投げられたところで起きる小法師かな
起き上がり小法師とは達磨(ダルマ)さんの事です。ダルマさんは、何処に放り出されても、文句なしにそこでコロリと起き上がります。ちょうどそのように、私たちの人生の処し方も、いついかなる状態に投げ出されても、そこを正念場とし、逃げず追わず、ぐずらず、腰を据えて取組んで行きたいものです。
私達は調子の良いときは、にこにこと頑張れますが、一旦不遇な環境に身を置くことになりますと、自分の不運を嘆き、その環境から逃れ出ることばかりを考えてしまいます。いわゆる逃避することに神経を使ってしまいます。私もサラリーマン時代に、かなり難しいポジションを与えられたとき、何とか自分の力で打開しようと悪戦苦闘を試みましたが、袋小路に入り込み、一時ノイローゼ気味になり、最終的には逃避することしか頭に無い状態になったことがあります。その時は辞職を申し出て文字通り逃避致しましたが、後に、あの時の悪戦苦闘は、「何事も自分一人で解決出来るものではないのだ」と言う真理が分かっていなかったための徒労であったと思うようになりました。
投げられたところで起きるとは、自分の力だけを信じて起きるのではなく、周りの人々の協力なくして事は成せないと言う真理に目覚めなければ、本当に起き上がることにはならないと思う。
この与えられた境遇は、自分を高める『運命の冷蔵庫』であると言う積極的な考え方で、逃げることなく、素直に受け入れて、周りの人々の力も借りて、力の限り、知恵の限りを尽くして解決に努力すれば、必ず道は開けるに違いありません。