No.1014  2010.06.10
最小不幸社会?

菅内閣がスタートしました。プロ野球の開幕前、つまり戦いが始まっていない段階では、どの監督に対する評価も期待も大きいものです。しかし、何試合かすれば監督の評価は一変するものです。今年のプロ野球では既に辞任に追い込まれた監督も居ます。 菅内閣も上々のスタートを切ったかに見えましたが、早くも荒井国家戦略担当大臣の政治団体の事務所経費疑惑が取り沙汰され、野党は『政治と金問題追求の追い風』だと、手薬煉(てぐすね)をひいている状況であります。
どうして大臣就任直後にそのような情報が掴めるのか(マスコミが掴むのか、野党が掴むのか分かりませんが・・・)、また、それが何故与党サイドで大臣任命前に把握出来ていないのか、いつも不思議でなりませんが、この対応姿勢に依りましては民主党と菅内閣の行く末が決まるのではないかと思います。是非堂々と、且つ積極的に真実を明らかにして(経費の具体的使途を公表して)、政策論戦に持って行って貰いたいものです(政治と金問題にエネルギーを使って欲しくありません)。

さて、菅首相は就任会見で、「政治の役割は、最小不幸社会をつくること」「政治の役割は、不幸の要素を一つずつ取り除くこと」と述べられました。私は『最小不幸』と云う言葉を初めて聞いたのですが、どうやら、「貧困、戦争等が起こらないようにすること」のようであります。
聞き様によりましては、消極的発言だとなりましょうが、菅首相の頭には、「人それぞれ、何に幸せを感じるかは異なる」と云う考え方があるのではないかと思います。鳩山さんと異なり、普通のサラリーマン家庭に育ったそうですし、3回落選の末に国会議員になったと云うことですから、経済的に苦しい経験をした中から、ひねり出した言葉ではないかと思われます。

ただ、私は貧困も戦争も確かに不幸な状況であると思いますが、貧困そのものが不幸と云うよりも、貧困に孤立が結び付き易い社会であること、そして戦争は話し合い放棄と云う人間放棄の結果であること、つまりコミュニケーション能力が与えられた人間だからこそ決して有ってはならない状況を不幸と云うのではないかと思います。

そう云う考え方からすれば、現代の日本社会の不幸は、鳩山さんの掲げた友愛精神の欠如が齎(もたら)していると云えるかも知れません。友愛は言葉で何回叫んでも不幸を解消しないと思います。何度も直接会って、膝を突き合わせてコミュニケーションを取り、心と心の交流まで深められて初めて友愛が問題を解決するのだと思います。

菅首相には多分貧困(路上生活者、非正規雇用者)や公害・薬害に関するセイフティーネット構築が頭に有るのだと思いますが、セイフティーネット構築は飽くまでも対症療法でしかないと思われます。是非、遠い先の実現にはなりますが、助け合う社会、関心を持ち合う社会の構築に向けて、自らコミュニケーション力を発揮した政治をして見本を見せて貰いたいことは勿論でありますが、加えて是非ともそう云う人を育てる教育問題に手をつけて欲しいと思います。

私は8年前から3年前まで破産寸前の貧困に陥っておりましたが、友人の心優しい励ましのお蔭で何とか勇気を貰って乗り越えられ、そしてまた思いも掛けない支援や状況の変化のお蔭で所謂貧困から脱出しつつあります。そう云う体験から、金も大事だと思いますが、貧困を乗り越える意欲は心のサポート、つまり私への関心に依って意欲が育まれると云うことを実感として知りましたので、最小不幸社会は、関心を持ち合うことに依って生まれるのではないかと思った次第であります。

合掌ーおかげさま


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No.1013  2010.06.07
此度の政変に思うこと(生き甲斐と生まれ甲斐)

私はこの五日間、鳩山内閣から菅内閣への政変を興味を持って見ています。2日の民主党両院議員総会での鳩山さんの辞任表明に始まって、昨日の内閣官房長官、民主党幹事長、国対委員長内定、そして小沢さんのビデオメッセージまで、洩れなく見させて貰っています。

多分多くの国民もテレビに釘付け状態ではないかと思われます。しかし何がそうさせるのでしょうか・・・。私がもの心ついてはっきりと内閣総理大臣と云う存在を認識しているのは1960年(私15歳)の安保騒動の時の岸信介首相であります。その岸首相から池田首相への政変から数えましてこの今回は23回目の政変であります。丁度50年間で23回も政変があったことになりますが、ここ最近は特に頻度が高まり、バブルが弾けたと謂われている1993年の細川内閣誕生から17年間で10回目の政変が起こっております。

この政変の度に私たちは何を期待してか、テレビに釘付けにさせられてきたように思いますが、内閣が代わって生活が変わったと実感したことは一度も無いのではないかと思います。少なくとも私にはございません。5年間も踏ん張った小泉さんの時にさえ良くもならず悪くもならなかったと振り返っております。間違いなく今回も何も変わらないのではないかと思われます。でも、多分、今日も明日も「内閣の布陣は?党の3役は?」と云うマスコミ報道を見るに違いありません。何故でしょうか。それは多分、マスコミが脚色する政変劇に興味があるからだけではないかと思います。

自分の生活、人生に何も劇的な影響を齎(もたら)さない政変に国民が注視するのは、ドタバタと面白いテレビドラマ、しかも登場人物も過去からの流れも熟知しているドラマだからではないかと思います。更に今回は樽床伸二と云う新しい登場人物が出演しましたので興味は倍増致しました。

何故こんなに興味を持つのかと考察致しますと、一つは政変劇は推理小説と同じで先を読むワクワク感があるからだと思いますが、もう一つは政変劇は最も人間の煩悩が渦巻く状況を見せてくれるからだと思います。私たちが日常生活で経験するあらゆる煩悩が目の前に演出されます。
喜怒哀楽、嫉妬、誹謗中傷、憶測、無視、ゴマすり、策略、妨害、愚痴、怒り、貪欲・・・私たちそれぞれ一人ひとりが漏らさず持っているあらゆる煩悩が如実に目の前で展開されます。人間は困ったことにその煩悩が好きなのです。煩悩とは自らを煩(わずら)わせ自らを悩ませるものでありますのに、どうしても煩悩から離れることが出来ません。要するに好きなのです。

政治で私たちの生活も人生も劇的に変わることはありません。政治が私たちに幸せを与えてくれることはありません。実は仏法を見付けたお釈迦様は国王になる身分、つまり皇太子の座を捨てられて本当の幸せとは何かを求めて出家されました。政治が民を幸せに出来るとは思われなかったからのようであります。政治の世界はまさに権力闘争です。最も激しい権力闘争の世界で生きる人間が国民ひとり一人に平穏で安心安全な生活を与えてくれるはずもありません。一時期政界のトップに在られた聖徳太子は『和を以って貴しと為す』を十七条憲法に謳われましたが、当時の政治の世界に和が無かった証拠でありましょう。それが政界と云うものなのだと思います。

私は、人間には『生き甲斐』と『生まれ甲斐』があると思っています。『生き甲斐』とは、辛い人生をしばし忘れられる仕事とか趣味とか楽しい人間関係もそうでありましよう。政変劇を観るのも一つの『生き甲斐』と言ってもよいかも知れません。一方『生まれ甲斐』は、人間と云う命を持ってこの世に生まれた喜びを感じるものだと私は考えております。財産も名誉も家族は『生き甲斐』ではありますが、『生まれ甲斐』では無いと思っています。

人間に生まれた喜びを感じるには、真理が説かれているお釈迦様の仏法に依るしかないと思っております。束の間人生の辛さを忘れるには政変劇は充分に役に立ちますが、人生の本当の喜びを知るには『生まれ甲斐』を説く仏法に聞くしかありません。

そんなことを思いながら、また、私の甥っ子(総務委員会メンバー)が小沢チルドレンですので、何とか小沢氏のパワーだけを利用して何とか総理大臣を目指してこの政変劇を切り抜けて欲しいと願いつつ、しばし政変劇を楽しみたいと思っております。

合掌ーおかげさま


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No.1013  2010.06.07
水俣と私―完

前回のコラムの冒頭で、私と妻の結婚は『偶然×偶然×偶然・・・・=必然』だったと云う表現を致しましたが、私がチッソ株式会社の水俣工場(以下、チッソ水俣と称します)赴任した事だけ見ましても、それはもう充分過ぎる位に必然としか思えないのでありますが、しかし、水俣と私と云うこのコラムを書かしめたのは、私がチッソ水俣に赴任しただけでは有り得ず、水俣で生まれ育った妻と結婚したからであることを思います時、仏法の『偶然×偶然×偶然・・・・=必然』と云う考え方に共感を覚えずには居られないのであります。

私が妻と初めて出会ったのは、チッソ水俣の同盟系組合の青年婦人部主催のバス旅行のバスの中でありました。正しい年月日は覚えておりませんが、多分私がチッソ水俣に赴任して既に1年過ぎていた春先ではなかったかと思います。40名位の参加者が居たと思いますが、偶々、私と妻の座席が前後(多分、私が前で妻が後ろだったと・・・)であったことと、妻の隣に座った女性がチッソ病院に勤務する看護婦さんで、偶々私とは組合活動の仲間だったことも有って、挨拶程度の会話を交わした事が、今日を齎(もたら)す事になったのでありました。

妻は高校の事務員をしており、普通はチッソ水俣の組合のバス旅行に来ることは無い立場でしたが、妻の父親(つまり今の私の義父)が、チッソ水俣に勤務していた関係で、父親と父親が親しくしていた青年婦人部の部長(チッソ病院のレントゲン技師)に勧められて参加したことを後に知りました。ですから、その部長が勧めた手前、妻の隣に自分の職場仲間の看護婦さんを配置したのだと今思うことであります

。 何れにしましても、あの日のバスの座席が一列でもズレていたならば、妻とその後の接触は有り得ず、結婚に至ることは先ずは有り得なかったのではないかと思います。

妻との直接的な交際はありませんでしたが、今振り返りますと、結婚の決め手となった5ヶ月間があります。と申しますのは、私がチッソ水俣に居たのが昭和43年4月から44年10月であり、妻と出会ったのが昭和44年5月頃ですので、妻と出会ってから5ヶ月後には国内留学の為水俣を離れたことになるのでありますが、その5ヶ月の間にも、妻と顔を合わしたのはホンの数回程度で、会話を交わしたことは殆ど無かったからであります。ただ、その5ヶ月の間に、上述の部長に紹介された妻の住む社宅には大変持成しの良い妻のご両親(つまり今の私の亡き義父母)が居られたので、直ぐ近くの独身寮に住む寂しがり屋で直ぐ人の好意に甘える性質の私は入り浸りと表現してよい位に通ったと云う経緯があります。この5ヶ月間が結果的には、私が結婚相手に妻を選ぶ決め手となったと今振り返っている訳であります。

色々と経緯はありますが、妻とは全く交際期間を持たずに、昭和46年4月1日に水俣まで結婚の申し込みに行き、2ヶ月も経たない昭和46年5月27日、私が大学職員の時に結婚し、今日に至っておりますが、今では、妻との間に二人の子供とその孫達5名の命が誕生しておりますし、先週の金曜日から日曜日かけて参りました博多も、妻の実兄の長男の結婚式への参列の為のものであり、その博多には妻の両親のお墓も有り、また一昨年から婿さんの転勤に依り長女一家が住む街でもあります。
このように、水俣はその後の私の人生の殆どを決める土地になっている訳であります。

そして、再びもの心ついてからの過去を振り返り見ますと、今の私の状況(家族、仕事、私的公的人間関係等など)は、過去無数に起きた出来事の一つでも欠けていますと出現していないことが実感されます。例えば、「父親が小学5年の時に亡くなっていなかったら・・・」とか「中学の時にソフトテニスを始めていなければ・・・」とか「受験の時に、合成化学学科を選んでいなかったら・・・」とか「留年していなかったら・・・」、「あの時、バス旅行に行っていなければ・・・」、「バスの座席が違っていたら・・・」等など、全てが私の今一瞬の状況に関係していることを思う時、仏法の、「全ては縁に依って起こる」と云う『縁起の道理』と、親鸞聖人の「自分の力だけで生きているのではない、不可称、不可説、不可思議の力に支えられて生かされて生きている」と云う他力本願の教えに頷くしかないのであります。

そして頷くだけではなくて、この真理に気付き得る人間と云う命を貰ってこの世に在る幸せを他の多くの人々と共有し、人間関係を深めていきたいと思う次第であります。

合掌ーおかげさま


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No.1011  2010.05.31
月曜コラム休ませて頂きます。

甥っ子の結婚式があり、金曜日から日曜日の3日間博多へ行っておりました。少々疲れておりますので、今日の月曜コラムは休ませて頂きます。


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No.1010  2010.05.27
続ー水俣(みなまた)と私

私が妻と結婚する経緯には、今振り返りますと偶然×偶然の掛け算が果てしなく続くのであります。それを仏法では必然であると考えるのではないかと思っていますが、このお話は次回に譲らせて頂きまして、今回は公害(水俣病など)と企業の取り組む姿勢に関して私見を述べたいと思います。

私は決してチッソの肩を持つ積りはありませんし、原田医師が昨今成立した法律に基づき、3年以内に出来る限りの水俣病患者の掘り起こしをする為に、全国の医師・看護師に呼び掛けられ、またご自身も単独で水俣病認定を希望する人々の診察に足を運んで居られることに心から敬意を表するものであります。

ただ、水俣病がここまでその公害の範囲を拡大させ、且つ胎児性水俣病と云う深刻な事態に至らしめた事には、企業サイドと国が立場上明確に表現出来ない言い訳(?)があると思いますので、その部分を私なりに明らかにし、今後この様な悲劇が繰り返されない為にも、また何も知り得る立場に無い一般の人々が突如として暗澹たる人生に暗転しない為に以下の提言したいと思います。

水銀はご承知のように唯一私たちが眼にする液体金属でありまして、体温計に使用されており、昔は体温計が壊れると、水銀は毒だからと云うことで恐々(こわごわ)扱ったものですが、直接接触したから直ぐにどうなると言うものではありませんが、これがジメチル水銀と云う有機水銀になりますと、致死量は0.001グラムと言われている猛毒になります。

水俣病は、チッソ株式会社(以下チッソと称します)が1930年から始めていたアセチレンと云うガスと水を反応させてアセトアルデヒドと云う化学薬品を製造する工程からの排液が原因でありますが、水俣病が発生したことが確認されたのが1956年であり、20年間も何も起こっていなかった事、そして、チッソが反応に使用していたのが硝酸水銀と云う無機物であったことから、チッソも医学関係者も自治体も国も、工場廃液が原因であることに思い及ばなかったと云うことになっているのだと思います。

しかし、私は化学者なら化学反応が単純なもので無いこと、ましてや触媒を使用する反応では、反応中間体が生成することは容易に予見出来ることでありますから、当時のチッソ(旧社名は日本窒素肥料株式会社)は、東大の銀時計クラス(各学部首席卒業者に銀時計が贈られていた)が入社していた会社でしたから、技術者の中には、秘かに工場廃液ではないかと不安を抱いていた者も居たはずだと私は考えます。

しかし、もしそんなことを社内で発言したとしても、最新の化学知識を持たない上司や経営トップに簡単に握り潰されたに違いありませんし、反会社的危険人物として冷遇されるに違いありませんから、技術者の良心は結果として働かなかったのではないかと思います。

従って1956年に水銀に依る水俣病患者が確認されてもチッソの工場の廃液と断定はされませんでしたし、たぶんチッソでも大学でも原因究明の研究は為されなかったのです。そして、1968年までの12年間排液は垂れ流され続けたのであります。もしその当時のチッソに自分の工場の廃液が原因である可能性を疑った化学技術者が居たならば、もし真実に果敢に取り組む技術者が居たならば、水俣病患者数はこれほどまでに増大しなかったかも知れません。

ただ、もし真摯な技術者が居たとしても、有機水銀排液を生み出すプラントの製品であるアセトアルデヒドは塩化ビニールを柔らかくする極めて有用な薬品(可塑剤と云われます)等の主原料でありましたから、アセトアルデヒドの生産ストップは、即チッソの倒産に直結するものでありましたでしょうし、チッソだけでなくアセトアルデヒドを生産していた全国の有名化学会社が総倒れになりかねないものでありましたから、もし体を張って提言した技術者がいたとしても、当時の工場長は勿論のことチッソの経営者も、はたまた自治体も国も結果的にはストップをかけられなかったのではないかと思います。

しかしそれが一番の問題であります。結局、原田医師が言われるように、絶対的に強者である国(政府と官庁の行政組織)と云うものが、絶対的弱者である国民の生命を守るよりも、国の産業と企業を守ることを優先することが最大の問題であり、それを解決せずして日本には平和も安心して暮らせる幸せもやって来ないのだと思います。

国は、産業や企業を守ることを優先すると申しましたが、その根底には、大臣、政治家、役人の一人ひとりが自分一人の地位や生活を守りたいだけの話ではないかと思われます。自分の命を賭けて国民一人ひとりの安心と安全を守る政治家や役人が輩出されるような日本にならなければ、国民の知らぬ間に公害が垂れ流されることが繰り返されるのではないかと思います。

原田医師が一番訴えたいことは、そう云うことではないかと思います。チッソ水俣に一時期にしても席を置いた者として、水俣病の真実を知らなかったことを反省している次第であります。


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No.1009  2010.05.24
水俣(みなまた)と私

水俣(みなまた)とは、熊本県水俣市のことであります。水俣病(みなまたびょう)と言えば皆さんお分りになるのでしょうが、一般の方々は水俣を「みなまた」とは読めないと思いまして説明させて頂きました。更に水俣の場所でございますが、鹿児島県と熊本県の県境に位置し、隣の市が鶴の飛来地として有名な出水市でございます。沖合いに天草諸島が望め、且つ不知火海に面する実に風光明媚な港町であり温泉町でもございます。

私は42年前の4月に大学を卒業してチッソ株式会社(以下チッソと称す)の、その水俣工場に赴任しました。チッソは私の所属していた研究室の教授の推薦した就職先でした。そしてそのチッソ就職は私のその後の運命に決定的な影響を与えました。過言すれば、今の私があるのはチッソ水俣赴任無くして有り得ないと云うものであります。

それは、私の妻が水俣出身だからです。私がチッソに就職していなければ、私が水俣へ行かなければ、二人の子供もその孫達5人も居ないのですから、水俣無くして私の現在は無いと云う訳であります。チッソには2年7ヶ月しか勤務しませんでしたが、冒頭で申しましたチッソ就職が私の運命だったと云うのには更に説明を要します。

つまり大袈裟に運命だと申しましたのは、中学のクラブ活動として選んだソフトテニス、そして高校進学の際に選んだ高校、そしてくじ引きで引き当てた大学専門課程の所属研究室が揃わなければ、私のチッソ就職は起こり得かったと振り返るからです。
と申しますのは、私は中学2年生の時に兵庫県新人選手権で準優勝しテニスには自信を持っていましたが、背伸びして入学した県内有数の進学高では、国立大学入学を目指し好きなテニスを封印して私にしては珍しく勉強に励み、現役入学した見返りとして母親に懇願してテニスに打ち込ませて貰い、結果として大学では1年留年すると云う経緯があるからです。もし、まともに卒業しておれば、その年はチッソが大卒採用を見送っていましたから、もし落第していなければ、チッソへの就職は無かったと云う訳であります。

さて、先週の日曜日に水俣病の患者に寄り添い患者の掘り起こしに今なお人生を捧げて居られる原田正純医師(元熊大助教授)紹介のテレビ番組を見たことを申し上げましたが、私がチッソ水俣工場赴任した日が、偶然にも水俣病の原因物質であるメチル水銀を排出していたプラントが操業を停止された日でありました。昭和31年に初めて水俣病患者が確認されたそうでありますから、私が赴任した昭和43年までの12年間もあの美しい水俣の海にチッソはメチル水銀を垂れ流していたことになります。更に胎児性水俣病が確認された昭和36年以降もメチル水銀は垂れ流されていたことにもなります。

私は入社前から水俣病と云う病名は聞き知っておりましたが、詳細を知らずしてチッソに入りました。多分私をチッソに推薦してくれた教授も水俣病の現実と経緯を知らなかったのだと思います。もし、入社前に、私が原田医師の活動や胎児性水俣病の実態を知っていれば、私はチッソには入社しなかったと思います。

今にして思えば、私がチッソに入社してから(新入社員研修が約2週間東京のチッソ本社でありました)、そしてチッソ水俣工場に赴任してからも、水俣病に関する説明は一切受けなかったように思います。少なくとも私には記憶がありません。また今にして思えば異常でしかありませんが、職場で話題になったこともありませんでした。そして、私が水俣病を意識したのは、チッソ水俣へ赴任した翌年に、工場の正門前に患者関係者が押しかけて来た時でした。その時、一体どうなっているのかと疑問を抱いた訳でありました。

私は、昭和45年10月末に2年7ヶ月勤務したチッソを退職したのですが、今思い返しますと、当時は何も疑問を持たなかった色々な出来事が、私がチッソを退職することと無関係ではなかったことに気が付きました。或いは真実は異なるのかも知れませんが、JR西日本を始めとして、何としても企業を守ろうとして外部に自らの非を隠し通そうとする多くの大企業の経営トップ達の姿を見るに付け、今の私は、「自分は若かったなぁー、幼かったなぁー」と当時を振り返らざるを得ません。

私は昭和43年に入社し、一年半後の昭和44年10月に東京大学の産学協同研究所への国内留学を命じられました。入社して取り組んでいたグリオキザールと云う化学薬品の応用研究と云うテーマを背負っての転勤でありましたが、色々な開発に携わって来た経験を踏まえて今考えますと、その化学薬品の開発状況からはその留学の必然性を感じません。あの留学は、先述した昭和44年の水俣チッソ工場正門に押しかけて来た水俣病患者とその関係者の姿を見て、水俣病の補償に付いて、一日も早く患者側と真摯な話し合いを持つことが、チッソの将来にとっても、チッソ従業員にとっても、また水俣にとっても大変大切なことであると、労働組合の新聞の一面に投稿した私の記事が、経営者に危機感を与えたことによる人事異動ではなかったかと想像しています。

東大での研究が1年経過した時、今度は私に水俣工場の労働組合の専従者(書記長)として水俣に帰るよう人事異動が伝えられました。当時の組合は総評系(共産党系)と同盟系(会社側)に分裂しており、私はその会社側の組合(当時は御用組合と言われていた)の専従員として戻れと云うものでした。そして、東京本社の上司が、「大谷君これはいい話だよ。これを断ったら会社には居られないよ。」と私に忠告しました(上司の忠告の背景には、御用組合の幹部は出世コースに乗っている当時の暗黙の約束があったのではないか・・・)。

正義感に燃えていた若い私は、勿論、その人事異動を拒否しました(今思えば、私が拒否して会社を辞めることを想定していたのではないかと・・・)。そして、一旦水俣へ帰り、人事異動を決断したであろう当時の水俣支社長と面談し、形ばかりに引止められはしましたが、昭和45年10月末でチッソを退職致しました。勿論、この退職は私をチッソに送り込んだ大学教授に相談した上でのことでした。教授も、水俣病問題が世間を賑わしていましたから、多少の責任を感じてくれていたのでしょう、私に文部技官と云う国家公務員としての職を用意してくれましたので、失職はしませんでした。

当時の私はある意味で自信過剰で、また幼い考え方の持ち主で、東大への留学、御用組合の幹部への登用を私への期待と受け取っていましたし、ごく最近までずっとそう思っておりました。しかし、最近特に目に付く大企業の経営者達の狡猾さ、誠意の無さを見るに付け、私の受け取り方は、真にまことにおめでたい受け取り方であったと恥ずかしささえ覚えているところであります。

これで終われば水俣と私の縁は切れてしまいますが、チッソを退職して7ヵ月後の昭和46年5月27日に水俣在住の妻(当時21歳)と結婚を致しまして、水俣と私は切っても切れない縁が続き、子供2人が、そして孫5人が生まれる訳でありますが、一旦筆をおかさせて頂きます。

-次回に続きます

合掌ーおかげさま


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No.1008  2010.05.20
究極のマジック

『マジックとは、人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける芸能である』といわれておりますが、私たちは、私たちの目の前に起こっている全ての現象や存在こそ究極のマジックであることを忘れているのではないかと思います。

私がこの世に生まれ出たこと自体本当に不思議な現象です。こんなマジックはどんな有能なマジシャンでも出来ないマジックです。春になって木の芽が出る、桜の花が一斉に咲き誇るなどと云うのも究極のマジックです。

マジックには必ず種があり、〝種明かし〟して貰えば、「何だ、そう云うことだったのか・・・」と必ず納得出来ますが、私がこの世に生まれ出たと云う究極のマジック、或いは春先に木の芽がヒョコッと現れるマジックの種を明かせる人は居ません。種は必ずあるはずですが・・・。

実は、この種明かしに成功した人が居ます。それはお釈迦様と親鸞聖人です。種が明かせた喜びを言葉として遺されています。お釈迦様の「天上天下唯我独尊」と親鸞聖人の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」が、種が明かせた喜びのお言葉ではないかと思います。「私が私に出遇う為にこの世に生まれ出たんだ」と云う自覚の言葉ではないかと思います。

仏道の悟りを求めると云う行為は、実は究極のマジックの種明かしをしようと云うことではないかと思う次第であります。仏様とは究極のマジシャンなのかも知れませんね。

合掌ーおかげさま


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No.1007  2010.05.17
教行信証を披く-行巻―11

まえがき
『教巻』は前回で終わりまして、今回から『教行信証』の教・行・信・証の中の〝行巻〟を披(ひら)き、勉強することになりましたが、先ず、私たちがなかなか分かり難い言葉『往相廻向』に出会います。その一般向けの意味をウィキペデイアに求めますと下記のように説明されています。

往相回向(おうそうえこう)とは、浄土真宗の重要な教義で、還相回向(げんそうえこう)に対する言葉である。中国の曇鸞の主著『浄土論註(往生論註) 』のなかに、『自分の行じた善行功徳をもって他の人に及ぼし、自分と他人と一緒に弥陀の浄土に往生できるようにと願うこと が往相回向であるとする。
親鸞聖人は、往相回向も還相回向もともに、阿弥陀仏によって回向された他力によるものであるとして、自分の力をたのんで善行功徳を行じる自力を排し、すべてが阿弥陀仏の本願力によるものであるとした。』と説明されています。

つまるところ、『行』とは、いわゆる千日回峰行のような難行苦行でもなく、滝に打たれたり、護摩を焚いたりする荒行でもなく、『南無阿弥陀仏』とか『尽十方無碍光如来』の名号を称えることなのでありますが、それらの行は仏菩薩が私たち衆生の為に果たされた『大行(だいぎょう)』であり、私たちはその廻向を賜ると云うことのようであります。従いまして、『易行(いぎょう)』と言われる浄土真宗における『行』とは、浄土への往生を請い願って『南無阿弥陀仏』を称える事を指すのではないのだと思われます。 多分、私たちの名号を称える『行』とは浄土への往生の道を完成させて私たちを導びかれている過去の高僧方や、お釈迦様をはじめとする多数の仏菩薩方、そしてそれらの仏たちをこの世に生まれ出さしめた本願他力に対しての感謝の念仏を指すのではないかと思われます。

●教巻の原文
謹按往相廻向、有大行、有大信。大行者、則称無碍光如来名。斯行、則是摂諸善法、具諸徳本、極速円満、真如一実功徳宝海。故名大行。然斯行者、出於大悲願。即是名諸仏称揚之願、復名諸仏称名之願、復名諸仏咨嗟之願、亦往相廻向之願、亦可名選択称名之願也。

● 和文化(読み方)
謹んで往相の廻向を按ずるに、大行有り、大信有り。大行は則ち無碍光如来の名を称するなり。斯の行は即ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。故に大行と名づく。然るに斯の行は、大悲の願より出でたり、即ち是れ諸仏称揚の願と名づく。復た諸仏称名の願と名づく、復た諸仏咨嗟の願と名づく。亦た往相廻向の願と名づく、亦た選択称名の願と名づくべきなり。

● 語句の意味
大行ー行には行動する意味と、進み赴く意味とがあり、南無阿弥陀仏の名号にはこの働きがあることを云う。故に名号のことを大行と云う。大信ー如来廻向の信心を云う。無碍光如来の名を称するー南無阿弥陀仏の名号を称えることを云う。無碍光如来とは尽十方無碍光如来のことで、阿弥陀如来をさす。如来の光明は十方世界を照らし邪魔するものがないから尽十方無碍光如来と云う。善法ー仏になるための諸善万行を云う。徳本ー仏になるための一切の功徳の根本となる万行のこと。極速円満ー名号の中にそなわっている善根功徳がまどかにほどこされ、信心の一念にたちどころに行者の身にみちみつことを云う。真如一実ー衆生の虚妄分別を超えた、存在のありのままの姿。すなわち全ての存在の本性があらゆる差別の相を超えて絶対の一であることを云う。大悲の願ー如来の大慈悲の願ということで、ここでは第十七願をさす。諸仏咨嗟の願ー諸仏が弥陀の名号をほめねることを誓った願と云うこと。

● 現代訳(本願寺出版の現代語版より)
つつしんで往相の廻向をうかがうと、大行と大信とがある。大行とは、無碍光如来の名号を称えることである。この行は、あらゆる善をおさめ、あらゆる功徳をそなえ、すみやかに衆生に功徳を円満させる、真如一実の功徳が満ち満ちた海のように広大な法である。だから大行と名付けるのである。ところでこの行は大悲の願である第十七願から現れたもので、この願を諸仏称揚の願と名付け、諸仏称名の願と名付け、また諸仏咨嗟の願と名付け。また往相廻向の願と名付け、さらにまた選択称名の願と名付けるのである。

● あとがき
昨夜のNHK教育テレビの番組【ETV特集】(午後10時~11時30分)で、『水俣病と生きるー医師・原田正純の50年、胎児性水俣病患者との出会い』を観ました。
大変な感銘とショックを受けました。感銘とはこの原田正純と云う医師が真実を追究し続けた人間としての崇高な人生に対してであり、ショックとは、この水俣病と闘っていた胎児性水俣病患者他多くの患者とそのご家族と原田医師等の存在を知らずにチッソ株式会社に入社し、2年半後には退職したものの、水俣生まれの妻と結婚しながら、水俣病の真実と真向かいに向き合って来なかった自分自身に対してのショックでありました。

私たちの子供も孫も水俣病そのものとは関係はありませんが、妻はチッソと云う企業に勤務する父親の報酬で成長して来たことは間違いございませんし、水俣病患者と言う犠牲の上に今日の私たち家族の人生があると云うことも事実であります。これまではその様なことに思いも及びませんでしたが、昨夜の番組を観ましてあらためまして私は無数のお蔭や無数の犠牲の上に生かされている事を実感した次第であります。

後日、私はチッソへの入社そして退職、その他水俣との関わりに付いて、申し述べたいと思っております。

合掌ーおかげさま

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No.1006  2010.05.13
続―たちあがろう日本

ここ数年の日本をリードし動かしているのは、日本政府でもなく、民意でもなく、マスコミ主導の日本だと言っても過言ではない。マスコミを上手く利用した小泉首相(在位:1980日)は極めて例外で、森(387日)、安倍(366日)、福田(365日)、麻生(358日)の各首相は何れも1年程度で失脚(と言ってよいだろう)している。どの首相もマスコミに散々叩かれ内閣支持率が下がり続けた挙句の辞任であったことは記憶に新しい。

現在の鳩山政権もマスコミ主導でコンスタントに内閣支持率は下がり続けており、早晩鳩山首相も辞任させられるのではないかと思っている。

私はマスコミ不要論をぶち上げる積りはない。マスコミが無ければ日本の状況も、世界の状況も知り得ないし、最早マスコミ無くして現代社会は成り立たないと言っても決して過言ではないと思っている。ただ、功罪半ばと云うよりも、罪の割合があまりにも大きくなり過ぎているのではないか。

マスコミとは新聞、テレビ、雑誌を指しているのであるが、その中でも、テレビのニュースキャスターとコメンテーターなる人々、そして名の通った評論家の意見が今の日本を主導しているように思えてならない。
内閣支持率が特徴的だと思うが、マスコミが自由自在に動かせる指標ではないかと思う。直近の内閣支持率は20%切れ目前であるが、1週間以内には10%台になる事は間違い無いだろう。小沢民主党幹事長が幹事長を辞めるべきと云う世論調査で80%を超えているが、これも1年前から続いているマスコミの世論誘導に依るものだろう。

データーが作られている訳ではなく、実際に行った世論調査の結果を正しく伝えているのだと思うが、少なくとも最近の10年間で日本国民は上述した人々に洗脳され、リーダーを尊敬する気持を失わされてしまっているとしか思えないのである。 どの組織にも言えることであるが、一般には知り得ない、トップだけが知り得る情報があるものだ。タイミングもあるが、中途半端に一般に知らしたならば組織が大混乱に陥りかねない情報もあるものなのだ。
日本政府にもマスコミには知らせられないトップシークレットと云うものがあるはずだ。それを明らかに出来ないばかりに、記者会見での歯切れが悪く、結果的に首相は決断出来ない、リーダーシップが無いと叩かれているケースは多いと思う。批判するのが仕事のマスコミと何に付けても決断しなければならない政府とでは情報量の差が余りにも大きいのだと思う。

私たちは目を醒まさなければならないと思う。目を醒ますと言うことは、事実・真実を見詰める眼を取り戻すと言うことである。マスコミの見解や批判、或いは首相の人格評価等にも疑いを持たねばならないと思う。鵜呑みにしてはならないのだ。 つまり私は日本国民は仏法の眼を持たねばならない事を言いたいのである。

米沢先生が「自分をみつめる」と云うことで、次のように仰っている。
『自分を見つめる、と言いますけれども、我々は、たいていの場合、相手の中に自分を見ているんではないかと思います。
私のつまらん本でも、人にあげますと、それを読んで、ひと月たってまた読むと、最初に読んだ時と、また違った感じがする、というようなことを言うてくる人があります。それは、私の本を読んでいるのでなくて、自分を読んでいるんです。自分の深さだけ、深く読めてくるわけです。
こういうことが、あらゆる面で言えるのです。相手を見ているんでなくて、相手の中に自分を見ている。家族と一緒にいても、相手を、人を、たとえば夫婦でも、相手そのものを、はっきり見るということが、人間にはできないのではないかと思います。結局、自分を見ているんです。つまり、相手はこういう人やというレッテルをはりつけていて、そのレッテルを眺めているのでないか。』

この米沢先生の言葉、これは仏教哲学とも言われる『唯識』が観た人間の認識に関する見方でもあるが、これは一宗教の見方ではなく真理だと思う。我々の日常生活においても、人物評価が時を経てすっかり変わってしまった経験を誰しも持っているであろう。本でも映画でも、時を経て読み直し見直すと、受け取り方や感動を感じる箇所が大きく変化したことも経験しているのでないか。

また、相手の中に自分を見ていると云うことの代表的な例を述べておきたい。人間関係が破綻するとき、「こんな人だとは思わなかった!」と相手の変遷を恨むことがよくあるが、もともと相手の中に自分を見ていただけであり、自分が勝手に相手像を造り上げていただけであり、相手は何も変わっていないことが多いのではないか。私自身の過去に破綻した人間関係の多くは、自分が勝手に「この人はこう云うひとに違いない」と相手の人格を造り上げ、それに違(たが)って期待を裏切られると、「こんな人だったのか、こんな人ではなかったはずなのに・・・」と云うことになった結果だったように思う。増え続ける離婚はその最たるものであろう。

唯識の考え方からすると、マスコミが下している鳩山首相に対する評価は、実はマスコミが自分を投影した像であり、必ずしも鳩山首相の真実ではないと私たち視聴者は冷静に考察すべきだと思う。つまり、我が日本の首相をこき下ろすことは、すなわちマスコミは自分自身をこき下ろしていることであり、それに拍手喝采をして世論調査に対して支持しないと答える日本国民自身が自分をこき下ろしていると云う見方が出来るのである。

歴史上、今ほど日本国民の知的レベル或いは自立心が低下したことは無かったのではないかと思う。私がこうしてマスコミをこき下ろしていること自体、私もまたそのレベルであると云うことになるのであるが、本当に恐いことである。日本国民はたちあがらなければならない、目覚めなければならない。そしてマスコミに国を任せず、国に対して自分自身に何が出来るかを真剣に考えるべき時が来ていることに気付かねばならない。

そうすれば、普天間基地移設問題で首相一人を責める地域決起集会等が開かれるはずはないと私は思うのである。

私はこれまで防衛問題について、日米安保に依ってアメリカの力を借りるにしても、「自分の国は自分で守らねばならない」と考えて来た。しかし、それを突き詰めると、日本自身が核保有国にならざるを得ないと云うことになり、世界で唯一の被爆国のとるべき正しい姿勢とは言えないのではないか、否、核保有国でなかったからこそ広島・長崎に原爆投下されてしまったのではないかと云う考えなどもあり、結論を躊躇(ためら)っていたのである。

しかし、テレビ番組で抑止力と云うことを勉強し、また白井成允先生の日本の防衛に関する論文『人類の平和について』を読み直し、私の現時点での防衛に関する結論は、アメリカの核の傘を借りつつ、日本も韓国並みに徴兵制度を導入し、抑止力として必要と思われる現在のアメリカ海兵隊の機能を自衛隊組織内に創設し、沖縄に拘らず適切な地域にその基地を設営し、アメリカ兵に任せずに日本国民自身が日本と東アジアの平和を維持する抑止力を持つべきと云うものに至っている。

そして、これは白井成允先生も仰っていることであるが、他国から攻撃を受けないように他国から敬愛される国家になるべき外交努力を更に高めることと、教育の有り方を見直し日本人の知的レベル、道徳的レベルを上げることである。
そして日本国民全員がこれらの努力が核の傘以上の抑止力となることに気付かねばならないと思う。そのように日本国民は立ち上がりたいものだと思う次第である。

徴兵制度を設けると云うことは、私の二人の男の孫(中二と幼稚園生)がその制度に組み入れられることになるが、良い意味での愛国心を育むことになることは勿論、平和ボケにならずに、国際平和に思いを廻らす広い心の青年に育ち、結果として立派な日本国民になってくれると思い、またそのような日本国民が増えること自体が抑止力になると思った次第であり、唐突と聞こえるかも知れないが、徴兵制度導入は私の防衛論の目玉なのである。

合掌ーおかげさま


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No.1005  2010.05.10
たちあがろう日本

今日も、『教行信証を披く』を休ませて頂きまして、今国民の関心事になりつつある、普天間基地移設問題に関連して、私見を述べさせて頂きたいと思います。

政治と仏法、世間と仏法は無関係ではありません。否、無関係であってはならないと私は思っています。政治と関係無い仏法ではあってはなりませんし、世間との係わり合いを持たない仏法であってはならないと思います。どなたが申されたか失念致しましたが、「赤表紙と新聞紙の境界線上を歩いて行け」と云う教えをお弟子さんに説かれた先師がいらっしゃいます。赤表紙とは、浄土真宗の本願寺の出版する聖典が赤い表紙ですので、『親鸞聖人の教え』を象徴したものですし、新聞紙は世間を象徴したものでありますので、その先師は「仏法に閉じこもってしまってもいけないし、世間の事に埋没し翻弄されてしまってもいけない」と云う教えを垂れられたのだと思いますが、仏法だけではなく、信仰とはそう云うものてあるべきだと私も常々思っております。
今日の表題を敢えて新党名ではない『たちあがろう日本』とした意味は読んで頂けば分って頂けるものと存じます。

さて先月でしたか、石原都知事(77歳)のバックアップのもとに、与謝野氏(71歳)、平沼氏(70歳)等が『たちあがれ日本』と云う新党を立ち上げましたが、あるジャーナリストが、「石原都知事が〝年寄りばかりだというのは簡単だが、30~50代の中に、この国を憂えている人間がどれだけいるのか。民主党はみんな腰抜けだ。自分の人生を捨てたつもりで決心した5人に共感して応援団長に名乗りを上げたんだ〟と言ったが、こんな国にしたのは、“たちあがれ日本”を立ち上げた年寄り達だ。先ず自分達の過去を懺悔してから、スタートするべきではないのか」と月刊誌上にコメントしていました。

私も65歳、年寄りの仲間ですが、そのジャーナリスト氏の意見は傾聴に値すると思いました。こんな日本にした一番の責任は、私より以前の昭和10年~20年代における日本の指導者達にあると思いますが、昭和30年代後半以降の目覚しい高度経済成長社会に酔いしれ、古き善き日本の伝統文化、精神文化を守ることをも忘れ去って、他国から押し付けられた民主主義を仕分けすることなく受け容れ、推し進めてしまった団塊世代を含む60歳以上の年寄りにも責任があると自誡する次第であります。

〝こんな日本にした〟と申しましたが、それは、普天間問題に関連して起きている現象を総じて感じる日本の、日本国民の姿を指してのことであります。
普天間基地移設問題に関してマスコミは鳩山首相を袋叩きにしていますし、沖縄の知事・市長住民や徳之島の3人の町長も、住民達も鳩山首相をまるで敵国の使者の如き扱いをしていますが、普天間基地問題、大きくは沖縄への基地集中問題の解消は首相一人に押し付けるべき問題ではないはずです。日本を、そして私たち日本国民を将来に亘ってどう守っていくのかに関する責任は国民全員の一人一人にあるはずです。それを忘れ去っての鳩山首相苛め(批判ではないと思う)の大合唱を見聞する時、〝こんな日本に誰がした〟と思わざるを得ないからであります。

実は、昨日の日曜テレビ番組で抑止力に関する討論を聞きまして、私は日本の防衛に関する自分の結論を漸く得ることが出来ました。
私はもともと自分の国は自分で守るべきだと云う見解を持っておりました。日本が被爆国になったのも、イラクがアメリカの攻撃を受けたのも核武装していなかったからであると考えていましたし、国際社会から半ば公認されている核保有国から自国を守る為に、北朝鮮やイランが核武装化に走っていることに対して、私は論拠を示して批判することは出来ないでいた次第であります。

今も、自分の国は自分で守るべきだと云う考え方は変わっておりませんが、あらゆる抑止力で以って他国からの攻撃を受けないように努力しつつ、他国から主権を侵害されたり攻撃を受けた、いざと云う時には軍隊を動因して日本国と日本国民を守る軍事行動に出れるような体制を取っておくべきだと云う考え方に至りました。
そして、抑止力は即軍事力、特に核武装ではないと云う考え方を知りました。私はアメリカの核の傘の下で守られている限り、核廃絶を謳うことは論理的に説明が付かないと考えて参りましたが、自ら核武装せず、アメリカの核を抑止力として利用しながら、あらゆる面での国際協力・他国支援を繰り広げることを含めた外交の有り方は大きな抑止力と働くのだと云うことを勉強しました。また、日本国民の姿勢そのものも抑止力になると思うようになりました。今回の普天間基地移設問題に対する日本国民の姿勢態度、マスコミの論調、与野党を含む政治家の発言は、日本の国力の弱さを他国に披瀝してしまった、つまり如何にアメリカの傘の下に居ようとも、その抑止力を損なってしまっていると考えるようになりました。

他国から敬愛される国になることが最も大きな抑止力であり、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立って、オバマ大統領が言及した核なき世界の実現に具体的に努力する国であることをアピールしていくこと自体が、敬愛される国になる一つの重要な要素ではないかと思う次第であります。

実は私の仏法の師井上善右衛門先生のそのまた師であられる白井成允先生は、昭和27年8月に著された『人類の平和について』のご著書の中で、ご自身は非武装中立、無抵抗主義ではないことを表明されておられます。聖徳太子の十七条憲法も引用されつつ、またお釈迦様の生まれた国が隣国からの侵略で倒された史実も語られ、仏法に基づいた論を展開されておられますが、よくよく読み直しますと、私が上述したような武力とは異なる抑止力を語られていることも今回読み直して知りました。

今日の表題『たちあがろう日本』は、『たちあがれ日本』と云う他人事ではなく、自分こそ立ち上がり、日本が他国から馬鹿にされず、敬愛され、将来的にはアメリカの核抑止力に頼らずに自分の国は自分で守れる日本を目指して行こうという気持からのものであります。

次回の木曜コラムで、普天間基地移設問題に関して、私が日本国民の一人として策定した方策を申し述べたいと思います。

合掌ーお蔭さま


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No.1004  2010.05.06
死んだらしまい?

私にとりまして親鸞聖人ほど大切な方はいらっしゃいません。大切と云うよりも、今自分が生きていく上での拠り所となっている人生の考え方は親鸞聖人を源(みなもと)として、私の母を含め多くの先輩方、先生方を通じて教えられ、納得して引き継がして頂いたものであります。
勿論、親鸞聖人もお釈迦様を源とされて同じく七高僧と称せられる方々から引き継がれたのでありますので、私の人生を生きて行く上での考え方は結局お釈迦様を源とした仏法そのものであることも間違いないところだと思います。

従いまして、お釈迦様も、七高僧方も、親鸞聖人も、私にとりましては尊敬と云う域を超えた存在であります。しかし、現代文明の中に生まれ育った私は、先師方が持っておられた地球の知識、月の知識、太陽系更に拡げた宇宙の知識とは全く次元が違うと云う位に進化した知識を得ており、その知識レベルにおきましては、先師方は赤ん坊であり、私は大人と云うべき位であると思います。特に、私は原子・分子を扱う化学技術を駆使することを生業(なりわい)にしておりますので、地球上のみならず宇宙に存在する物と現象の原理に関する知識におきましては、先師方とは次元が異なる位に高いレベルの知識を持っていることは間違いないと考察しております。

しかしそれは勿論私が偉いのではなく、私がたまたまそう云う科学文明が進んだ時代に生まれたと云うだけのことであります。でも、そう云う時代に生まれ育った者として、また化学的知識を得た者として仏法に人生を学ぶ際、明らかに科学的知識からして容認出来ない教義或いは考え方を、ただ先師方の説かれたことであるからと盲目的に頷き有り難く受け取ると云うことをしてはならないと思っております。

表題にある『死んだらしまい?』は、以前にも紹介させて頂いた青色青光ブログに説かれている浄土真宗のお坊様のコラムの表題でございますが、その内容は次の通りでございます。

死んだらしまいー

現代人は見える世界しか信じないので、「死んだらしまい、焼けて灰になるだけだ」と思っている人が多くなってきました。はたしてそうでしょうか、何も無くなるのでしょうか。いま生きているのは、見えない世界に、無量のいのちに支えられて生かされているのです。また往生とは、往き生まれる事です。死ぬのではありません。見えないけれども生きているのです。働いているのです。無量のいのちの世界に帰り、今度は見えないけれども見える世界の多くのいのちを支えているのです。死とは、見える世界から見えない世界に生まれることです。いのちの在りようが変わったのです。見えないけれどもあるんです。生きているんです。

―引用終わり

「往生とは、往き生まれる事です。死ぬのではありません。見えないけれども生きているのです。」と云う件(くだり)は、浄土真宗の法話で私は何回と無く聞かせて頂いた教えであり、素直に受け取られる門徒の方々も居られるようでありますが、正直なところ疑い深い私には素直にそうですかと頷けません。読者の皆様は素直に頷けますでしょうか。
浄土真宗教団における往生の定義としては正しいのだとは思いますが、「死ぬのではなく、見えないけれど生きている」と説き聞かされて、死ぬことが恐くなくなり、安心を得て活き活きと生きて行くことは私にはなかなか出来ません。

私は、人間が死ぬと云う現象は頭脳が働かなくなり、肉体も内臓も動かなくなり、放置すれば、或いは火葬すれば骨以外は殆どが水と炭酸ガスや一酸化炭素になって消滅してしまうと考えています。「物理化学的にはそう云うことだろうけれど、浄土真宗では見えないけれども死んでも私たちは生きていると言うのだ」と云うことになろうかと思いますが、現代科学的知識を持ってしまった私は素直に受け取り信じるには至り得ません。

前々回のコラム『寿(いのち)に目覚める』で申し上げましたように、私たちの命が宇宙の全てを動かしている働き、つまり無量寿から生み出されていることは間違いないところだと思います。そして、私たち個々の固有の命は、死んだらしまいでもあることもまた間違いないところだと私は推察しておりますが、お釈迦様が死んだ後のことは論じても仕方が無いと仰っておられたと云うことですし、科学知識的にも全くその通りだと思いますので、「死んだ後のことは分からない」と云う立場に賛成票を投じます。

私たちは見えない世界(お蔭さま)に支えられて生かされていることは間違いございませんが、見えている無数の存在(周りの人々、周りの動植物、太陽、月、水・・・)に先ずは感謝するところから始める必要があると思います。そして、それらの存在は既に見ることが出来ない無限無数の過去が在ってのものであることにも思い至りたいものであります。

そして、過去と現在の無数の存在に支えられて生きている今一瞬の人間としての命を自覚し、その事実に感謝しながら精一杯生き抜くことが、親鸞聖人が考えられた『正定聚(しょうじょうじゅ)の位に住す』、すなわち「生きたまま、如来と等しい世界を生きる」ことであり、それを『浄土往生』、即ち「浄土へ生まれ往く道を歩む」と云うことではないかと私は考えております。

合掌ーお蔭さま


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No.1003  2010.05.02
コラムも連休中

ゴールデンウィーク真っ只中!
私たち老夫婦は、長男の孫達3名が土曜日から来ておりまして、2泊3日の最終日を迎えております。
老夫婦には孫達の世話はそれなりにキツイものなのですが、こうして、孫達を泊まらせる家があり、非日常の食事を用意して上げられることを喜ばねばならないと話ながら、ゴールデンウィークを過ごしているところであります。

お蔭さま


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No.1002  2010.04.29
寿(いのち)に目覚める

私は前回のコラムのあとがきで、「『大無量寿経』は、無量寿を説いている教典でありましょう。私たち個々の命は有限でありますが、その私達の命は永遠そして次から次へと続いて行く無量の命から生まれ出ている、瞬間ではありますけれどもそれだけに尊い命であります。その命に目覚めようと云うのが、釈尊の自覚であり願いでもあったのだと思います。そして、その事に非常な感銘を受けられたのが親鸞聖人ではなかったかと思います。」と申しました。

「命に目覚めよう」と書きましたが、この場合の『いのち』は、『命』とは書きましたが、本当は『寿』と書きたかったのであります。仏教、特に浄土門では『寿』と書いて『いのち』と読み、『永遠の命』と解釈するのが一般的だからであります。

私たちの命は、永遠の命から生まれ出た一つの命ではありますが、自分の命が永遠の命だとはなかなか思えません。それは、大脳皮質が発達した人間と云う命を貰ったが故に〝命の消滅〟つまり『死』を認識するからだと思います。従って、お釈迦様にしても、親鸞聖人も、自分の命が永遠だと目覚められた訳ではないと思います。

でも、大脳皮質が発達した人間の命を貰ったからこそ、桜の花が散っても、桜は死なないように、自分の命はなくなっても、その命を生まれせしめた『寿(いのち、永遠の命)』にも思い至られたのではないかと思います。

米沢先生は、「桜の木も、犬猫も皆『南無阿弥陀仏』している。『南無阿弥陀仏』していないのは人間だけだ」と、よく仰いましたが、この場合の「南無阿弥陀仏している」と云う意味は、「夫々が与えられた命を精一杯生きている」と云う意味であります。そして人間だけが、人間と云う与えられた命を素直に生きていない、つまり人間の命を生かし切っていないと仰っているのであります。

人間と云う命の特質は大脳皮質が与えられたところにあると私は考えています。植物にも、人間以外の動物にも、人間のような大脳皮質がありません。しかし、夫々が太陽の光を感じ、温度を感じ、雨風を感じて反応し、犬は犬なりの命を全うしていますし、桜はその時節が来れば桜の花を精一杯咲かせて、桜の命を全うしております。地球上に存在するものだけに限らず、月は月なりに、太陽は太陽なりに与えられた命を燃やし続けていますが、ただ人間だけは、大脳皮質を与えられたばかりに自己中心と云う自我を持ち、その自我故に人間の命を見失っているのではないかと思われます。
しかし、人間としての命を生きるとは、私は逆にこの大脳皮質をフルに生かすことだと思います。そして、人間にしか与えられていない大脳皮質をフルに生かすとは、他の動物達が知り得ないことを知り、出来ないことを果たすと云うことだと思います。ただ欲望に任せて飲み食いし、遊び回ることだけでは他の動物と一つも変わりません。仕事やお金儲けだけに奔走するのも、それはただ欲望の満足を追求するためにだけのことであり、人間らしい有り方ではないと思います。
人間は宇宙の存在を知っています。宇宙の果てを想像することも出来ます。また、心の事、意識の事、大脳皮質の存在と働きをも知っています。様々な命の存在も知っています。また、様々な命の関連の中で自分の命が存在していることにさえ気付いています。それらは他の動植物には知り得ないことばかりであります。

私は、人間だから出来ること、自分だから出来ることに目覚めることが、仏法の説く『自覚』ではないかと思います。それは他の命には出来ないことであり、『寿(いのち)』に目覚めたと云うことではないかと思っているところであります。

世の中はゴールデンウィークに突入致しましたが、ここは一つ仕事を一休みして、自分の命、人間の命、寿(いのち)を考えてみたいものであります。

お蔭さま


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No.1001  2010.04.26
教行信証を披く-教巻―10

まえがき
昨日のテレビ報道番組の中で、ソフトバンクの孫正義社長と、仙谷由人国家戦略相の対談討論がありました。高速道路料金に関する討論の中で、仙谷大臣が四国に渡る橋の料金が高く設定されていることに異議を唱えたのに対して、孫社長は日本が沈没しかかっている現在、そのようなことは誤差の範囲内の議論だと断じた。この20年間の日本の経済成長は殆どゼロに近い。このままでは、30年、50年先の日本は、世界の成長から取り残されてしまう。政治は目先のことよりも100年の計を立てて取り組むべきだと・・・。一企業がやれることは知れている、私に政治をさせて貰えれば法律を作れる立場になるから、日本を苦境から脱出させ夢のある国家にして見せられる。また、それを実現する為には先ずそのために必要な人材を育てる教育が最も大事だと自信を持って語られたのである。孫氏は坂本龍馬の信奉者と言うことで、今見えざる黒船が日本に来ているのに、それに気付かない国の指導者を嘆き、現代日本の坂本龍馬にならんとする意気込みを感じさせるものでありました。孫氏に日本を任せたいと云う思いを持って番組を見た視聴者は多いのではないかと思いました。

確かに私が起業して約20年、当初募集した時のパートさんの時給が800円(多くの応募者を募り、良い人材をとろうとして他社よりも50円~100円高めではありましたが)。現在の相場も700円から800円程度でありますから、殆ど賃金は上がっておらず、この20年間経済成長していないことはこの事からも明らかであります。失われた20年といえるかも知れません。

しかし私は孫さんが高速料金問題の高い安いが誤差と言われるけれども、そんな経済成長の高い低いは、日本に取っても、世界にとっても誤差の範囲内であり、精神文化の低迷こそが、日本の指導者のみに限らず世界の指導者が最重要課題にすべき時に至っているのだと思います。考えてみますと、釈尊、キリスト、マホメットが人間の幸せを精神の有り方に求めた1500年~2500年前から人類は、精神文化を深めること疎かになっていたと思います。失われた1500年と言っても良いかも知れません。今、世界をリードする思想家・哲学者が見当たりません。話題にもなりません。

経済問題を疎かにしてはなりませんが、経済は必ず弱肉強食の世界を生み出します。従って戦争やテロはなくなりません。命の尊厳と平等を根本においた真理真実の精神文化を求めた先人達の遺志を見直すべき時が来ているのではないかと思います。その先人の中の一人が親鸞聖人だと申しても過言ではないと思います。世界の歴史上にも見当たらない位の哲学者だと位置付ける人もいます。

さてその親鸞聖人が教巻の最後を締めくくられています。親鸞聖人自らのお言葉で、『大無量寿経』がお釈迦様の説かれた教えの中で最も勝れたものであることを語られておられます。むしろ、この『大無量寿経』を説き著すためにお釈迦様はこの世にお出ましになられたとまで仰っておられます。

●教巻の原文
何以得知出世大事。 大無量寿経言。今日世尊、諸根悦予、姿色清浄、光顔巍巍、如明鏡来淨影暢表裏威容顕曜、超絶無量。未曽瞻覩殊妙如今。唯然大聖、我心念言。今日世尊、住奇特法。今日世雄、住仏所住。今日世眼、住導師行。今日世英、住最勝道。今日天尊、行如来徳、去・来・現仏、仏仏相念。得無今念諸仏邪。何故威神光光乃爾。於是世尊告阿難曰。諸天教汝来問仏邪、自以慧見問威顔乎。阿難曰仏。無有諸天来教我者、自以所見問斯義耳。仏言。善哉阿難、所問甚快。発深智慧、真妙弁才、真妙愍念衆生、問斯慧義。如来以無蓋大悲矜哀三界。所以出興於世。光闡道教、欲拯群萠恵以真実之利。無量億劫難難見、猶霊瑞華時時乃出。今所問者、多所饒益霊瑞華、開化一切諸天人民。阿難当知、如来正覚、其智難量、多所導御慧見無碍無能遏絶。 無量寿如来会言。阿難曰仏言、世尊、我見如来光瑞希有故発斯念、非因天等。仏告阿難。善哉善哉、汝今快問。善能観察微妙弁才、能問如来如是之義。汝為一切如来・応・正等覚及安住大悲利益群生。如優曇華希有大士出現世間、故問斯義。又為哀愍利楽諸有情故、能問如来如是之義。
平等覚経言仏告阿難。如世間有優曇鉢樹但有実無有華、天下有仏、及華出耳。世間有仏、甚難得値。今我作仏、若有大徳、聡明善心、縁知仏、若不忘在仏辺侍仏也。若今所問、普聴諦聴。
憬興師(述文賛巻中)云。今日世尊住奇特法、「依神通輪所現之相非唯異常亦無等者故」今日世雄住仏所住、『住普等三昧能制衆魔雄健天故』今日世眼住導師行、『五眼名導師行引導衆生無過上故』今日世英住最勝道、『仏住四智独秀無叵故』今日天尊行如来徳、『即第一義天以仏性不空義故』阿難当知如来正覚、『即奇特之法』慧見無碍、『述最勝之道』無能遏絶、『即如来之徳』
爾者則此顕真実教明証也。誠是、如来興世之正説、奇特最勝之妙典、一乗究竟之極説、速疾円融之金言、十方称讃之誠言、時機純熟之真教也。応知。

● 和文化(読み方)
爾(しか)れば即ち此の顕真実教の明証(みょうしょう)なり。誠に是れ、如来興世(こうせ)の正説(しょうせつ)、奇特(きどく)最勝(さいしょう)の妙典(みょうてん)、一乗(いちじょう)究竟(くきょう)の極説(ごくせつ)、速疾円融の金言、十方称讃の誠言(じょうごん)、時機純熟(じゅんじゅく)の真教なりと。知るべしと。

● 語句の意味
奇特ーこの上ない。時機ー時代と人それぞれの機根。

● 現代訳(本願寺出版の現代語版より)
すなわち、これらの文は、真実の教を顕す明らかな証(あかし)である。まことに『無量寿経』は、如来が世にお出ましになった本意を示された正しい教えであり、この上なく勝れた経典であり、すべてのものに悟りを開かせる至極最上の教えであり、速やかに功徳が満たされる尊い言葉であり、すべての仏方が褒め称えて居られる誠の言葉であり、時代と人々に応じた真実の教えである。よく知るがよい。

● あとがき
『大無量寿経』は、無量寿を説いている教典でありましょう。私たち個々の命は有限でありますが、その私達の命は永遠そして次から次へと続いて行く無量の命から生まれ出ている、瞬間ではありますけれどもそれだけに尊い命であります。その命に目覚めようと云うのが、釈尊の自覚であり願いでもあったのだと思います。そして、その事に非常な感銘を受けられたのが親鸞聖人ではなかったかと思います。

私はその親鸞聖人の教えを進化させて現代に蘇らせることが、親鸞聖人の教えを知った者の責務でもあろうと思います。しかしそれは決して親鸞聖人のお言葉の一つ一つに囚われることではないとも思っております。

この20年で唯一成長したのが情報通信分野だと孫さんはデーターで示していましたが、パソコンが如何に進化して普及しても、携帯電話がどれほど進化して普及して便利になっても、20年前から比べて私たち日本人が、はたまた世界中が幸せになったとは到底思えません。さらに人間が月へ降り立つようになってからも、宇宙ステーションで何をするようになったからと言っても、人類は幸せにはなっていません。物質文化や経済を発展させ便利な社会にする事も幸せ感を高める一つの手段ではありますが、今の物質文化中心の内閣に任せても、また孫さんに任せても、日本は幸せにはならないと思っている次第であります。

合掌ー帰命尽十方無碍光如来

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