、小惑星と聞きましても「どの星の惑星?」と云う有様ですが、『いとかわ』は、短い方が200メートル長い方が500メートルのピーナツの形をしていて、地球と火星の軌道を横切る形の軌道を周回する太陽系の惑星だそうです。
そんな小惑星に無事着陸しただけでも大したものですが、上手く平地に着陸出来なかったそうで、姿勢制御の不調から、太陽電池が太陽光を受けられずに5週間も音信不通になり、イオンエンジンとか云う推進機器も故障し、そのため帰還軌道に乗り損なって3年間も帰還が遅れたそうでありますが、宇宙科学研究所のスタッフは7年の間24時間体制で交信をし続けて、遠隔操作を行って、この度奇跡の生還を成し遂げました。
物理に弱い私は、全く頭が働かない分野でありまして、今回の快挙がどれ程大したことかを具体的な説明が出来ませんが、月より遠い惑星を往復したのは『はやぶさ』が初めてと云うことですから、人類の月着陸にも勝るとも劣らないまさに地球史上でも特筆されるべき快挙であることは間違いないでしょう。
5週間音信不通状態の時に、宇宙から届く様々な電波の中に『はやぶさ』からの電波が混じっていないか、電波画像を食い入るようにして観察し待ち続ける途方も無い作業を続けたスタッフの根気と努力、そしてあらゆる故障を予知して万一に備えて『はやぶさ』に対応策を施していた頭脳はまさに乾杯ものです。人類の知識と知恵に乾杯です。
しかし、よくよく考えて見ますと、その人類の頭脳を20億年かけて発達させたのも、またその人類が見付けた物理法則も全て人類の手柄ではありません。宇宙の意志と言いますか、働きと言いますか、仏法ではそれを『仏様』或いは『他力』と説き、『お蔭さま』と教えるのであります。
その『他力』の原理・原則・法則に気が付き、それを応用して他の星との往復を実行した人々の頭脳は勿論大したものでありますが、予測出来て予測を裏切らない『他力』の中での出来事であったからこそ為し得た快挙では無かったかと思います。 と申しますのは、何が起こるかを予測するにはあまりにも複雑な環境に在る地球上で、生まれてから65年も生き続けている私の命の方が、7年間掛けて『いとかわ』から生還した『はやぶさ』よりも、快挙と言えるのではないかと思ったからであります。
私は戦争末期の昭和20年3月8日に生まれました。9日後の3月17日には神戸大空襲があり、母は私を湯たんぽと共に抱いて焼夷弾が落ちて来る中を神戸市須磨区にある若宮小学校に避難したそうでありますし、また生後40日には疎開した島根県松江市の病院で、中耳炎の為に麻酔無しでの切開手術も受けたそうであります。また極々最近では阪神淡路大震災にも遇いました。そして死んでも仕方が無い自らの未熟さで起した車の自損事故もありました。それらのことを考えますと、今こうして生きていることは、まさに不可思議、奇跡、快挙と言えば快挙であります。
平凡な一日一日、毎朝目覚められること自体をこそ他力の快挙だと感謝しなければ・・・、と、『はやぶさ』の快挙に思ったことであります。また、こうして生かされて生きていること自体が『南無阿弥陀仏』であり、親鸞聖人が拝まれていた『帰命尽十方無碍光如来』なのだとあらためて思ったことであります。
合掌ー帰命尽十方無碍光如来
No.1015 2010.06.14
教行信証を披く-行巻(大無量寿経の文)―12
● まえがき
一ヶ月弱、『教行信証』の勉強を中断していましたが、再開させて頂きます。ここからの行巻は浄土真宗の行は南無阿弥陀仏の名号を称えることであることを示す経論釈からの引用文ばかりであります。
久しぶりですので、始めたばかりの行巻の大要に付いて、高木師の解説を下記に復習しておきたいと思います。『行巻には、真実の大行は南無阿弥陀仏の名号を称えることであることが示され、そしてそれは第十七願の誓いにもとづくものであることが述べられ、さらに経論釈を引いてその明証がなされている。すなわち〝大無量寿経〟ならびに異訳の諸経さらに三国七祖の論釈を引いて名号のいわゆる称名は破満の徳、さらに大行の本質である南無阿弥陀仏の名号論、すなわち六字釈義が釈述されているのである。要するに行巻においては、南無阿弥陀仏の名号は、これまったく他力廻向の法であることが示され、その名号が衆生に領受されるところが信心となるという、いわゆる行信不離の問題が釈成されていると言ってよい。そして他力ということが如来の本願力であるということを論定する他力釈があり、また名号の大行が一乗究竟の法であることを釈成する一乗海釈がある。このようにして念仏が諸善にくらべて最高の誓願一仏乗であることを示し、そしてその最後に〝正信念仏偈〟がそえられている』
引用文の繰り返しがかなり長い行巻が続きますが、親鸞聖人が為された厖大な勉強振りを知ることは又、南無阿弥陀仏の真実を頷く一助にもなるのではないかと考えます。粘り強く読み進みたいと思っております。
●行巻の原文
謹按往相廻向、有大行、有大信。大行者、則称無碍光如来名。斯行、則是摂諸善法、具諸徳本、極速円満、真如一実功徳宝海。故名大行。然斯行者、出於大悲願。即是名諸仏称揚之願、復名諸仏称名之願、復名諸仏咨嗟之願、亦往相廻向之願、亦可名選択称名之願也。
諸仏称名之願大経言。説我得仏、十方世界無量諸仏、不悉咨嗟称我名者、不取正覚。
又言(大経巻上)。我至成仏道名声超十方、究竟靡所聞、誓不成正覚。為衆開宝蔵広施功徳宝、常於大衆中説法師子吼。
願成就文経言。十方恒沙諸仏如来、皆共讃嘆無量寿仏威神功徳不可思議。
又言(大経巻下)。無量寿仏威神無極。十方世界無量無辺不可思議諸仏如来、莫不称嘆於彼。
又言(大経巻下)。其仏本願力聞名欲往生、皆悉到彼国自致不退転。● 和文化(読み方)
諸仏称名の願。大経に言く、説ひ我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して、我が名を称せずば、正覚を取らじと。
又(大経巻上)言く。我、仏道を成るに至りて、名声十方に超えむ、究竟じて聞ゆるところ靡(な)くば、誓ふ正覚を取らじと。衆の為に宝蔵を開きて、広く功徳の宝を施せむ。常に大衆の中に於て説法師子吼せむこと。
願成就の文。経(大経巻下)に言く。十方恒沙の諸仏如来、皆、共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ。
又(大経巻下)言く。無量寿仏の威神極り無し。十方世界無量無辺不可思議の諸仏如来、彼を称嘆せざるは莫しと。
又(大経巻下)言く。其の仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、皆、悉く彼の国に到りて、自ら不退転に到ると。● 現代訳(本願寺出版の現代語版より)
諸仏称名の願(第十七願)は、『無量寿経』に次のように説かれている。 「私が仏になったとき、すべての世界の数限りない仏がたが、ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開くまい」また次のように説かれている(無量寿経)。 「わたしが仏のさとりを得たとき、わたしの名号を広くすべての世界に響かせよう。もし聞こえないところがあるなら誓って仏にはなるまい。人々のためにすべての教えを説き明かし、広く功徳の宝を与えよう。常に人々の中にあって、獅子が吼えるように教えを説こう」
第十七願成就文は、『無量寿経』に次のように説かれている。 「すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる」
また次のように説かれている(無量寿経)。 「無量寿仏の大いなる徳はこの上なくすぐれており、すべての世界の数限りない仏がたは、残らずこの仏をほめたたえておいでになる」
また次のように説かれている(無量寿経)。 「その仏の本願のはたらきにより、名号のいわれを聞いて往生を願うものは、残らずみなその国に往生し、おのずから不退転の位に至る」
● あとがき
行信不離と云うことは、お念仏を称える心には阿弥陀仏の本願力を信じる心が伴っているものであり、本願力を信じれば自然とお念仏を称えずには居られなくなると云うことだと思いますが、私の場合、未だ未だ行信不離と云うには程遠いものがあります。本願力よりも、自分の持っている何か(科学知識なのか、何かしら能力なのか)を頼りにしているからに違いありません。でも、それ故にこうして仏法を求め続けているのだろうとも思っています。 いずれは、母の様に、井上善右衛門先生のように、白井成允先生のようにお念仏を称えることが生き甲斐、生まれ甲斐になる日が来るのだろうと信じています。他力廻向の念仏を信じたいです。親鸞聖人は、『帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)』と云う十字の名号の書を前にして、口では『南無阿弥陀仏』の六字の名号を称えておられたそうであります。『南無阿弥陀仏』は梵語ですが、それを和訳したのが『帰命尽十方無碍光如来』であります。名号を単なる呪文とは考えていらっしゃらなかった親鸞聖人の想いがあったのではないかと私は手前勝手な解釈をしております。
合掌ーおかげさま
(『帰命尽十方無碍光如来』を最も簡単な現代の日本語に致しますと、私は『おかげさま』ではないかと思っております。)
No.1014 2010.06.10
最小不幸社会?
菅内閣がスタートしました。プロ野球の開幕前、つまり戦いが始まっていない段階では、どの監督に対する評価も期待も大きいものです。しかし、何試合かすれば監督の評価は一変するものです。今年のプロ野球では既に辞任に追い込まれた監督も居ます。 菅内閣も上々のスタートを切ったかに見えましたが、早くも荒井国家戦略担当大臣の政治団体の事務所経費疑惑が取り沙汰され、野党は『政治と金問題追求の追い風』だと、手薬煉(てぐすね)をひいている状況であります。
どうして大臣就任直後にそのような情報が掴めるのか(マスコミが掴むのか、野党が掴むのか分かりませんが・・・)、また、それが何故与党サイドで大臣任命前に把握出来ていないのか、いつも不思議でなりませんが、この対応姿勢に依りましては民主党と菅内閣の行く末が決まるのではないかと思います。是非堂々と、且つ積極的に真実を明らかにして(経費の具体的使途を公表して)、政策論戦に持って行って貰いたいものです(政治と金問題にエネルギーを使って欲しくありません)。さて、菅首相は就任会見で、「政治の役割は、最小不幸社会をつくること」「政治の役割は、不幸の要素を一つずつ取り除くこと」と述べられました。私は『最小不幸』と云う言葉を初めて聞いたのですが、どうやら、「貧困、戦争等が起こらないようにすること」のようであります。
聞き様によりましては、消極的発言だとなりましょうが、菅首相の頭には、「人それぞれ、何に幸せを感じるかは異なる」と云う考え方があるのではないかと思います。鳩山さんと異なり、普通のサラリーマン家庭に育ったそうですし、3回落選の末に国会議員になったと云うことですから、経済的に苦しい経験をした中から、ひねり出した言葉ではないかと思われます。ただ、私は貧困も戦争も確かに不幸な状況であると思いますが、貧困そのものが不幸と云うよりも、貧困に孤立が結び付き易い社会であること、そして戦争は話し合い放棄と云う人間放棄の結果であること、つまりコミュニケーション能力が与えられた人間だからこそ決して有ってはならない状況を不幸と云うのではないかと思います。
そう云う考え方からすれば、現代の日本社会の不幸は、鳩山さんの掲げた友愛精神の欠如が齎(もたら)していると云えるかも知れません。友愛は言葉で何回叫んでも不幸を解消しないと思います。何度も直接会って、膝を突き合わせてコミュニケーションを取り、心と心の交流まで深められて初めて友愛が問題を解決するのだと思います。
菅首相には多分貧困(路上生活者、非正規雇用者)や公害・薬害に関するセイフティーネット構築が頭に有るのだと思いますが、セイフティーネット構築は飽くまでも対症療法でしかないと思われます。是非、遠い先の実現にはなりますが、助け合う社会、関心を持ち合う社会の構築に向けて、自らコミュニケーション力を発揮した政治をして見本を見せて貰いたいことは勿論でありますが、加えて是非ともそう云う人を育てる教育問題に手をつけて欲しいと思います。
私は8年前から3年前まで破産寸前の貧困に陥っておりましたが、友人の心優しい励ましのお蔭で何とか勇気を貰って乗り越えられ、そしてまた思いも掛けない支援や状況の変化のお蔭で所謂貧困から脱出しつつあります。そう云う体験から、金も大事だと思いますが、貧困を乗り越える意欲は心のサポート、つまり私への関心に依って意欲が育まれると云うことを実感として知りましたので、最小不幸社会は、関心を持ち合うことに依って生まれるのではないかと思った次第であります。
合掌ーおかげさま
No.1013 2010.06.07
此度の政変に思うこと(生き甲斐と生まれ甲斐)
私はこの五日間、鳩山内閣から菅内閣への政変を興味を持って見ています。2日の民主党両院議員総会での鳩山さんの辞任表明に始まって、昨日の内閣官房長官、民主党幹事長、国対委員長内定、そして小沢さんのビデオメッセージまで、洩れなく見させて貰っています。
多分多くの国民もテレビに釘付け状態ではないかと思われます。しかし何がそうさせるのでしょうか・・・。私がもの心ついてはっきりと内閣総理大臣と云う存在を認識しているのは1960年(私15歳)の安保騒動の時の岸信介首相であります。その岸首相から池田首相への政変から数えましてこの今回は23回目の政変であります。丁度50年間で23回も政変があったことになりますが、ここ最近は特に頻度が高まり、バブルが弾けたと謂われている1993年の細川内閣誕生から17年間で10回目の政変が起こっております。
この政変の度に私たちは何を期待してか、テレビに釘付けにさせられてきたように思いますが、内閣が代わって生活が変わったと実感したことは一度も無いのではないかと思います。少なくとも私にはございません。5年間も踏ん張った小泉さんの時にさえ良くもならず悪くもならなかったと振り返っております。間違いなく今回も何も変わらないのではないかと思われます。でも、多分、今日も明日も「内閣の布陣は?党の3役は?」と云うマスコミ報道を見るに違いありません。何故でしょうか。それは多分、マスコミが脚色する政変劇に興味があるからだけではないかと思います。
自分の生活、人生に何も劇的な影響を齎(もたら)さない政変に国民が注視するのは、ドタバタと面白いテレビドラマ、しかも登場人物も過去からの流れも熟知しているドラマだからではないかと思います。更に今回は樽床伸二と云う新しい登場人物が出演しましたので興味は倍増致しました。
何故こんなに興味を持つのかと考察致しますと、一つは政変劇は推理小説と同じで先を読むワクワク感があるからだと思いますが、もう一つは政変劇は最も人間の煩悩が渦巻く状況を見せてくれるからだと思います。私たちが日常生活で経験するあらゆる煩悩が目の前に演出されます。
喜怒哀楽、嫉妬、誹謗中傷、憶測、無視、ゴマすり、策略、妨害、愚痴、怒り、貪欲・・・私たちそれぞれ一人ひとりが漏らさず持っているあらゆる煩悩が如実に目の前で展開されます。人間は困ったことにその煩悩が好きなのです。煩悩とは自らを煩(わずら)わせ自らを悩ませるものでありますのに、どうしても煩悩から離れることが出来ません。要するに好きなのです。政治で私たちの生活も人生も劇的に変わることはありません。政治が私たちに幸せを与えてくれることはありません。実は仏法を見付けたお釈迦様は国王になる身分、つまり皇太子の座を捨てられて本当の幸せとは何かを求めて出家されました。政治が民を幸せに出来るとは思われなかったからのようであります。政治の世界はまさに権力闘争です。最も激しい権力闘争の世界で生きる人間が国民ひとり一人に平穏で安心安全な生活を与えてくれるはずもありません。一時期政界のトップに在られた聖徳太子は『和を以って貴しと為す』を十七条憲法に謳われましたが、当時の政治の世界に和が無かった証拠でありましょう。それが政界と云うものなのだと思います。
私は、人間には『生き甲斐』と『生まれ甲斐』があると思っています。『生き甲斐』とは、辛い人生をしばし忘れられる仕事とか趣味とか楽しい人間関係もそうでありましよう。政変劇を観るのも一つの『生き甲斐』と言ってもよいかも知れません。一方『生まれ甲斐』は、人間と云う命を持ってこの世に生まれた喜びを感じるものだと私は考えております。財産も名誉も家族は『生き甲斐』ではありますが、『生まれ甲斐』では無いと思っています。
人間に生まれた喜びを感じるには、真理が説かれているお釈迦様の仏法に依るしかないと思っております。束の間人生の辛さを忘れるには政変劇は充分に役に立ちますが、人生の本当の喜びを知るには『生まれ甲斐』を説く仏法に聞くしかありません。
そんなことを思いながら、また、私の甥っ子(総務委員会メンバー)が小沢チルドレンですので、何とか小沢氏のパワーだけを利用して何とか総理大臣を目指してこの政変劇を切り抜けて欲しいと願いつつ、しばし政変劇を楽しみたいと思っております。
合掌ーおかげさま
No.1012 2010.06.07
水俣と私―完
前回のコラムの冒頭で、私と妻の結婚は『偶然×偶然×偶然・・・・=必然』だったと云う表現を致しましたが、私がチッソ株式会社の水俣工場(以下、チッソ水俣と称します)赴任した事だけ見ましても、それはもう充分過ぎる位に必然としか思えないのでありますが、しかし、水俣と私と云うこのコラムを書かしめたのは、私がチッソ水俣に赴任しただけでは有り得ず、水俣で生まれ育った妻と結婚したからであることを思います時、仏法の『偶然×偶然×偶然・・・・=必然』と云う考え方に共感を覚えずには居られないのであります。
私が妻と初めて出会ったのは、チッソ水俣の同盟系組合の青年婦人部主催のバス旅行のバスの中でありました。正しい年月日は覚えておりませんが、多分私がチッソ水俣に赴任して既に1年過ぎていた春先ではなかったかと思います。40名位の参加者が居たと思いますが、偶々、私と妻の座席が前後(多分、私が前で妻が後ろだったと・・・)であったことと、妻の隣に座った女性がチッソ病院に勤務する看護婦さんで、偶々私とは組合活動の仲間だったことも有って、挨拶程度の会話を交わした事が、今日を齎(もたら)す事になったのでありました。
妻は高校の事務員をしており、普通はチッソ水俣の組合のバス旅行に来ることは無い立場でしたが、妻の父親(つまり今の私の義父)が、チッソ水俣に勤務していた関係で、父親と父親が親しくしていた青年婦人部の部長(チッソ病院のレントゲン技師)に勧められて参加したことを後に知りました。ですから、その部長が勧めた手前、妻の隣に自分の職場仲間の看護婦さんを配置したのだと今思うことであります
。 何れにしましても、あの日のバスの座席が一列でもズレていたならば、妻とその後の接触は有り得ず、結婚に至ることは先ずは有り得なかったのではないかと思います。
妻との直接的な交際はありませんでしたが、今振り返りますと、結婚の決め手となった5ヶ月間があります。と申しますのは、私がチッソ水俣に居たのが昭和43年4月から44年10月であり、妻と出会ったのが昭和44年5月頃ですので、妻と出会ってから5ヶ月後には国内留学の為水俣を離れたことになるのでありますが、その5ヶ月の間にも、妻と顔を合わしたのはホンの数回程度で、会話を交わしたことは殆ど無かったからであります。ただ、その5ヶ月の間に、上述の部長に紹介された妻の住む社宅には大変持成しの良い妻のご両親(つまり今の私の亡き義父母)が居られたので、直ぐ近くの独身寮に住む寂しがり屋で直ぐ人の好意に甘える性質の私は入り浸りと表現してよい位に通ったと云う経緯があります。この5ヶ月間が結果的には、私が結婚相手に妻を選ぶ決め手となったと今振り返っている訳であります。
色々と経緯はありますが、妻とは全く交際期間を持たずに、昭和46年4月1日に水俣まで結婚の申し込みに行き、2ヶ月も経たない昭和46年5月27日、私が大学職員の時に結婚し、今日に至っておりますが、今では、妻との間に二人の子供とその孫達5名の命が誕生しておりますし、先週の金曜日から日曜日かけて参りました博多も、妻の実兄の長男の結婚式への参列の為のものであり、その博多には妻の両親のお墓も有り、また一昨年から婿さんの転勤に依り長女一家が住む街でもあります。
このように、水俣はその後の私の人生の殆どを決める土地になっている訳であります。そして、再びもの心ついてからの過去を振り返り見ますと、今の私の状況(家族、仕事、私的公的人間関係等など)は、過去無数に起きた出来事の一つでも欠けていますと出現していないことが実感されます。例えば、「父親が小学5年の時に亡くなっていなかったら・・・」とか「中学の時にソフトテニスを始めていなければ・・・」とか「受験の時に、合成化学学科を選んでいなかったら・・・」とか「留年していなかったら・・・」、「あの時、バス旅行に行っていなければ・・・」、「バスの座席が違っていたら・・・」等など、全てが私の今一瞬の状況に関係していることを思う時、仏法の、「全ては縁に依って起こる」と云う『縁起の道理』と、親鸞聖人の「自分の力だけで生きているのではない、不可称、不可説、不可思議の力に支えられて生かされて生きている」と云う他力本願の教えに頷くしかないのであります。
そして頷くだけではなくて、この真理に気付き得る人間と云う命を貰ってこの世に在る幸せを他の多くの人々と共有し、人間関係を深めていきたいと思う次第であります。
合掌ーおかげさま
No.1011 2010.05.31
月曜コラム休ませて頂きます。
甥っ子の結婚式があり、金曜日から日曜日の3日間博多へ行っておりました。少々疲れておりますので、今日の月曜コラムは休ませて頂きます。