2001.06.04
歎異鈔の心―第1條の1項―
本文:
弥陀の誓願不思議にたすけまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もふさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまうなり。背景説明:
仏教では、悟りを開く、即ち心の安定と言うか、心の拠り所がはっきりした状態を求めて信仰生活が始まる。親鸞の生きた時代も、僧達は悟りを求めて、人里離れた山岳での経典の勉学、修行に励んでいた。勿論親鸞自身もその道を比叡山で歩んだ。しかし、なかなか悟りには至らなかった。いやむしろ悟りから遠くなる自分に絶望していたようである。そこに、法然と言う師匠に巡り合う。
法然は、民衆相手に『念仏するだけで往生出来る』と説いていた。この時代、民衆は、武士達の戦いに巻き込まれて、それこそ地獄のような生活を余儀なくされていた。京都の街中には犬ころのように死骸が横たわっていた時代である。死への恐怖が常にあったに違いない。天国・浄土への憧れは強かったに違いない。生きている今が地獄だから、せめて死んだら、天国・浄土に生まれたいと言う願いを抱いたであろう事は容易に想像出来る。だから念仏するだけで、天国へ行けると説く法然の法座(お寺での説教会)に民衆は集まった。
親鸞もその一人だったが、親鸞は、ただ自分が死んだ後の事だけを考えていた訳ではない。生きている今現在の心の平穏を求めていた。それを親鸞は往生と考えていたはずである。だから、『念仏するだけで往生出来る』と言う法然の教えに即傾倒したわけではないだろうが、教えを聞くうちに、『念仏するだけで往生出来る』と言う事を自分のものにしたのだと思う。 その想いの結論を、作者はこの歎異鈔冒頭に持って来たのだと思う。私の解釈:
弥陀の誓願不思議にたすけられ参らせてと言うのは、いわゆる自力(自分の努力)ではなく、大自然・大宇宙の働き(他力)によってと言う事ですが、肝腎な事は、往生出来るのだと確信して念仏を唱えようと思ったその時に、もう救われているのだと言う点です。念仏を唱えて救われると言うのではなく、他力によって往生出来るのだと信じて念仏を唱えようと思ったその瞬間に救われて、もう見捨てられないと言う確信は、凄い信仰心だと思う。
これは自分の努力で勝ち取った心境ではなく、大宇宙の真理なのだと言う確信であるから、揺るぎ無い信心なのである。
仏様を拝んだら病気が治ると言う他人の言葉を信じて拝むのとは、次元を異にする真実の信心を宣言した冒頭の言葉である。
私は、作者(唯円)がこの言葉を冒頭に持って来たこの事から、親鸞を慕う弟子達・信者の間にも、何か対象を拝むとか、特定の人の言う事を信じて拝むとかして往生をしたいと言う間違った信仰心が蔓延していたのではないかと思う。
拝んで助かるとか、幸せになろうと言うのは、自力の信仰心である。拝む努力に依って幸せになろうと言う、自力を頼む信仰である。
他力の信仰は、救い取ろうと言う大自然・大宇宙の働きに目覚めて、感謝の心が芽生えたその時に、もう救われていると言うものである。
自分が自分の力で生きていると言う立場は、自力の世界。生かされて生きていると目覚めるのが他力の世界である。
これは、これから読んでいく歎異鈔を貫いている考えでもある。
2001.05.31
宗教に期待すること
いま宗教と聞くと一般の人は、創価学会、オウム真理教(現アレフ)、生長の家、統一教会などを先ず想い起こされるでしょう。勧誘活動が家庭に居ても目に入りますし、テレビ報道もあるからでしょう。
古くからの仏教は、お葬式の時くらいにしか、その存在に気付いて貰えないようになってしまいました。そして、お経は死者を弔い、死者をあの世に送り出す詠(うた)と言う位にしか受け取られていないでしょう。
このコラムを読んで頂いている方々の中にも、特定の宗教を信仰している人は先ず居ないのではないでしょうか?人は、どういう時に宗教を求めるのでしようか?宗教に何を期待して入信するのでしょうか?宗教を求めない人は、何故求めないのでしょうか?今のままで幸せなのでしょうか?自問自答して頂きたいと思います。
人は、幸せになりたいと願って宗教を求めると思います。幸せではないから宗教を求めると言っても良いかも知れません。病気を治したい、貧乏から脱出したいと言う動機が大半を占めるかも知れません。
しかし、私は五欲の満足を謳う(うたう、歌い文句にする)団体は、真の宗教ではないと思います。五つの欲は、名誉欲、食欲、睡眠欲、性欲、金銭欲です。これらを追い求め始めると、限りなく欲望も増大していきますから、いつまでも満足な状態が実現するはずがありません。しかし反面、五欲を否定するのも正しい宗教ではないと言って良いと思います。5欲を断って、ものすごい苦行をされたお釈迦さまが、苦行は体を痛めるだけだとお悟りになられたそうです。
では、宗教に何が期待出来るのか?それは、五欲の満足とは全く関係無く『人として生かされて生きる歓びを心から感じ、感謝と報恩(ほうおん、感謝を行為として現す)の日々を送れるようになる事=幸せになる』だと、私は思います。
誤解があってはいけませんので、念を押しておきたいし、自分自身にも言い聞かせたいのですが、お金儲けに励む事を否定している訳ではありません。お金持ちになって、人々の役に立てば良いのです。ただ、お金を稼ぎ、自分だけが特上の衣食住を謳歌する事を目標としているのでは、幸せは来ないと言うことです。名誉職にも就く事についてもそうでしょう。名誉職に就く事が目的ならば、名誉職の上には限りが無く、いつまで経っても幸せは来ないと言うだけです。名誉職に就いて、人々の為に働く事が中心ならば、もうその瞬間から幸せだと思います。
宗教は、そう言う事に気付かせてくれるものです。しかし、一回気付けば良いと言うものではなく、人間は五欲に弱いものですから、繰り返し繰り返し、教えを聞く必要があります。 そして、そう言う大勢の友達と共に、励んで行かねばなりません。その為に、宗教団体があります。
五欲の満足だけを願う限りは、幸せは来ないと断言出来ます。生かされている実感を深く深く感じ取ることで、幸せは深く深くなると思います。
生かされている実感は、以前のコラムでシリーズ化した『般若心経の解説』でも強調させて頂きましたが、因・縁・果を実感する事だと思います。因縁果の道理を実感出来る深さが、幸せの深さでもあると思います。
2001.05.28
歎異鈔の心―はじめに―
歎異鈔は、『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』と言う悪人正機説の根源となった言葉で有名です。今では浄土真宗と言えば歎異鈔と言う位に、浄土真宗の教えを表わした代表的な著述であると申しても良いかと思います。しかし、この歎異鈔がこれほどまでに脚光を浴びるまでには、その誕生から、かなりの時間が経過していました。
歎異鈔は、親鸞(1173年〜1262年)が亡くなって後、間もない頃、親鸞の弟子、惟円がしたためたものと考えられている。異なるを嘆くと言う意味の歎異鈔と言う書名から考え、親鸞没後、親鸞の弟子達の間、或いは教団内、或いは関東と関西の信者達の親鸞の教えに関する解釈のバラツキが目立つのを目の当たりにして、この作者が、自分が親鸞から直接受けた教えとは、随分異なっており、嘆かわしいと言う想い、そして、後の世の信者に、正しい親鸞の教えを残しておきたいと言う切実な想いから、この書を作成したものと思われる。
鎌倉仏教の立場から見ると、親鸞の教えは、新興宗教そのものであった。また、親鸞は特にお寺を建てて教団を運営していた訳でも無く、浄土真宗と言う宗派を師法然上人の浄土宗から別れて建てたと言う意識も全く持っていなかった。ただ、法然上人から頂いた教えを、自分と同じく迷いの人生を歩む同胞にも伝えたいと言う気持ちのみでした。
ただ、親鸞も残念至極の想いだったと推察してあまりありますが、長男の善鸞が、親鸞の子と言う立場を利用して、自分が親鸞の本当の教えを受け継いだと偽り、民衆を邪教(祈祷仏教)に誘い込んだと言う事件もありましたが、正統派を主張し合い、いがみ合う信者達を憂い、作者惟円は、親鸞の言葉を出来るだけ忠実に、後世の為に残そうと、思い立ったに違いありません。この歎異鈔は、解釈を間違うと、悪い事を奨励しているようにも受け取られかねない部分があり、400年近くは、教団の奥深くしまわれていたと言う歴史もあります。しかし、明治以降、昭和の初期までは歎異鈔の研究が飛躍的に進み、むしろ浄土真宗=歎異鈔と言われる位に一般的にも広く読まれるようになりました。
しかし、特にこの20年間の宗教離れが激しさを増す中、世界的哲学とも評価される親鸞も、その歎異鈔も、すっかり忘れ去られているように思えます。
この21世紀は私達人類が、人間性を取り戻さねばならない、人類にとって重要な世紀です。
私は少し前に、般若心経を解説致しましたが、般若心経と歎異鈔は、仏教を、後世に伝える簡潔にして充分な文書と思っています。
これから歎異鈔を解説すると言うよりも、私自身が勉強を深めて行こうと思い拙いコラムシリーズと致しますが、般若心経とも対照させながら、進めて行きたいと思いますので、宜しくお願い致します。
2001.05.24
ハンセン病と老師
ハンセン病が昔、癩(ライ)病と言われていた頃、私が20歳前後だったと思うが、臨済宗の妙心寺派管長になられた山田無文老師が、定期的にライ病の隔離施設を慰問されていた。世間の人々が忌み嫌う病にかかった人々の中に飛び込まれていた老師の姿に、禅宗の悟りの境地がどんなものかを示されている様に思った事だった。
私は詳しい経緯も何も知らないのだが、今回の国の判断は、国民の圧倒的支持率を誇る小泉首相あってのものだったろうと思う。補償問題、法律上の問題があるのだと思うので、過去の政府ではなかなか決断出来なかったと思うからだ。
これも、因縁の世界だと思う。小泉首相が誕生していなければ、ハンセン病の方々の無念さは、まだまだ続いたのだから。さて、以前、般若心経の解説をしてから、何時かは歎異鈔を、取り上げたいと考えて来たが、 かなり長期間に及びそうだし、勉強も必要なので、伸び伸びになっていたが、このハンセン病の解決を機として、次回コラムからスタートしたいと思う。月曜コラムを歎異鈔に当て、木曜コラムは、自由テーマとして、時々の話題としたいと思う。
2001.05.21
天命に委ねると言う事
かなり前のコラムで、『人事を尽くして、天命を待つ』と『天命に安んじて、人事を尽くす』と言う心境(立場)の比較を論じました。この二つの心境は、自力と他力、禅宗と浄土真宗の違いであるとも申しました。私は、『天命に安んじて、人事を尽くす』の心境を理想としていますが、この度の経営危機に際して、自分の心境はどうであったかを振り返りますと、『天命に安んじて、人事を尽くす』を拠り所とはして来ましたが、常に安定した心境ではありませんでした。
昨年末、今年の6月末で、売上高の7割を占める製品の注文が無くなると言う通告を受けた時は、会社の死を宣告されたも同然でした。私達零細企業の経営者にとって、会社が倒産する事は、死に等しい事です。名誉もすべて失いますから、或いは死よりも怖い事だと言っても良いでしょう。受験に合格するか不合格になるかとか、自分の開発した商品が成功するか失敗するか位の事では、『天命に安んじて、人事を尽くす』と言う心境でいられますが、やはり、期限を切られて会社の死(倒産)を宣告されますと、なかなかそうは参りませんでした。しかも、期限が迫るに従い、『人事を尽くして、天命を待つ』と言う心境と、行ったり来たりしたのも事実です。
『天命に安んじて、人事を尽くす』とは、『自分の運命は、自分で決められるもので無く、すべて宇宙の摂理(天命)によって決まるものだから、どんな結果になっても良い(心安らかです)、自分は自分が出来る事を精一杯やらせて頂くだけです』と言う心境です。結果を問わない心境ですが、なかなかこの心境になり切る事は出来ませんでした。今回は、会社の当面の危機は、どうやら脱出した様です。
しかし、これが、よい結果がどうかは分からないのです。人は良い結果を目指して人事を尽くします。私も、今回の経営危機が一先ず去ったと言う事で、ホッとはしていますが、実は、 『天命に安んじて、人事を尽くす』とは、『良い結果になるか悪い結果になるかは、人間には分からないものだから、その時その時を一所懸命に生きるだけだ』と言う事だと思うようになりました。『人間万事、塞翁が馬』の中国の故事に有るように、『良いと思った事が悪い事になり、悪いと思った結果が実は良い事になる』と言うのが、この人生です。
今回の結果とは関係無く、また今後も結果に一喜一憂する事無く、会社の存続・発展の為に、 人事を尽くして行きたいと思います。
2001.05.17
56歳の挑戦―中間報告―
3月30日のコラムに、私の56歳の挑戦について書いた。私が経営する会社が絶対絶命のピンチを迎えている事についてであった。6月末で、弊社の売上高の大半を占める製品の注文が無くなると言うピンチである。あれから1ヶ月半経過したが、運を天に任せて、自分で出来る限りの努力・挑戦をして来た積もりである。とは言うものの、倒産・自己破産と言う最悪の状態が心を過ぎっていた事も確かである。6月末が近付くにつれて、現実味を帯びて来たように思い、不幸が未だ遠い先の時は、強がりを言えていたが、いよいよとなると怯むものだなぁーとも自己分析もしたりした。しかし最終的には、『自分の努力だけではどうもならない。色々な縁が働き、成るようにしかならない。なるようになって行くだけだ』と言う落ち着きどころに心は収まって来た。
今月の月初めの朝礼で、従業員を前に、正直に会社の状況を伝えた。『もしこの会社が世界の役に立ち・価値があるならば、絶対に潰れはしない。何が起きるかは分からないから、今出来る事を精一杯やるだけだ。挑戦するのだ』と伝えた。
そうして昨日、思いも掛けなかったが、6月末で無くなるはずの注文がなくならないと言う、確かな情報が知人から寄せられた。弊社の製品が、中国生産品に取って代わられるはずであったが、品質上の重大な問題が発生し、中止になっていると言う情報であった。知人が偶然にも、中国生産品について、間接的に知る立場にあった事を知らなかったが、実にタイミング良く、情報をくれたものだ。少なくとも1年は、生産続行となるに違いない。何れは中国生産品に取って代わられる可能性があるので、この1年以内に、対応出来るようにしたい。幸い、この半年、苦境脱出すべく新製品開発に力を入れて来たお陰で、一つの製品が立ち上がるのが目前に迫っている。また、注文が無くなると言う製品についても、別の顧客の開拓にも力を入れて来た成果も上がりつつあり、災い転じて福となりそうな感じである。
しかし、楽観は許されないし、また一寸先は闇である。反対にどう言う事が起きるか分からないのが、この時勢である。常に出来得る限りの努力・挑戦を続けて行く積もりだ。
取りあえず、中間報告。
2001.05.15
続々―無関心
コミュニケーションの手段は、大昔は、顔を合わせ直接会話する事でしか無かった。しかし郵便と言うものが出来、そして現在は、電話、FAX、Eメールと、顔を合わさなくても瞬間的・即時・即日にコミュニケーションが出来るようになった。遠く海の向こうの外国とも同じ事なのだ。しかも料金も市内通話料金だ。本当に便利だ。私は、今最も使用する手段は、Eメールである。今年になって、ワシントンとも、ロシアとも取り引き上の交信をした。時差があっても、何の問題も無いのである。相手が不在でも送れるし、深夜でも迷惑が掛からない。Eメールは自分ペースで送受信が出来るところが良い。また文章を作成するから、頭の整理が必要であり、言い忘れは無くなるし、相手も理解出来易いのである。良いところばかりであるが、問題は、親しみを感じる上で限界がある事だ。何通かメール交換すると、見知らぬ人でも、かなり親しくなるが、何かの拍子で、ぱったり交信が途絶え、それっきりと言う事もある。なかなか気心が知れると言うところまでは、いかないのである。顔を見て、言葉に込めた感情を感じ取る事がメールでは出来ないからなのだろう。
コミュニケーションは、やっぱり顔を合わして取るべきものだと思う。最近見知らぬ企業からのメールが、携帯メールに届く。勿論郵送物では、名前も知らぬ企業からの売り込み文書がダイレクトメールで届くが、殆ど確認もしないまま廃棄処分してしまう。やはり商売も、足を運び、顔を合わせてのアピールをしないと、コミュニケーションが取れ無い事になり、顧客獲得の確率が低くなってしまうと言う事だろう。
私は、テレビ社会になった為に、情報に対して受け身に馴れてしまい、自分から語り掛ける訓練・習熟が出来ないために、コミュニケーション能力が発達せず、結果、他人の事に関心を持たなくなったと考えている。
コミュニケーションを取るには、努力が必要である。エネルギーが要る。しかし、極力顔を合わして、心を込めた会話するように心掛けなければ、日本人は、その古来からの『人の良さ』を完全に失う時が、そこまで来ているように思う。
テレビを見る事は今更止められない。しかし一家団欒を取り戻し、家族同士でも、そして会社で働く仲間とも、取り引き先とも、顔を合わせて、語り合う努力を惜しまないようにしよう。
そして、特に子育てに中心的な役割を果たすお母さんは、赤ちゃんの時から極力語り掛けてやる事だ。そうすれば、お母さんに関心を持ち、そしてしゃべる事を学び、ひいては他の人にも関心を持つ社交的な人間に育つはずである。そうすれば、もっもっと賑やかな社会になるだろう。今の住宅街は、あまり人も見掛けないし静かな街並み過ぎる。昔はもっともっとざわついていたような記憶があるのだが、どうだろうか。
2001.05.10
続―無関心
『この頃の若い者の考えている事は分からない』と言う言葉を良く聞く。56歳の私も10代20代の人にそう思う時がある。しかし、私が10代20代の昔にも聞いた言葉である。
そして、もっと昔の昭和初期、明治時代の随筆にも、この言葉はあった。多分千古の昔から累々と語られてきた言葉なのだろう。これはこれから先、人間が生きている限り、受け継がれて行く言葉なのだろう。
しかし、他人への無関心さに関してはどうなのだろうか。昔から、どんどんと無関心さがひどくなって来ているのだろうか?『秋深し、隣は何をする人ぞ』という俳句が思い付くが、近所の人との結びつくの浅さを嘆いた俳句ではないだろう。私にはむしろ、隣人への関心が伝わって来る俳句である。今の人間が詠える俳句ではない。
無関心さは、近年急激に酷くなったと思うわけであるが、何故だろうか?この原因を考え、対策を講じないと、日本の将来は無くなるだろう。近年になって(私が生まれた昭和20年以降)、変化した現象を思い付くままに列挙する。テレビの普及、マンションの増加、核家族化、車社会、移動手段の高速化(新幹線や飛行機)、小子化、通信手段の変化(FAXの登場、携帯電話、e―mail)、宇宙が身近に、高寿命化……等など。
上に列挙したものは、それぞれが原因となり、結果となっているものもあるだろう(例えば、マンションが増えたから、核家族化になったかもしれない)。今思いつかないが、もっと基本的に変化した現象、ソフト・ハードがあるだろう。思い付く度に追加して行きたいが、私は、自分の生活習慣を振り返ると、人(家族も含めて)とのコミュニケーションよりも、テレビを見ている時間が圧倒的に長く、ましてや、生まれて物心が付いた時には既にテレビと生活が一体化する状況になった昭和35年以降に生まれた世代は、確実にテレビっ子だろう。 どうも、犯人はテレビのような気がしてならない。テレビがすべてを変えて来たのではないかと思う。
しかし、だからと言って、テレビを無くす訳にもいかない。今更テレビの無い生活に戻る事は、現実的でも無い。しかし、これ以上テレビに生活を奪われてもいいかと言うと、否定せざるを得ない。数年先には、一人1台のテレビ機能付き電話機能付きの携帯パソコンが登場するだろう。そうなると、面と向かってのコミュニケーションが、今以上に無くなる事は目に見えている。次回コラムに続く。
2001.05.07
無関心
この連休中には、彼方此方で殺人事件があった。その中で、浅草の女子短大生の路上殺人、三軒茶屋での銀行員が18歳の少年達による暴行殺人事件は、現代日本の抱える先進国病の症状を如実に現していると思う。
何れも、他人の生活・行動に無関心、と言うよりも無関心を装うと言う、40年前、以前の日本では考えられない状態になった事を痛く感じた。
女子短大生の殺人事件そのものがと言うより、未だ犯人が見付かっていない事にそう感じるのである。犯人は都会の片隅で多くの人の側で生活しているはずである。周りの人は、多分怪しいと感じているはずであるが、『関わりを持たないでおこう』と言う状況ではないか。勇気ある人が、口火を切れば、一気に私も私もと、告発するのかも知れないが。少年達に暴行を受けて死んだ銀行員の場合は、暴行現場の近くに居た人達がいるはずである。 また、地下鉄社内での口喧嘩も直ぐ近くで沢山の人が居たはずである。なのに、誰も、『関わりを持たないでおこう』と言う事で、立ち去って行ったに違いない。
勿論、私が側に居た場合も、身の危険を恐れて、何も出来ないかも知れない。
でも、亡くなられたお二人とも、都会の孤独・冷たさ・無関心さを嫌と言う程感じたに違いない。今、私は新興住宅地に住んでいるが、隣近所の家族構成も、ご主人の職業も、何も知らないまま、1年半が過ぎている。ほぼ10年毎に新興住宅地に引越しをしているが、近所との関わりは、徐々に無くなって来ている。
昔は、こんな事はなかった。皆さんの近所も同じではないか?戦後から今までの時間をかけて、日本人の心は確実に変化してしまった。この心を基に戻すのは難しいかもしれないが、今のままでは、社会が成立しなくなると思う。この問題は、教育の問題として、政治でも語られ始めているが、果たして教育だけで精神構造を変えられるだろうか?
この病状は、フリーターの増加、転職者の増加、企業の社内旅行回数の漸減等など、帰属意識の低下とも関係するだろう。
もう少し、この問題を考えてみたい。
2001.05.03
念ずれば、花ひらく
四国の仏教信仰者であり、詩作家でもある坂村真民さんの詠の中に、『念ずれば花ひらく』がある。代表作である。坂村さんは、明治42年生まれ、高校教師などをした後、一遍上人に帰依して、詩作に一生を投じたと聞いている。
『念ずれば花ひらく』は、あらゆる人に有用な言葉である。私は、この言葉を二十代で聞いたと記憶する。そして、その後、常に心に刻んでいる訳ではないが、この言葉が、と言うより、この言葉の意味する真理が、人生の節目節目で私の背中を押してくれて、私は新しい出発をしたように思う。そして今、経営者として立ち往生する場面で将来を展望する時、勇気と緊張感を与えてくれる。
『人は、こうなりたいと思ったら、そうなる』と言う事を義母から聞かされたと妻が言う。
そんな甘くはないと言う人もいるだろうが、私は、人生にはそう言う面もありそうな気がする。 目標をきっちりと持てば、その目標に向かった行動・努力をすると言う事は、誰にでも頷ける事ではないか。これは呪い(まじない)の世界ではなく、自己暗示の効用ではないかと思う。昔は、不言実行と言われた。男は黙って、やるべき事を淡々とやる、と言うのが男らしいと言われた。しかし近年は有言実行こそ大切と言われるようになった。自分の心の中だけで思うだけではなく、他人にも、こうすると公表して、その実現に努力する姿勢が尊ばれるようになった。デイスクロージャー(公開)、アカウンタビィリティー(説明責任)と言う言葉がマスコミで踊る世の中である。
新しく総理になった小泉首相は、自分の内閣を『改革断行内閣』と言うキャッチフレーズを付けたようであるが、このキャッチフレーズも、一種の自己暗示だろう。人は、公に宣言したからには、その実現に向かって努力せざるを得ないと言う面もある。私達も、私的にも仕事面でも、自分のキャッチフレーズ、スローガン、目標を公表するようにした方が良いと思う。
ただ、この時大事なのは、自分の心の底から湧き出て来たものでなければならない。言い換えれば、本当にそうだと思うものでなければならない。単なる夢では駄目なのだ。実現した姿が目に浮かぶものでなければならない。即ち、心に念じたものでなければ実現はしないのだ。それこそ、念じたものでなければ三日坊主で終わるだろう。
他の人に求められてから考えたものではなく、自らの心の奥底からの希求・欲求を自分で探し当てる作業が必要である。自分は、本当はどうしたいのか?何が欲しいのか?どんな生活をしたいのか?どんな家に住みたいのか?どんな仕事をしたいのか?どんな会社にしたいのか?どんな人と結婚したいのか?今の自分の心に問い掛ける事から、新しい人生が開けるのだと思う。私は、今年10周年目を迎えた1月22日に、50年後の会社の姿、10年後の会社の姿、3年後の会社の姿を会社の経営目標として、従業員に発表した。
念じる心の強さを常に確認する必要があると思っている。坂村真民さんを紹介したサイトは、こちらにございます。