その腕一本どこからもらった!

青山俊董老尼

良寛さまの詩に次のようなのがある。

花無心にして蝶を招き
蝶無心にして花を尋ぬ
花開くとき蝶は来たり
蝶来るとき花開く
吾もまた人を知らず
人もまた吾を知らず
知らずして帝則に従う

花が開き、蜜が美味しくなった時、その香りに誘われて蝶や蜂たちが花を訪れ、花びらの中にもぐりこんで蜜をごちそうになり、その羽根に一杯に花粉をつけて次の花にもぐりこむ。花より蜜の布施をいただきながら花粉を媒介するという捨身施をする。しかもどちらも、ごちそうしたともされたとも、花粉を媒介したともしてもらったとも思わず、無心のままにみごとに共存し、布施しあっている姿を「知らずして帝則に従う」と、良寛さまは詠い上げられた。つまり無心にして天地の道理に従っているというのである。この詩に象徴されるように、地上の一切のものが、生かし、生かされての、みごとな共存のハーモニーを奏でていることがわかる。

地上ばかりではない。土の中も同様に共存の世界であることを樹木医たちから聞くことが出来た。「微生物を土という都市に住む住民にたとえれば、土壌構造はさながら団地のアパートのようなものである」と、静岡大の仁王教授は語っている。その微生物の住む都市であり団地である土も、人や車で踏み固めてしまうことで酸欠となり、団地は破壊され、微生物は住めなくなる。微生物が活発に働いてくれてはじめて、動物の遺体や落葉、落枝は分解されて肥料へと転化する。それを植物は根から吸い上げ、枝葉を繁らせ、花や果実を実らせる。微生物と植物とは大地の中で互いにたすけあいながら、太古の昔より共存のハーモニーを奏でつづけてきたのである。

地上や地中で繰り広げられている共存の世界のすばらしさを話したところ、医者のSさんが語ってくれた。「人間の体も全く同じなんです。私達の体の中には、重さにして3キロの微生物が住い居し、働きつづけてくれているんです。口から入った食物が食道を通り、胃や十二指腸で次第にゼリー状となったものが腸に達しますね。その腸でさらにいろいろな種類の微生物が食物の種類に応じて分解してくれるからこそ、腸壁から栄養として吸収し、体全体の各器官に送りこむことができるのです」

私は思わず驚きの声をあげ、同時に微生物の働きという布施をいただきつつ、また微生物に住ま居や食物を提供するという布施をしつつという共生きの生命の不思議さを思ったことである。

浄土真宗の先達で加賀の三羽烏の一人と呼ばれる高光大船師が、教誨師として担当した服役中のKに「少しはご両親のことも考えてごらん。夜も眠れない思いでおまえのことを心配しておられるのだぞ」と言うと、Kが「俺は箸一本も親の世話になっておらん。この腕一本で生きてきた」と言いはなった。大船師はすかさず「その腕一本、どこからもらった!」と切り返されたという。

その腕一本、両親からもらった、というのではなかろう。両親がどんなに努力しても天地からの授かりがなかったら、子供一人産むこともできないのだから。両親を縁として天地一杯からのお働きという布施をいただいてこの腕を、体を、働かせる力をいただいていることを忘れてはならない。




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