水のように空気のように
形が無いから色々な容器に水は収まる。無味・無臭・無色だから水はコーヒーにもなり緑茶にもなる。一刻一秒なくては困る大切な空気なのに、その存在は忘れ去られている。癖の無い水、目立たずとも大切な空気こそ、仏様だと思う。
臨済宗の有名なお坊さんに、白隠禅師と言う方がおられる。白隠禅師は座禅和讃の中で、氷を私達凡夫衆生とし、氷が融けた水を仏様に喩えている。氷は自己愛や自分が正しいと言う凝り固まった自我を象徴されたものだと思う。確かに氷と氷が衝突するとお互いに傷付くが、氷と水は衝突しようが無い。氷は口の小さな容器には入れられないが、水はどんな小さな口の容器にも入って行く。相手に合わせることが出来る象徴として、水のようにと言われるのである。
そして、空気は私達に無くてはならない存在であるけれど、常に存在を忘れられている。目立たないが、無くてはならない存在。無くなって始めて存在の大きさに気付かれる、そんな人間になりたいものである。