真実の宗教E
井上善右衛門先生
<前回のつづきです。>人間は誰しもこの自分を大切にしたいと思うのが当然の心です。折角、人と生まれて来たのだから少しでも良くなって、本当の人間の生き甲斐を味わう事の出来るような自分になりたいと。これは勝手な願いではありません。当然の人間の願いだと思います。そうすると、人の陰口に腹を立てる心と、順誓の申条と、いずれが本当に自分に忠実な心でしょうか。よくよく考えてみねばならぬと思います。で、人格というものを今日よく口にいたしますが、帰する所、人格というのは、その人がいかなる支点をその人自身の命の支えにしておるかに帰着するのではございませんか。
そういう風に申してきますと、一休禅師が亡くなられる時、『拝借申す四大五蘊(このからだ)お返し申す今月今日』と言って安祥と瞑目されたと言うことです。最早、この仮なる己の体というものが依り所ではなく、生と死を貫く無量寿如来の御いのちを己の命にし、その命と一つにならせていただく、そういう時に、『お預りしていたもの、時が参りましたお返しいたします』と。極めて自然に流れ出た言葉ではないかと思いますが、如何でありましょうか。
そういう広大な無量寿の御働きが、私の現在ただ今の上に躍動してきて下さる場が信楽(しんぎょう)であり、そのところを同時に親鸞聖人は正定聚(しょうじょうじゅ)とおっしゃっておられます。
われわれの命は、現在はなお有限の命の上に生きているのでありますけれども、時いたってこの己の体をお返しする時が来れば、その時こそ、真の解放即ち解脱という言葉がそのままに当る時となるのではございませんか。人間のこの身体は貴重でございます。大切にしなければなりません。けれども同時に、人間の体というのは、一面業報の所感という束縛を免れません。その有限な存在である私が解放されまして、真に如来の御いのち、無量寿とぴたっと一つにならせていただく時、それを往生成仏(おうじょうじょうぶつ)と親鸞聖人はおっしゃっておられる。『臨終一念のとき、大般涅槃(だいはつねはん)を超証す』と高らかにおっしゃっておられるのがその事であります。
京都女子大学の母体を創められました甲斐和里子女史というお方、ご存知の方もあるかと思いますが、私も大変お世話になり可愛がって頂きましたのですが、95歳でお亡くなりになります前夜、これは令息からお聞きしたのですが、いよいよ最後とお感じになったのでしょうか、念佛の声がしていたそのお部屋で、『万歳』という声が聞こえて来たというのです。いかにも甲斐和里子先生らしいと思うのです。大般涅槃を成就する、真に解放のその時『万歳』でございますね。その万歳の声と共に、この世から真実の世界に往かれた様子が偲ばれるのであります。その教えの偉大さと、その世界の深さというものを、私どもは思わずにおられないのであります。
最後にもう一つだけお聞きいただきたい事がございます。それは、お聖教の中に、長養(じょうよう)という言葉が出てまいりますことです。『長養』とは長く養い育て続けるということです。
これは親鸞聖人が、『信巻』末に、『安楽集』をお引きになっておる。その中に、『涅槃経』を引き、『智度論』の釈が引用されているところに、長養という言葉が出て参いるのですが、どういう風に出てくるかと申しますと、諸菩薩達が申されるには、『世尊が曠劫(こうごう)よりこの方、わが悟りを長養して下さった、その如来の長養に由って、この度、悟りを成じさせていただくことができた』という、そういう意が述べられてあります。これはそのまま私どものことであります。遠き果て知らぬ古えから、現代の心理学の言葉を借りれば、無意識の深層意識の中に如来の御手が伸びていたということです。その長い長いあいだ養い続けて下さったそのお陰で、このたび仏の大いなる光と命とに気付かせていただく身となりえたと申さねばならぬことであります。
『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案すれば』という親鸞聖人のお言葉にいたしましても、五劫の古えから仏様の御手がこの私のこの胸の中に伸びていて下さったというご述懐でありましょう。私どもが育てられ養われ、今、法の座にあらしめられて、迷い出ていた放浪の世から命の本源に帰らしめられる。それが人間に生まれたかけ替えのない尊さであり、喜びでございませんか。
またこの世にある限り、ただ今申す長養というお育てをなおなお蒙り続ける身であります。すなわち、無限に育てられるという世界の中にあるということです。無限に育てられるという事は、無限の可能性の中にあらしめられておるということであります。だから人間というものは尊厳なるものであります。
こういう命の場に、私どもが生を得さしめられ、そしてその生の真の本源に帰らせていただく身となるという事、これより他に人間に生まれてまいりました所詮はないと申して間違いはないと思うのでございます。
どうもありがとうございました。[完]
昭和62年10月