仏恩報謝―(4)生活の大地

井上善右衛門先生

その報謝の心に生かされるとき、知らず気づかずして執我の心を離れしめられる時ではなかろうかと思います。「ただほれぼれと弥陀のご恩の深重なることを常に思い出しまいらす」と『歎異抄』には申されています。道元禅師はその同じ意味と状態を『正法眼蔵』生死の巻に語られました一節に「身をも心もはなち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに従いもてゆくとき、力をもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれ仏となる・・・」と述べられておられます。

言葉としてはまことによく肯かれます。その通りでありましょう。しかし、この私がどのようにして身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れたらよいのかとなると行きづまらざるをえないのであります。ところが今私どもが親鸞聖人ご自身の体験から流れ出る

弥陀の尊号称えつつ
信楽まことにうる人は
憶念の信つねにして
仏恩報ずる思いあり
と讃ぜられるお心を仰ぎますと、そこにおのずから大悲の中に己れを放ち忘れて生かしめられるお心をしみじみと偲ぶことが出来ます。

そこに働いているのはただ大悲の外には何もありません。その仏徳の私どもの上に働きてまします姿が念仏に外ならぬのです。阿弥陀仏の光寿無量の御いのちの全体が、南無阿弥陀仏となって私どもの中に入り込んで下さる、それが念仏でございます。その溢れ出るその時の心もちが、「仏恩報ずる思いあり」なのです。何かを頂いたので御礼返しをするという、やりとりの上におこる報謝の意識では全くありません。

「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし」と親鸞聖人はおっしゃっていますが、あの「謝すべし」は命令の言葉ではございません。あれは全く親鸞聖人のお心の中に息づいてまいります有難さの感激のほとばしりと申しますか、謝さずにはおれない、骨をくだいてもこのご恩は忘れることは出来ないと、自らが自らにおっしゃっておる言葉でございまして、私どもに、ご恩をいただいたのだからお礼を申せとおっしゃっているお言葉では決してないことは、皆さんが十分にお気づきのところであろうと存じます。

そう致しますと、そのような仏徳がお念仏だけではなく、私たちの生活万端、生活実践のすべての源となり、大地となって、私どもの生活を新しく甦らせてきてくださる。そこに宗教生活の極めて自然であり、且つまた厳粛な実践が必ずやそこに伴いあらわれ、始まってくるのでございます。

ところがそうでない場合には、仏様のお慈悲であるとか、如来の本願であるとかいうことを言葉として聞いておりましても、それは仏様のお心を頂戴したのではございませんから、その心が私どもの生活の大地となって、生活の中に融けて出てくるということにならないのであります。むしろ私どもの心の中に、依然として私を占領しておるものは俺が俺がという執我心です。そして話だけ、都合のよい仏様のお慈悲を聞く。そういたしますと、ああそうか結構なことである。仏様がよいようにして下さるだろうと、怠け心がそこからでてくる。しかしそういうところが、少し言い過ぎかも知れませんが、浄土真宗の一つの危ない点ともなりましょう。

即ち私ども親鸞聖人の教えを承っておるものが、親鸞聖人の教えを踏みにじるような脱線と逸脱とをおかす危険は、そういうところにあると反省されます。ですから本願というものに対して、ただ甘え心を持つというのは、「仏恩報ずる思いあり」という親鸞聖人の宗教体験とおおよそ隔たったものであるといわねばなりません。しかもおしなべて空念仏という言葉が世間の通俗語になってみたり、浄土真宗のだらしなさが世の顰蹙(ひんしゅく)をかってみたりいたしますのは、やはりここの問題点がかかわるよくよく心すべき事柄と思うのです。もしそこのところを私どもが真実に超えさせていただきましたなら、聖道門の教えでは、億人の中で一人もできるか、できないかという無我行を私どもの総てがさせていただくことが出来る。即ちその実践が報謝の念仏に外ならぬのであります。そこにどのような偉大な輝きが放たれることでしょう。その偉大な輝きに、世の人たちがどうして尊さを感ぜずにおられましょうか。

今日、浄土真宗が沈滞しておるということは、何千万の門徒があるか知りませんけれども、否めない事実ではございませんか。形は残っておりますけれども、生命が殆ど失われようとしている。しかし親鸞聖人の教えというものは、私どもが人間として、この私というものを見つめてまいりますと、そこへ帰りゆくより行きどころがない。しかもそこにただ一つ、私どもが人間と生まれてきましたところの究極的な意味に気づくことが出来るのです。

この私たちを待ち受けておられる偉大なる真実がそこにましますことに私どもは驚きを感ぜざるを得ないのであります。そうした点から思いますと、「仏恩報ずる思いあり」という仏恩報謝というお言葉は、決しておろそかに聞き流すべき言葉ではありません。そこにこそ、真実の宗教の生命が輝いているのだと申してよろしいと思うのであります。 それで真実の念仏者の中からは、そのような仏の大いなる命をいただいたその真実の迸(ほとばし)りが、必ずや何らかの形において出現してくるものでございます。

私は学生の頃、芦屋の仏教会館でお世話になりましたのが始まりで、足利浄円先生にお出会いすることが出来まして、お亡くなりになるまで40年にもあまる年月、色々と形を超えたお導きを頂戴してまいりましたが、こういうことがございました。これは足利浄円先生と直接に事を交わされた相手のお方から、じかに聞きましたので、間違いのないことなのでありますが、戦争中先生は、広島県の竹原の海上一里ほど南に生野島という島がありまして、その島に疎開をしておいでになった。その頃、浄円先生を慕って、あちこちの島から多くの人々がよく訪ねて来られたものです。生野島からさらに遠く南西に大長というところがございます。蜜柑の本場です。その大長というところは昔からご法義のあつい土地でして、浄円先生もよく法話にお出になったところです。その大長のある一人の方が、あるお方の法話を寺で聞かれた。ところがそのお説教がどうしても自分の腑に落ちない。どうもご講師さんはあんなに言われるけれども、間違っておりはすまいかと、まぁこういうような気持ちを起こされたのです。

それでその内容を細々と手紙にしたためられて、生野島の浄円先生に如何でございましょうかというお尋ねの手紙を出された。ところが待てど暮らせどお返事が来ない。とうとうしびれを切らして自分の仕立てた舟で大長から生野島まで来られまして、浄円先生にお会いし、先般お手紙を差し上げましたけれども一向にお返事がない。私の考えが誤りかどうかお答えが聞きたくて今日は参ったのです。あの講師のお話は間違ってはおりませんか、と膝詰めで聞かれたのです。

ところが浄円先生は、しばらく何も言わず黙然と聞いておられたそうですが、ややあって言われますのに、「どういうことをその方がおっしゃったのかわかりませんが、私には人様の是非を判定するような資格はございません。人間というものはみんな嘘を申します。この浄円も嘘を申します。けれども唯一人、仏様だけには嘘はございません。その仏様の真実を頂戴する身になりましたことは有難いことでございます。」と言われて涙をたたえられたそうです。その時その尋ねて行かれた方は、無形のこん棒で、脳天をたたかれたような思いがしたとその時の感動を私に話して下さいました。

浄円先生のお言葉は、問いに対する答えになっておりません。けれどもそれ以上の、問い以前の、問題点に大きな光を投げあたえておられるのではございませんか。私も長い間、先生にお導きいただいております間に、それと似たようなことがよくございました。それは先生のお心の中に、御自身が仏の大きなお慈悲に照らされ、その光に浴しておられる限りないよろこびと報恩の思い、ただその事がおのずと今申しますような他の人では答えられない答えになって、対する人に大きな光を投げ与えられたのだと思います。

もしその相手の人に対して、「あなたのおっしゃるこの点は正しい、しかし説教された方の言葉は不十分でありますが、こういう意味ではありませんか」などと言うようなことですと、結局それはそれだけの説明に終わってしまって、その相手の方を本当に仏様の大悲に触れさせる道は開けないでありましょう。

「仏恩報ずる思い」というものが、人間の生活のすべての上にあらゆる働きを演じる根源となって光を放つ。それこそ生きた宗教者の精神というものではなかろうかと思うのです。帰するところは永遠の真実の外にはありません。その真実が慈悲となり知恵とかがやき、念仏者の中に入って「仏恩報ずる思いあり」という心情となるのです。そしてその念仏者の心を通して永遠の真実の光と力が触れる人、出会う人、すべての方々に伝えられてゆく。そこに「自信教人信」ということが自ずと実現されてゆく。

そういうところに親鸞聖人のみ教えの尽きせぬ輝かしい未来の発展があるといわねばなりません。その浄土真宗の行く手を背負っているものは、そのみ教えを承っておる私ども一人一人の外にはないのであることを思いますと、

弥陀の尊号称えつつ
信楽まことにうる人は
憶念の心つねにして
仏恩報ずる思いあり
というお心が、決して軽々しく文字だけを拝読してすまされるようなお言葉ではないということを痛切に感じる次第でございます。

―『仏恩報謝』―完―




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