親の云う通りにはならないがする通りにはなる
青山俊董老尼
先日奈良へ講演に行ったついでに、数十年ぶりに法隆寺を訪ねた。白砂青松の中に千数百年の歴史を刻んでひっそりと息づく堂塔伽藍も、仏像も、いずれもなつかしくうれしいものであったが、そのいずれよりも心おどる出会いがあった。
法隆寺を巡り終え、中宮寺の奥まった部屋で思いがけなく一服のお茶をちょうだいし、久々の法隆寺を一歩一歩かみしめながら、古い土塀ぞいに南大門の方へ足を運んでいた。
群馬の中学生の修学旅行生達が、何百人であろうか。ゾロゾロとにぎやかにおしゃべりしながら、足早に私を追い越していった。そのうち一人の娘さんが私を追い越しざまに、ツと立ち止まり、ソッと合掌して頭を下げた。ハッとして私も思わず合掌し、軽い会釈を返し、遠ざかりゆく娘さんの後姿を目で追った。それだけのことである。
気付いたときにはすでに後姿なので、顔を見たわけではない。もちろん一言の言葉をかわしたわけでもない。だまって掌を合わせて頭をさげて追い越した、それだけのことである。しかし私はひどく感動した。数時間巡った法隆寺の、どの伽藍や仏像との出会いよりも、さわやかな生きた感動をいただくことが出来たのである。 どんな立派な建造物も、仏像も、経典も、極言すれば過去の遺物であり、受け止める側の状態によっては博物館や考古館と大差ないものとなりかねない。それに対し、この娘さんの行動はまさに生演奏である。
脳裏にやきついた娘さんの後姿をなお追いつつ、私は思った。この娘さんを育てたご両親やその家族を。“さぁ合掌して!”と号令をかけられても、なかなか出来ないことを。そういう家庭環境で育っていても、大勢の仲間の中で自分だけ合掌して頭をさげることは何となく気恥ずかしくて出来ないものである。おそらく全く無意識に思わずしてしまったのであろう。だからこそ尊いのである。無意識に行動として出ることの背景には、長い年月をかけて日常生活の中でつちかわれた根の深さがあってはじめてできることである。
この娘さんはおそらく毎日朝夕、仏壇の前で家族全員が敬虔な礼拝をすることを習慣としている家庭で育ったことであろう。畑でできた初物も、お客さまからいただいたものも、まずは仏さまにお供えし、仏さまからいただくという生活習慣の中で育てられたのであろう。そういう両親の、家族の生演奏の中で育ってはじめて、娘さんの無意識にでも合掌して頭をさげるという生演奏も生まれてくるのである。
昔からよく「親の云う通りにはならないが親のする通りにはなる」といわれている。「云う」というのは文字の延長線で、楽譜の域を出ない。親がどんな生き方をしているか、それが「する」ということであり、生演奏なのである。 又しても親になることの、教師と呼ばれる立場に立つことの責任の重さを思うことである。