幸せの青い鳥

青山俊董老尼

私の好きな詩に

尽日尋春不得春       【尽日(じんじつ)春を尋ねて春を得ず】
杖藜踏破幾重山       【杖藜(じょうれい)踏み破る幾重(いくちょう)の山】
帰来試把梅梢看       【帰来(きらい)試みに梅梢(ばいしょう)を把(と)って看れば】
春在枝頭已充分       【春は枝頭に在って已に十分】
というのがある。確か宋時代の戴益(たいえき)という人の詩であったと記憶する。

一日中春を探し回ったが、とうとう春に出会うことが出来なかった。"あかざ"(畑地に自生するアカザ科の一年草、茎は乾燥して老人用の杖に使用される)の杖をついて幾つもの山を踏み越え踏み越えて春を探してみたが、ついに春に会うことができない。あきらめて帰ってきてふと我が家の軒先の梅の一枝をとってみたら、そこに梅が香っていた。春がそこにあった。遠くへ探しにゆくことはなかった。

というのがこの詩の心である。目を外に向けて、いつかどこかにと探し回る姿勢であるかぎり、ついに永遠に幸せを得ることはできないというのである。
この日本語版が「幾山河越えさりゆかば淋しさのはてなん国ぞ今日も旅ゆく」の若山牧水の歌となり、ヨーロッパ版が、カールブッセの「山のあなたのなお遠く幸い住むと人の云う」の詩となり、チルチル・ミチルの『青い鳥』の物語となったのであろう。
いずれの世にも、洋の東西を問わず、すべての人間が幸せを求め求めてさまよいつづけて来たもののようである。

そしてその多くの人々が幸せは金と思い、生涯金を追うに忙しく、或いは名誉と思い、または健康であることと思い、よき子を育てることと思い・・・・。
そして殆どの人が見果てぬ夢のままに生涯を終わり、ごく一部の人が、ほんとうの幸せとはそういういわゆる凡夫人間の欲の満足をもって幸せとするものではないと気付いた。

人間の欲は果てしなくエスカレートされてゆく。その欲の満足することはあり得ない。またどんなに願い、どんなに働いても、今日食べるものもないほどの貧困のどん底にあえがねばならないときもあり、またどんなに嫌っても病気にならねばならないときはならねばならず、たとえそれが死に至る病であろうと、逃げるわけにはいかない。それが人生というもの。

その願いの条件が満たされない限り幸せはないとしたら、幸せはどこにもないのであり、ほんとうの幸せとは、そんな条件付きのものではないはず。死に至る病の床にあえいでいるときも、貧乏のどん底にあるときも、そのままにして幸せと受け止め生きうる。「どうなってもよろしゅございます」という土性骨の坐り、この生き様を身につける、これが本当の幸せというものでなかろうか。
お釈迦様が求め、見出され、説かれた教えもこれに尽きると思う。

お釈迦様も御多分にもれず幸せを求めて出家された。小さしとはいえ釈迦国という一国の王子。名誉も財産も申し分なく与えられ、ヤショーダラーという美妃とラーフラというひと粒種の王子までありつつ、そのすべてを捨て、乞食同様の姿となって道を求められた。

何故に?後に釈尊は弟子のアヌルダに「世間福を求むるの人、また我に過ぐるはなし」と述懐され、『法句経』にも、

ささやかなるたのしみを棄てて
もし大きななるたのしみを得んとせば
かしこき人は彼岸の大薬をのぞみて
小さきたのしみを棄て去るべし
と説いておられるのである。




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