桃李不言下自成蹊

『桃李(とうり)言(かた)らず、下(しも)おのずから蹊(みち)を成す』 何事でも、中身が本物なら、中身が豊かならば、おのずから招かずとも人は集まり、商売ならば繁盛してゆくものである。無心、無所得、無条件で、自分の花を精一杯咲かせたいものである。
※桃李は、桃と李(すもも)の事です。

かなり前に『ほんまもん』と言うNHK朝ドラがあった。これは味を極める女性料理人が主人公のドラマであったが、味だけではなく『ほんまもん』は大袈裟な宣伝をしなくとも人が寄って来ると言う事は説明を要しないところである。これは人生を生きて行く上でも心得ておくべき真理であるが、宗教においてこそ忘れてはならないキーワードである。鈴木大拙師が、「民主主義はやがて滅びるだろうが、仏教とキリスト教は人類が存続する限り受け継がれてゆくものだ」とおっしゃっていますが、2千年乃至2千5百年受け継がれてきた宗教は『ほんまもん』だと考えてよいと思う。
『ほんまもん』は即ち真理そのものであるからだと思う。
自分が世間から疎んじられたり、親しく接していた人が去ってゆくとしたら、自分の何処か真理に違う点があるのだと自省してみる必要があるのだと思う。『ほんまもん』には人は集まって来るが、『にせもの』はやがては捨てられるのだと思い、自らを問い直したいと思う。



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