梅早春を開く

『梅早春に開く』のではなく、梅が早春を開くのである。人生を開く主人公は外の誰でも無い、この私であると言う事を忘れてはならない。縁に随いながらも、縁を切り開いていける人間と言う尊い命を大切にしたい。

『春が来た』という唱歌がある。「春が来た、春が来た、何処に来た、山に来た、里に来た、野にも来た」と言う歌詞であるが、春と言うものが何処かに来るのではない、野山に咲き始めた花や木々の緑が春そのものなのである。私達はその辺を勘違いし易い。春が来たから花が咲くのだと・・・・・。たとえば会社と言うものは、建物ではないし、製品やサービスそのものではない、世の中に役に立とうとする想い(理念と知恵と労力)の結果が製品やサービスという形に表れただけのことである。製品さえ出せば良い、利益さえ上げれば良いと言う惰性に陥ると、昨今の有名企業の不祥事や企業の命取りともなる品質問題に至るのだと思う。大きな会社も、その組織で働く一人一人の生き様や価値観によって進む方向は左右されるのである。一人一人は小さな歯車ではあるけれども、一つの歯車が破損したならば全体がストップするのである。人生は私が主人公なのである。誰が人生を決めるのでもない、私が私の人生を決めているのであることを、『梅早春を開く』と共に肝に銘じたいと思う。



ホームへ    お言葉の部屋へ